ジャンルというヴィジョンを壊すのが音楽本来の姿
──コハ・ラさんは1994年に単身アメリカ・シカゴに乗り込んで本物のブルースを体感されているのに、ブルースの求道者みたいにはならずにスマコネのようなクスッと笑える要素のある音楽を体現しているのが面白いですね。
コハ・ラ:ブルースやソウルといったブラック・ミュージックは昔から好きでしたけど、そういう音楽を大上段に構えてやるつもりはなかったんですよ。シカゴへ行ったのも、そこで武者修行がしたかったわけじゃなくて、ブルースが今なお生で演奏されている現場をこの目で確かめたかったからなんです。レコードを聴くだけでは決して体感できない、本物のブルースを体験したかった。と言うのも、僕がハーモニカを始めた時に周りからよく言われたのは「シブいね」とか「大人っぽくてカッコいい」みたいな意見ばかりで、僕はそんなふうに言われるのが一番嫌いなんですよ。別にシブいのが好きだから演奏していたわけじゃないし、「何だか訳が分からないけど、もの凄いパワーだろ?」っていう、言葉では言い表せない思いをハーモニカで表現したかっただけなんです。
──つまり、ブルースが本当にシブくて大人っぽい音楽なのかを確かめたくて、ブルースの本場であるシカゴへ行かれたと。
コハ・ラ:そういうわけです。実際に行ってみて僕が感じたのは、「ブルースってなんてインチキくさい音楽なんだろう!」ってことです。こんなイカサマみたいな音楽を堂々と生で演奏しているのがまずカッコよかった。僕がシカゴで体験した本場のブルースには、シブいとか大人っぽい要素なんて微塵もありませんでした。だって、演奏中に気持ちが昂ったのか、途中でギターを弾くのをやめて身体をクネクネし始めてヘンなアクションをするブルースマンもいましたからね(笑)。ヘンな動きをしていたと思ったらまた弾き始めて、その時にバン!と出した音がむちゃくちゃカッコいい。あれはとてつもない衝撃だったし、「うわッ! これがリアルなブルースか!」って思いました。めくるめくフレージングを畳み掛けるように演奏するわけでもなく、言ってみればあれはパンクですよ。その場にいたお客さんもテンションが高まっちゃって、目の前でブルースをやっているのにフロアでブレイクダンスを始めるんです(笑)。何なんだ、このカオスな感じは!? と驚いて、それまで頭に描いていたブラック・ミュージックの世界が音を立てて崩れながらも、僕の期待していた通りのものなんだなと実感できた。ブルースだから演奏やパフォーマンスはこうあるべきだとか、受け手側はこうリアクションしなくちゃいけないだとか、そんなことは全く関係ないし、そういうものを全部ブチ壊した世界を僕はシカゴでリアルに体験できたんです。
──それ以降、コハ・ラさんの音楽性にも変化が表れたわけですね。
コハ・ラ:シカゴでの体験を経て、僕は生粋のブルースの中へは入っていきたくなかったんです。もちろんカッコいいとは思うけど、それを土台に置いた新しい世界の音楽をやりたくなった。ジャンルというヴィジョンを壊すのが音楽本来の姿だという体験と、自分の根底にあるブルースをつなぎ止めるものとして頭に浮かんだのが、さっき話に出た幼少期に聴いたインチキくさい音楽だったんです。本物とはズレたインチキくささとブルースを始めとするブラック・ミュージックを結びつけていけばいいやと思ったんですね。そのインチキくささは音楽に限らずで、たとえば昔の街角には映画のポスターがいっぱい貼ってあったじゃないですか。上には『エマニエル夫人』が、下には『ジョーズ』のポスターがそれぞれ貼ってあって、ポルノとスリラーの組み合わせって何だよ!? って思うわけですよ(笑)。その何とも言えない感覚とブルースを組み合わせてみたりする。あと、子どもの頃に見ていたアニメーションや刑事ドラマにもどこかブルース・フィーリングがあったのを思い出したり。つまり、幼少期にドキドキして見聞きしていたものが今もドキドキするものと結びつくことに気がついたんです。今回のアルバムの楽曲群の中にもそういうニュアンスを某か感じていただけると思うんですよ。
──確かに、山下毅雄さんが作曲を手がけた『ルパン三世』テレビ第一シリーズの雰囲気を彷彿とさせる楽曲もありますね。
コハ・ラ:背伸びした子どもの目から見た大人の感覚って言うか、「こういうのが大人の世界なのかな?」って子どもが思う粋がった感じ、カッコよさを体現したくて今回のアルバムを作ったんです。凄く抽象的なことなので伝えるのが難しいんですけどね。ブルースという非常にコアな音楽を軸に置きつつ、ジャンルの枠を破壊して、何だかよく分からないけどカッコいいものと結びつける……言葉にすればそういうことなんですけど。
何だよこれ、ただカッコいいだけじゃん!
