新曲の2曲は3.11以降に書いた初めての歌詞
──昔の楽曲のアレンジをほぼ崩さなかったのは意図したところだったんですか。
宙也:いじりようがなかったんですよ。よくできたアレンジなのかどうかは分からないけど、どの曲も元のアレンジがひとつの完成形なんでしょうね。凄くコンパクトだし、普通じゃないアレンジなんだけど、それを直したり解体するよりも元のままのほうがいいんです。アレルギーのオリジナル・メンバーは誰も譜面を書けなかったし、すべて感覚でインプロビゼーションから作っていくから、決して一筋縄では行かないんですよ。昔、アレルギーが初めてマルチでレコーディングした時に、エンジニアから「コードがぶつかってるよ」と指摘されたことがあるんです。そんなことは全然気づかずにライブでやっていたんですけど(笑)。でも、この形でずっとやってきたんだし、気持ち悪いと感じる人もいるかもしれないけど、そのままでいいかなと思ったんですよね。
──インプロビゼーション色の濃い「Doll Or Man」みたいな曲を聴くと、アレルギーの楽曲が決して一筋縄では行かない構成なのがよく分かりますよね。特にこの曲では幸也のギターの特異性が際立っていて、どこかシャーマニズムを彷彿とさせる世界観を増幅させています。
宙也:幸也は真面目なプレイヤーで、いままでは歌を引き立てるギターを弾くことが多かったと思うんです。でも、宙也†幸也を始めてハチャメチャな部分があるのも知っていたから、そこを引き出すにはアレルギーが格好のバンドだと思ったんですよ。
──手練メンバーだけに、録りもそれほど時間がかからなかったのでは?
宙也:時間が限られていたのが功を奏した部分はあります。ごくシンプルに、余計なギミックをしなかったので。楽曲の半分以上はギター1本だけで、重ねたのはほんのちょっとですからね。ギター・ソロだけ別録りしたのも数曲だし。ライブ・レコーディングに近い形だったんですよ。
──さすがに歌は別録りなんですよね?
宙也:いや、ほとんど一緒です。多少の直しはありましたけど。演奏も歌も“せーの!”でやって、それも本番のつもりで唄っているから、歌が先にOKになった曲もあるんですよ。まぁ、30年ぶりに唄うと「ちょっとキーが高いなぁ…」とは思いましたけど(笑)、そこは頑張りましたね。
──「Tokyoフラストレーション」のようにストレートなパンキッシュ・ナンバーもあれば、「行方不明」のように溜めの効いたファンク・チューンもあるし、「笑う土」のように土着的なリズムに重きを置いたカオティックな曲もある。アレルギーが如何に多彩な音楽性を放っていたかがよく分かりますね。
宙也:「行方不明」はE.D.P.Sの影響下にある曲なんですよ。当時のメンバーはみんなE.D.P.Sが好きでね。「Tokyoフラストレーション」は初期の曲だから歌詞もストレートだけど、当時のニュー・ウェイヴをやっていた人たちはメッセージ性を嫌っていたんですよね。U子も直接的な表現を嫌がっていたし。僕の作る歌詞にも手厳しかったしね。
──逆に言えば、U子さんのお墨付きを得らればまず問題なしだったと。
宙也:そうそう。あまり褒めないんですけどね。「やだぁ! やだぁ!」「この歌詞クサイ!」とかよく言われましたよ(笑)。ライブの曲順は僕が考えていたんだけど、「またこの曲を最後にやるの!? やだぁ! 私もうやらないからね!」って言うような子だったんです(笑)。
──「El Dorado 2012」は、{新訳}アレルギーのアレンジに準拠したということですか。
宙也:アレンジと言うより、歌詞を変えたんです。2012年はU子の没後20年だったので、「時を遡る男たちの夢」という歌詞を「時を遡る魂よ」に変えたんですよ。レニ・リーフェンシュタールが撮った『意志の勝利』というナチスの記録映画があるでしょう。あの映画は芸術作品としては素晴らしいけれども、ナチスの宣伝映画だったわけです。アートとして見るか、プロパガンダとして見るかという議論がずっとあったんですね。その映画を、法政大学でやったライブで流したことがあるんです。『意志の勝利』をバックに好きなように表現するのがライブのテーマでね。そのライブのために作ったのが「El Dorado」の原型なんです。
──1曲目の「不知火」には「嗚呼、帰らぬ友よ」という歌詞があるし、図らずも本作の最初と最後はU子さんへのレクエイムで飾る構成になっていますよね。
