自閉症と共に生きるハタチのラッパーとして注目を浴びているGOMESS。高校生の時に『BAZOOKA!!! 第二回高校生ラップ選手権』に出場し、準優勝を獲得。今年1月にはNHKにて30分の特集番組が放送され、大きな反響を呼んでいる。地元静岡でのライブを終えたばかりの本人に、3月18日に発売された2ndアルバム『し』について話を聞いた。「生まれてくるのを祝うように、死んでいくのを見届けたい」というGOMESSがラップに込めた想いを是非知って欲しい。(interview:成宮アイコ)
恥さえ取っ払ってしまえば外に出ていける
──2ndアルバム発売おめでとうございます!まずは、率直な感想を教えてください。
G:ありがとうございます!今回は置いてくれる店が前回より増えて、聴いてくれている人が増えたなぁという実感があります。
──幼少期に自閉症と診断されて引きこもっていた時期もあるそうですが、ラップを初めたきっかけを教えてください。
G:はじめたのは14歳です。その頃完全に学校に行っていなくて、ひまつぶしとして、リズムにのった早口という認識でやっていました。シングルCDのB面に入っているインストの曲を聴いて「あ、これ言葉をのせられるじゃん!」っていう遊び感覚で、誰かにメッセージを伝えようとか生き様を見せようという気持ちはなかったですね。新作のドラクエをやるようなゲーム感覚です(笑)。もともと、小6からDTMで作曲もしていました、五線譜にマウスでカチカチと音符を置いていくフリーソフトで。
──完全独学ですか?
G:そうですね、音楽がやりたくて。格闘ゲームって技を出すボタンを説明書で調べるじゃないですか、コンボを出すためにはコンボのボタンを押すのか覚えていないと戦えないので。その感覚で五線譜の読み方から勉強をしました。
──なぜ音楽だったんでしょう。
G:ゲームをひととおりやって飽きてきちゃって。それで全然違うことがやりたくなったのかなぁ。
──ゲームの音楽も関係ありますか?
G:それもあると思います。見た事がない映画とかやったことないゲームのサントラとかたくさん聴きます。キャッチコピー見て「この映画すげぇ気になる!」と思うとまずサントラを買うんですよ。で、音楽で満たされて映画は見なかったり(笑)。
──不登校で卒業式も一人で出たそうですが、そんなエピソードのある少年が、ある日突然路上でフリースタイルをやるようになったのはすごく勇気が必要だったと思います。どんなきっかけだったんでしょう?
G:親から高校は行ってくれって言われて高校に入学したんです。それでとりあえず通学をするために外に出るようになったんですよ。通学路で通る静岡駅にストリートミュージシャンが集まるめちゃくちゃ広い地下道があるんですけど、ある日、聞き覚えのある音楽が聞こえたから「これはまさか!」と思って迷路みたいな地下道をばーっと走って見に行ったら、すごく好きなHIPHOPで踊っているダンサーがいたんです。で、話しかけて…
──自分から?!
G:めっっっっちゃ緊張しましたね。こわいじゃないですか(笑)。ブレイクダンスを踊ってる人なので、ダボっとした服を着てていかついんですよ。でも何曲か見ていたら全部僕の好きな曲だったので「趣味があうな、これならいけるかもしれない…」って思って「あの…!」って話しかけたらすごくいい対応をしてくれたんです。自分がラップやっていることを話したら「俺はビートボックスをやってるから一緒にやってみようぜ!」って言ってくれたので、その場ですぐ一緒にやりあって…すごく仲良くなったんです。
──すぐにフリースタイルを始められるくらい外に出るまでの不登校期間に言葉や想いがたまっていたんですか?
G:…うん、あったんでしょうね。家でずっとやってきた自分のラップにはなんとなく自信があって、見せたいって気持ちもあったんです。だからあとは恥を取っ払えば出て行けるじゃないですか。恥を初めて捨てた瞬間が、その出来事でしたね。
常に正反対にあるものも、共存することができる
──ライブ中のMCも常にフリースタイルが続いているみたいですよね
G:間があるのが苦手なんです。何か喋らなきゃって不安になるし。小さい頃からいつも誰かに責められている感覚があって、人といて沈黙になると「自分の言葉で相手が怒っているんじゃないか?」って不安になるので、言葉をどんどんつけたしてフォローしちゃうんですよね。フリースタイルだとそういう間がないから。でも去年から、間を作ることを意識しています。
──こわくなくなった?
