想田和弘監督は自らのドキュメンタリー映画を「観察映画」と呼んでいる。観察映画とは、撮影のための事前リサーチを行わず、台本を書かず、被写体との打合せもなく、目の前で起きた現実を観察しながら、行き当たりばったりでカメラを回して撮った映画のことだ。こうした方法論を使うことにより、ドキュメンタリーが本来持っている偶発性や生の現実が持つ迫力、または存在の不確かさ、儚さなどを捉えることができるという。これまでに想田監督が撮った作品『選挙』『精神』『Peace』などは、どれも日本だけでなく世界中で高い評価を受け、ドキュメンタリー映画の定義そのものを変革してきた。
観察映画第6弾となる『牡蠣工場』は、瀬戸内海にある小さな港町・牛窓(うしまど)にカメラを向け、牡蠣工場を舞台にそこで暮らす人々が織り成す豊かで複雑な日常を描き出す。その淡々とした日常の中から、次第に、グローバル化、少子高齢化、過疎化、移民問題、そして震災の影が浮かび上がってくる。目の前をじっと見つめることで初めて気づくわずかな変化、それは世界を動かしている巨大な歯車の一端であるのかもしれないのだ。
もちろん観察映画の解釈は観る人それぞれの主観に委ねられる。この映画を観ることであなたが何を感じ取るのか、ぜひ劇場で体験して欲しい。映画公開を間近に控える想田監督にお話を伺った。(インタビュー:加藤梅造 / 写真:(c)Laboratory X, Inc.)
言葉では説明しにくいことを映像として描いている
──まず『牡蠣工場』というタイトルに強く惹かれました。想田監督のこれまでの作品『選挙』や『精神』などもあまり内容のイメージを限定してませんが、『牡蠣工場』はタイトルだけ見てもどんな映画なのか全くわからない。工場見学映画?みたいな(笑)
想田 そうですね。僕の今までの作品の中では『Peace』に近いと思います。日常の時間を描いた作品なので、どんな映画なのか一言では言えないんです。これが人に説明する時に一番困る所で、例えば『精神』の場合は「岡山にある精神科の診療所の世界にカメラを向けた作品」とワンセンテンスで説明できますが、「牡蠣工場の世界にカメラを向けた作品です」と説明しても「えっ、なんで牡蠣?」って思いますよね(笑)。その「なんで?」の部分は実際に観てもらわないとわからない。逆に言えば非常に映画的な作品なのかもしれません。言葉では説明しにくいことを映像として描いているということですから。
──映画の冒頭は会話もなく、牡蠣の水揚げと牡蠣工場のシーンがひたすら続きますが、この導入部はちょっとすごいですね。牡蠣の殻をむく場面が延々と続くのを観ているうちにトランス状態になっていくような。
想田 思わずずっと観ちゃうでしょ? これは僕がお手本としている映画作家フレデリック・ワイズマンの作品『肉』にも通ずる手法。『肉』も食肉処理の過程を淡々と刻銘に描写するシーンが延々と続くけど、全然退屈せずに観れちゃうでしょう。だから牡蠣工場でも作業工程をきちんと描けば、お客さんは飽きずに観てくれるという確信はありました。
──自分が子供の頃に工事現場の作業をずっと眺めていたことを思い出しました。
想田 それと同じですよね。我々はふだんそういう部分をすっとばしているんですよ。おそらく今までもいろいろな人が牡蠣工場の取材をしていると思うんですが、作業の様子をカメラに撮ったとしても編集ではほとんどカットしてしまう。でもこの部分こそが、牡蠣工場で働く人達の生活にとって一番の根幹だと思うんです。そこにはちゃんと光を当てたい。それがないと土台のない所にビルを建てるようになってしまう。
疑問というのは映画の種
──想田監督の作品はいつも、どんな映画にするのか全く計画なしに現場に行ってとりあえずカメラを回すという手法ですが、今回は映画の核になる部分が1週間で撮れてしまったそうですね。
想田 はい。「撮ってみたらつまらなかった」ということは、今までにもないですね。今回は牡蠣工場という半径1キロ以内の世界にカメラを向けているんですが、その世界は必ずもっと大きな世界に繋がっているわけじゃないですか。こちらがよく観察すれば、なにかより大きな世界の構造が箱庭のように展開しているのが見えてくるんですね。いつもそういう経験をしています。
──延々と牡蠣むきが続く作業場の壁に「9日 中国来る」というメモが貼ってあるのを見つけた所から、話が急にぐっと動き出す感じがしました。
想田 そのメモがアンテナに引っかかったんですね。「なんだろう?」と。疑問というのは映画の種で、だいたいは疑問から出発します。
──結局その「中国来る」とは、2人の中国人労働者が実習生制度を使って牡蠣工場にやって来るということだったんですが、撮影しながらだんだんと映画のテーマが見えてくる感じなんですか?
