沖縄はずっと異常な事態が続いている──
昨年6月19日、那覇市で開かれた沖縄県民大会には6万5千人が集まっていた。うるま市の20歳の女性、島袋里奈さんがジョギング中に元海兵隊の米軍属の男に暴行され殺害された事件への抗議と被害者への追悼集会、人々の怒りと悲しみの中、沖縄を代表する歌手、古謝美佐子さんが『童神(わらびがみ)』を歌った。古謝さん自身が作詞したこの曲は、子守歌として広く歌われている曲だ。
雨風ぬ吹ちん 渡るくぬ浮世 風かたかなとてぃ 産子花咲かさ
(渡るこの浮世 強い雨風が吹きつけるだろうが 私が風よけになって この子の花を咲かせてやりたい)
我が子のために「風(かじ)かたか」=「風よけ」になりたいという親の気持ち。その後に登壇した名護市長の稲嶺進はこの一節を引用してこうスピーチした。
「我々は、また命を救う"風かたか"になれなかった」
1972年の本土復帰から2016年5月までの米軍関係者による犯罪は5910件、凶悪事件は575件だという。この異常な状態をなんとか変えたいと願う沖縄県民は、県知事選でも国政選挙でも「基地建設NO」の民意を示してきた。
しかし、沖縄の民意をことごとく無視する日本政府は、辺野古の海を埋め立てて新しい海上基地を建設し、高江のやんばるの森を切りひらいてヘリパッドを作ることに邁進している。さらに宮古島、石垣島ではミサイル基地建設と自衛隊配備の計画が突然浮上してきた。
ヘリパッド建設やオスプレイ強行配備に反対する沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いた『標的の村』、美しい海を埋め立てて巨大な軍港を備えた新基地が造られようとしている辺野古での人々の戦いを描いた『戦場ぬ止み』、沖縄で今まさに起こっている人間の尊厳を賭けた闘いをドキュメンタリー映画として世に問い続ける三上智恵監督の最新作『標的の島〜風かたか』は、県民大会で古謝美佐子さんが『童神』を歌う場面から始まっている。
一日も早く公開したいという三上監督に、まずは映画のタイトルに込めた意味を聞いてみた。(TEXT:加藤梅造)
『標的の島』は残酷すぎるタイトル
三上:今回の映画のタイトルは『風かたか』で行きたいと思ったんですが、配給会社からは読みづらいということで反対されました。それで『標的の島〜風かたか』というタイトルになったんですが、私としては『標的の島』はちょっと残酷すぎるタイトルだなと思ったんです。前々作の
『標的の村』は米軍の訓練で村(高江)が標的にされるという意味でしたが、今回は宮古・石垣が本物のミサイルの標的にされるということだから、いくら映画のタイトルとはいえ直接的過ぎるなと。だって「あなたたち死にますよ」って言ってるようなものですよね。
前作までは高江、辺野古など沖縄本島が主な舞台だったが、今作は沖縄の先島諸島である宮古、石垣が映画の新たな舞台となった。2015年5月に防衛省が奄美、沖縄本島、宮古島、石垣島に「地対艦ミサイル」を配備すると突然発表したからだ。
三上:これは沖縄県民にとっても青天の霹靂でした。もちろん
「エアシーバトル構想」という沖縄を含む第一列島線で中国を封じ込めるアメリカの軍事戦略が進んでいることは前々から指摘されていました。その一環として宮古・石垣などの先島諸島を軍事要塞化するために自衛隊のミサイル基地が作られる。それが発表された時、もちろん地元紙では一面トップになりましたけど、それほど大きな拒絶反応はなかった。宮古・石垣など先島の人は、民放が長く映らなかった影響もあって、基地と闘ってきた沖縄本島の実情をもしかすると本土の人並みに知らないかもしれないんです。だから軍隊に対する不信感もあまりなくて、ましてや自衛隊なら同じ日本人だし話も通じるだろうと楽観的に捉えている。沖縄本島の人なら、軍隊は平気で嘘をつくし、軍事機密と言われれば何をされても泣き寝入りするしかないことがわかっているから、米軍だろうと自衛隊だろうと基地そのものに反対という人が多いんですが。
本島とは温度差のある先島。そんな中、基地建設に反対する宮古のお母さん達が集まって「てぃだぬふぁ〜島の子の平和な未来をつくる会」というグループを立ち上げる。メンバーはFacebookなど主にネットで集められた。それまで政治活動とは無縁だった人達だ。このあたりの感覚は最近の東京の市民運動と変わらなそうだ。
三上:そうですよね。映画ではカットしましたが、「てぃだぬふぁ」共同代表の香織ちゃんが「私、もうちょっと若かったらSEALDsみたいなことやってた」って言ってるんです(笑)。
30代が中心のお母さんグループと対照的に見えるのが宮古島の下地市長を始めとする島の保守的な年配の男性だ。彼らは確たる根拠もなくただ上からの圧力で自衛隊基地を容認しているように見える。
三上:とても悲しいことです。血を吸ったこの島の大地の記憶を忘れてしまって、この先また同じ目にあうんだとしたら、それこそ先祖が泣きますよね。
精神、文化、哲学、私たちはそういうもので反撃する
石垣島でも突然のミサイル基地計画に対して多くの住民が戸惑っていた。嶺井善さんは「備えのあるところに弾は飛んでくる。こんなに小さい島でどこに逃げるのか」と憤る。沖縄戦を体験している山里節子さんは「島の心臓部に基地が作られるのは、自分の心臓がえぐられる思い」と嘆く。唄者(うたしゃ)でもある節子さんが石垣を代表する民謡「とぅばらーま」を歌うシーンは今作のハイライトの1つだ。
三上:「とぅばらーま」は沖縄民謡の最高峰なんです。あれは八重山地方の人にしか歌えないし、孤高の芸能なんですね。沖縄だけでなく奄美にも伝わる「歌掛け」は古事記や万葉集にもあった歌あそびですが、昔は島には娯楽がなにもないから毎晩の疲れを癒す遊びとして、男女が即興で歌の掛け合いをする中、ウタに喜怒哀楽のすべてを読み込んでいく。定型の歌詞を少しずつ変化させて即興で自分の気持ちを吐露していくことで、そこに芸術性や精神性が生まれるんです。
「物や金はないけれど、歌や踊りで心を満たしながら、心を洗いながら生き抜いてきた」と語る節子さんの言葉は、唄と同様とても力強い。
三上:これこそが今回の映画の芯でもある抵抗の概念だと思います。権力側が持ってるようなものは何もないけど、精神だったり文化だったり哲学、私たちはそういうもので反撃する。非常に抽象的かもしれないけど、こちらにはまだ持っている力、離島からまだ出てきてない力がある。長い闘いで沖縄本島は疲れきっているかもしれないけれど、宮古・八重山はまだまだみんなが知らない力を秘めているんだと思います。ちなみに『標的の村』にも出てきた八重山民謡の「安里屋ユンタ」も首里の役人の誘いを断る、実在した勇敢な美女クヤマの話でした。
とぅばらーまはもちろん、エイサーやパーントゥ、アンガマなど、歌や踊り、祭りなど、沖縄の奥深い文化の力が色鮮やかに記録されているのが今作の大きな特長になっている。
三上:エンディングの三線もすごく大事な曲で、新良幸人さんという石垣出身の有名なミュージシャンが三線を弾いています。石垣と宮古はライバルみたいな関係で、石垣の人に宮古の曲をやってもらうのは普通できないんですけど、それもやってもらっていて、アドリブで八重山の民謡から宮古の民謡になってまた八重山に戻るという。それはもうすごいんです!