G:…こわくない、ですね、自信がついてきたのかな。
──常に言葉は沸き上がって来るんですか。
G:人間ってキャッシュをとっておけると思うんです。覚えておこうって思わなくても「今日何飲んだっけ?あ、カシスオレンジだ」って思い出す。そのキャッシュを再利用するのが早いんじゃないかなぁ。
──キャッシュをためておける期間も長い?
G:かもしれないですね。時間がたつと奥に引っ込んじゃうんですけど、ラップのスイッチが入るとそれがなだれでることもあります。昨日ちょうど地元の静岡に帰っていて、当時いつもストリートをやっていた場所でひさびさにフリースタイルをしたら、路上でやってたころのことがバンバン出てきました。やっぱりストリートという場所には思い入れがあって…今回はマネージャー代行してくれてる人がビデオをまわしててくれたんです。昔はずっと一人でやってたなって…。
──地元での凱旋ライブはどうでしたか。
G:高校の同級生とか親戚や家族が見に来たので「し」という曲の「お母さんお父さんごめんなさい」の部分は父親の顔を見ました(笑)。
──何て言ってました?
G:お前はトークがうまくなったなぁ〜って(笑)。
──間をつくる作戦は成功でしたね(笑)。地元でPV撮影もしていましたよね
G:あれは僕の提案です。嫌な事があると通っていた駄菓子屋があったんですよ。そのお店で「ブタメン」っていう駄菓子を買うと、お店のおじいちゃんがお湯を入れてくれてそれを食べながら帰ってました。お母さんからは「買い食い良くないよ」って言われてたんですけど、ブタメンだけはなぜか許してくれて(笑)。でもその思い出の店が建物ごとなくなってソーラーパネルの新しい家が建ってたんです。いつも遊んでいた公園も駐車場になっていて…そういうのは年をとっていく中で少しずつ感じるものだと思っていたのに、まだ二十歳だよ?!って、すごく切なくなっちゃって。家の横にあった団地も全部新しい家になってた。…ソーラーパネルの(笑)。
──知らない街になっていたんですね…
G:そう、どんどん知らない街になってくんですよ!すごく悲しくて、それが。見た事のない大きいデパートが建ってそこに人があふれかえってて。ああ、こんなに変わっちゃうんだって思って。だから生まれた病院とか、通ってた学校がまだ残っている今のうちに撮ろうと思ったんです。全部残しておきたくて。
──共作はどのようにして曲を作り上げていくのですか?
G:まずタイトルから作ります。今回はなんとなく13曲入りがいいなと思ったので1から13までの数字を書いて、その時点で「箱庭」って曲は一番最後がいいなって思ったので13の場所に書いて…っていう風に思いついた順に埋めていくんです。それを繰り返して順番を完成させると、この曲はこういうイメージだっていう歌詞ができているので、直感的に浮かんだ人にトラックを依頼して、内容を組み立てていきます。音楽を通して出会った友達、信頼をおける人に頼んだので全部イメージ通りでした。
──今後共作をしてみたい人はいますか?
G:大森靖子さんとは、いつか「作品作り」として同じCDを作ってみたいです。別の曲でもいい、絡まなくてもいいので。
──タイトル曲の「し」には「未練はないしいつか死んでしまうなら今だって構わないよね」という言葉と「生まれて初めて生きてる気持ちを感じてる死ぬほど」という言葉が共存していますが、この曲にこめた想いを教えてください。
G:死んでも構わないと思っていますが、それは「死になさい」じゃなくて「死んでもいいよ」っていう許容なんです。「嬉しい」と「悲しい」は共存するから、同時に。
──たとえばどんな時に感じますか。
G:地元のアナウンサーですごく好きな人がいたんですけど、結婚して退社されたんです。そのときに、良かったねぇ〜!っていう気持ちと同時にショックで。今後ブログが消えるかもしれないから今のうちに見とかないと!って(笑)。そういう常に正反対にあるものも共存するんですよね。この「生きてる気持ちを感じてる死ぬほど」に「死ぬほど」をつけたのは自分の中で大きいです。この曲は、初めは「I Can」っていうタイトルで"いつでも死ねるし生きられる、可能性は無限大"という曲だったんです。生に束縛したくないというか、生きることへ執着を持たずに、その上で生きるからこそ美しい。使命感じゃなくてただそこに生きている感じが美しいなぁって。