宙也:……そういうことになるのかな。「不知火」はそれほどU子のことを意識した曲じゃないんですけどね。「不知火」と「Eos 〜暁の女神」の2曲は、3.11以降に書いた初めての歌詞なんですよ。2曲とも締切の間際に作ったんですけど、特に悩むことなく書けたんです。自分がネットで言い放ってきたことやノートに書き残してきたことを全然見ることなく書き上げたんですよ。
生かされている限りは唄うしかない
──3.11以降、ツイッターやフェイスブックを通じて反原発を基軸とした社会的なメッセージを投げかけてきた宙也さんらしく、「Eos 〜暁の女神」では“9条”と“窮状”を引っかけたり、「Good morning World Peace 武器を葬れ」という歌詞が出てきますが、もっと踏み込んだ直接的な表現の曲もあるのかなと思ったんです。でもそこはスマートに、万人に届きやすい歌詞にするのが流儀と言うか。
宙也:3年経って良かったのかもしれませんね。震災と原発事故の直後だったら、もっと直接的な表現を選んでいたかもしれない。あれから3年経っていま思うのは、未曾有の災害で亡くなった人たちへの弔いを歌に込めるのはもちろんなんだけど、それに加えて、生き残った人たちが悲しまないためにはどうしたらいいのか? ということなんです。聴く人を元気づけたいし、僕はやっぱりこの先の未来を見たいんですよ。それは3年前と同じだけど、未来の見え方が3.11の前と後では大きく変わりましたよね。さすがに50歳を過ぎると、肉親ばかりじゃなく友人や知人に先立たれることが多くて、いろいろと考えてしまうんです。
──遺された者の使命として、精一杯唄おうと考えたり?
宙也:使命とはまた違うかもしれないけど、生かされている限りは唄うしかないな、と。そのためにアレルギーという乗っかる船が必要だったんですよね。完全に沈みきっていた船だったんだけど。
──宙也さんには他にもLOOPUSやDe+LAX、宙也†幸也という船がありますが、棲み分けみたいなものはあるんですか。
宙也:棲み分けや自分のなかでのバランスはあえて考えないようにしているんです。歌詞を書くにも「これはDe+LAX用に」みたいなことはなくて、ごく自然に成り立っているんですよ。バンドによって多少衣装は違うけど、どのバンドも音が鳴り出したら身体がそのバンドの動きになるんです。あと、僕はやっぱりバンドが好きだからソロ・アルバムを作る気もないし、どのバンドでも僕のワンマンじゃないし、メンバーの立場はあくまでイーブンなんです。ただ、いまのアレルギーは他のどのバンドよりも宙也色が濃いのは確かですね。今回のアルバムでアレルギーを立て直すのは自分の責任だと思ったし、今回ばかりは自分がバンドを引き揚げないといけなかったんです。
──現編成のアレルギーは“アートコアパンク宣言”をキーワードに活動していますが、この造語には言葉遊び以上の意味が込められているのでしょうか。
宙也:別に高尚な“芸術”を目指そうという意味じゃなくて、80年代に使われていたアートの意味に近いんです。あの頃は“何でもあり”なのがアートだったんですよ。キッチュとかと同じ感覚でアートという言葉を使っていたんですね。あと、“パンク”という言葉をあえて使ってみたかった。パンク・ロックは自分の出自であり、パンクであるか否かは僕にとって物事を判断する大事な基準なんです。“Do It Yourself”精神を忘れたくないんですよ。
──新曲を聴く限り、“闇”と“病み”を内包した上で生きる希望を唄えるのがいまのアレルギーの強みだと思うんです。だから今後の活動が本当に楽しみなんですよね。
宙也:亡き者の存在を踏まえた上で生きる希望や喜びを唄うことは、過去のアレルギーにも他のバンドにもない部分ですね。今のところ新曲は2曲だけだし、過去のレパートリーが大半を占める段階だから、まだまだこれからですよ。
──最後に、この『蘇生 〜Anabiosis』という作品をU子さんはどう聴くと思いますか。
宙也:気になるのはやっぱりそこなんですよね。オノちゃんも含めてだけど、あの人たちに聴かせても恥ずかしくないものを作りたかったんです。U子がいないんだからやるべきじゃないとずっと思っていたのに、その封印を解いたのは他ならぬ自分なわけで。彼らがいまのアレルギーをどう感じているかというのは、この先も絶えず意識し続けるでしょうね。