──話を伺っていると、「Don't think! Feel!」(考えるな! 感じろ!)という『燃えよドラゴン』のブルース・リーのセリフとスマコネの音楽性が重なるのを感じます。
コハ・ラ:そうですね。僕はずっとハーモニカを吹いているけど、いまだに何の音を吹いているのか分かってないですからね。コードもよく分かってないですし。でもそれは自分にとってどうでもいいことで、この響きが素晴らしいんだ! と感じるものをただお客さんに投げているだけなんです。
──ジャンルは違いますけど、榎本健一がやっていたフェイク・ジャズとかプラスティック・ソウル(ニセモノの黒人音楽)の精神に近いのかもしれませんね。
コハ・ラ:ああ、なるほど。エノケンも別に突き詰めた音楽世界をやりたかったわけじゃないし、その時代の中で粋でモダンな感じがするから取り入れてみようっていう軽いタッチですもんね。でもそれが俄然カッコよかったりする。
──スマコネの音楽もタッチは軽いですけど、コハ・ラさんが楽曲ごとに独自のイメージ映像を事前に制作してメンバーに世界観を伝えるという入念な作業が実はあったそうですね。
コハ・ラ:僕はそもそも口で説明するのが苦手なんです。でも絵を描いたり、映像を作るのが好きなものですから、メンバーにはそれを伝達手段として使うことにしたんですね。ただその自分で作る映像にしても、たとえば「フルスイング」という言葉からは全く連想できない画をあえて持ってくるんです。その言葉から安易に発想するような画をメンバーにそのまま見せても、結局はその言葉限定のイメージでしかないので。「フルスイング」でバットやクラブを力いっぱい振る画を用意しても、それは「フルスイング」という言葉のイメージを伝えるに過ぎない。そうではなく、あくまで僕が抱く「フルスイング」という楽曲のイメージの映像を見せるわけです。その結果、ライブでは「フルスイング」と僕が言うんだけれども、メンバーは「フルスイング」という言葉からは程遠い映像を頭に描いて演奏するじゃないですか。その演奏と僕の発する言葉がぶつかった時に「フルスイング」という言葉のイメージと全く違うイメージの音世界が結びついて、お客さんの中でも新しい「フルスイング」のイメージが生まれるんじゃないか? という狙いがあるんですよ。……分かりますかね?(笑)
──要するに、「フルスイング」という言葉の意味を問い直すと?
コハ・ラ:そういうことですね。自分ではなんで「フルスイング」って言葉が降って沸いてきたのか分からないし、「つまりこういうことなんですよ」って説明ができない。多分、曲のことを一番理解してくれるのは僕じゃなくてお客さんだし、それなら曲に対する自分の思いなんて言わないほうがいいし、そんなことよりも僕はただカッコいい音楽を作りたいだけなんです。「何だよこれ、ただカッコいいだけじゃん!」って言われたいだけ。その後に「何の価値もないね!」と言われたっていいです(笑)。
──音楽のみならず、本作の発売に合わせてYouTubeで公開されている『新国際ドラマ』も粋な大人の道楽みたいですよね。コハ・ラさんの描くイラストとアテレコ、『ニューアクション』の収録楽曲から成るオリジナル・ドラマで、あのドラマを作りたいがために今回のアルバムを作ったんじゃないかと思えるほどの力作で。
コハ・ラ:あまり大きな声じゃ言えませんけど、今はライブよりもあのドラマに力を入れてますね(笑)。もちろんライブは好きでやっているので楽しいんですが、それとは違うベクトルの楽しいことをお客さんに体験して欲しいんです。ロボットと旅する女を主人公にしたロードムービーを作ってみたいという発想は後づけで、そもそもは自分の描いた絵と自分たちの音楽を合わせたかっただけなんですよ。それと、物語には起承転結があるはずだけど、人物たちが行動しているあるワンシーンだけを切り取った内容にしたかった。本来は起承転結のある物語の一部分だけを強引に引き抜いたものと言うか、そこだけ見てもよく分からないって感じのものを(笑)。ちゃんとしたオチもついていないし、親切な説明もないけど、そういう作りにしたほうがスマコネの音楽と結びつくと思ったんです。たとえば第1話で言えば、ロボットと女がドライブするシーンからいきなり始まるんですが、物語の細かい説明は一切ないわけです。見る人の中には何が何だかよく分からないって人もいるでしょうけど、よく分からないけどカッコいいな! と感じる人も絶対いると思うんです。そういうのは映像がカッコいいってことではなく、作品の持つグルーヴ自体がカッコいいってことにつながるはずなんですよ。僕としては音楽を作るのと同じで、「このグルーヴ、カッコいいだろ?」っていうのを映像でやりたいだけなんです。映像で殊更に説明してしまうと、それは僕のやっている音楽じゃなくなってくる。