想田 撮影中はまだどんな映画になるかわかりません。ひたすらよく観て、気づいたことを映像に翻訳するという作業ですね。撮ってる時はこのシーンをどう使おうとか考えないようにしてます。考えると撮影が失敗するんですよ。なぜならそれは雑念だから。まだ起きていない未来に心を奪われて、今に集中できてないってことなんです。僕は雑念に囚われそうになったら「いや、そうじゃない。目の前の現実をよく観察するんだ」という意識に切り換える。そうすると結構うまくいきます。
──観察映画の重要な要素として『撮影は「広く浅く」ではなく「狭く深く」を心がける』とありますね。
想田 射程を狭い範囲に限定しないと、うまく観察できないですからね。なんで僕は自分の映画を観察映画と呼んでいるかというと、やっぱり「観察」というのが大事なキーワードで、撮ってる時の意識の問題にも繋がる。意識を観察的な状態にしないと撮影はうまくいかない。よく観る、よく聴く、見逃さない。敏感にアンテナを働かせて、いま何が起きているかに気づく、その気づいたことを映像にするということですね。
中国というキーワード、移住者というキーワード
──例えば『選挙』では立候補している山内さんというわかりやすい被写体がいましたが、『牡蠣工場』にはそういう象徴的な人は出てこないですね。
想田 今回はいろいろな人にフォーカスを当てています。僕の意識としては、牛窓に6軒ある牡蠣工場の世界をなるべくまるごと描きたいという気持ちだった。そういう意味では『選挙』もそうで、選挙戦の中で選挙対策本部がどういう風に動いているのかということを描きたかった。僕は作品で誰か一人にフォーカスを当てるのではなく「群像」を描きたいという想いがあります。人間って一人で生きてるわけじゃないですよね。必ず周りの人と繋がって生きている。その人間関係を含めて描こうとすると、自然と群像を描くことになります。僕が一番好きな映画は小津安二郎の『東京物語』なんですが、あの映画も誰が主人公なのかよくわからないですよね。
──漁師の中の1人に震災後に宮城県から移住してきた人がいて、その方が放射能のことやガレキ撤去の問題について話をされるのには驚きました。偶然いらしたわけですよね。
想田 そうです。僕はその話を堀り出そうとはしてなかったんですけど、会話の流れでそういう話が出てきた。すべて、たまたまです。それで、中国というキーワード、移住者というキーワードに僕のアンテナが向いていった。
ただの記号だった存在が顔のある人になる
──中国というキーワードでいうと、隣の工場の中国人労働者の1人が急にやめて帰っちゃったということが起きて、それを工場の人達が苦々しく語る会話の場面が印象に残ります。
想田 経営者の気持ちとしてはよくわかりますよね。せっかくお金も時間もかけてよんだのに5日で帰ってしまった。憤りもあるでしょうし、素直な気持ちなんだろうなと。
──その後の別の場面では、中国人に対してかなり過激な発言をする人もいて、ちょっとびっくりしました。
想田 あれは確かに過激な発言ではありますが、僕は彼のことを個人攻撃するつもりはないんです。それよりも、いろんな人がいて、それぞれいろんな感じ方をしているんだということを描写したかった。一方では「中国人の娘達は仕事を覚えるのが早い。家族のためにがんばっている」と言う人もいたりして、非常に幅があるんですよね。だから牛窓の人達が中国人のことをどう思っているのかを一括りで言うことはできない。人によって違うし、状況によっても違う。その微妙な濃淡を描きたかった。
──確かに、ああいう意見を持ってる人は決してめずらしくはないですよね。
想田 むしろ共感する人は多いんじゃないですか。やはり多くの人にとって中国人は顔の見えない存在、ある種の記号ですから。でも実際に会ってみると記号ではなくなる。誰しも喜怒哀楽のある人間なんだという当たり前のことに気づく。映画の1つの力というのは、こういうことなのかなと。つまり、ただの記号だった存在が顔のある人になる。映画を通してあたかもその人に出会ったかのような経験をして欲しいんです。
──被写体が「他人事ではなくなる」ということですよね。それがよくわかるシーンとして、牡蠣むきの作業をする座席表に「ちゃいな」と書いてある場面の後に、その中国人の女性がたまたま来たら、工場の若奥さんが「レイちゃん!」って名前で呼ぶんですよね。
想田 おそらく、あの座席表はレイちゃん達がまだ到着する前に作られたもので、実際に彼女らが到着して出会った後、急に名前のある存在になったんだと思います。僕の想像ですけど。
──映画では一次産業の後継者問題も浮き彫りになってます。特に漁師のお父さんや息子さんなどが自分の思いを語る場面でよくわかりますが。
想田 あの一連のシークエンスを編集することで僕は非常に重大なことに気づいたんです。工場主の息子さんが工場を継がないって言った時、僕は「なんで?継げばいいのに」と思った。でもその後ですごく反省した。なぜかというと自分も同じだったなと。僕のオヤジはスカーフを作る小さい会社をやっているんですが、長男の僕も、姉も弟も、誰も継がないし、オヤジも継げとは言わなかったんです。それってなんでなのかなと。もしかすると我々は社会からずっと「一生懸命勉強しなさい。そしてホワイトカラーになりなさい」と言われてきたんじゃないか。無意識にそういうメッセージを受け取ってきたんじゃないのか。例えば、農家を目指しなさいとか、漁師を目指しなさいとか、服の製造業を目指しなさいということはあまり言われないですよね。つまり社会の価値観として、医者とか弁護士、政治家や大企業の社員など、そういう仕事は給料が高く、社会的地位も高くて、そうじゃない1次産業や2次産業は不当にも下に見られている。第3次産業を目指しなさいという非常に歪んだ形の価値観が社会に蔓延していて、僕自身もそれに乗ってきたんです。それに気づいた時はかなり衝撃でした。そしてこれは日本だけじゃなく、アメリカやヨーロッパはもちろん、発展途上国に行くともっと顕著で、貧困から抜け出すためには学校に行ってホワイトカラーになれっていう価値観じゃないですか。これは文明の病で、非常に根深い問題ですよね。