虚構感にこだわる必然性を感じなくなった
──なるほど。でも、そこまでドラムの音づくりを徹底したからこそ、ワンコードでリズムやテンポもほぼ一定の「Fの巡回」みたいな曲でも弛緩することなく聴かせられる仕上がりになったんじゃないですかね。だってあの曲、7分超えているじゃないですか(笑)。
M:歌が入るまで2分くらいあるという、究極の焦らしソングですから(笑)。「Fの巡回」でもドラムの音はけっこう考えたわ。
──しかも、そんな長尺の曲を3曲目に持ってくるというのが攻めてるなと思って(笑)。
M:強気でしょ? 確かに長尺な曲だけど、これは絶対に飽きさせることなく聴かせられると思ってアルバムの前半に入れようと思ったの。音源化する前からスタッフの評判も良かった曲だったし、これはいけるという確信があった。
──「Fの巡回」の“F”は、“Fever”(興奮)とか“Fate”(運命)の略ですか? 興奮が止め処なく巡っていくと言うか。
M:いや、単純にコードがFってだけ(笑)。
──ああ、深み読みでしたか(笑)。アルバムの終盤、「恋の蟻地獄」から「肉体と天使」にかけて従来のキノコホテルにはなかった新機軸の曲で占められているのもいい流れですよね。
M:割と新しい試みと言うか、実験的な曲が並んだわね。でも、どれも実験性と大衆性がいいバランスの曲ばかりだと思う。実験性に走りすぎてリスナーを置いてけぼりにするようなことはしたくないし、パッと聴いて覚えやすくて、それでいて中毒性のある楽曲をずっとつくり続けてきた自負がワタクシにはあるの。そこから外れない程度に新たな試みをしてみたわけ。
──新たな試みと言えば、「冷たい街」や「夜の素粒子」といった楽曲が顕著ですが、支配人の極々パーソナルな部分と言うか、プライベートでの体験が色濃く反映された曲が収録されているのも従来の作品ではなかったと思うんです。これはどんな心境の変化があったんですか。
M:虚勢を張ったり、虚構感にこだわる必然性を感じなくなったのかしらね。キノコホテルの世界観がある程度構築されてきたなかで、もっと人間的な部分と言うか、凄くパーソナルな部分を打ち出してもいいんじゃないかと思ったの。「え? 支配人に何があったんだ!?」と思わせるようなね(笑)。
──それも今のバンドの状態が良好だからこそですよね。
M:それもあるわね。自分のプライベートをようやく楽曲に反映させられるようになったのは、ある意味バンドに余裕ができたからなのかも。ヘンにかしこまることなく、ありのままの自分を出してもいいんだとやっと思えたのね。今まではキノコホテルやマリアンヌ東雲という呪縛に自分自身が囚われすぎたのかもしれない。今はそこから解放されたと言いますか。決して無理をしていたわけではないのだけれど、自らレンジを狭めていた気もする。これまでのほうが縦横無尽に好き勝手やれていたのかと言えば、それもちょっと違ったように思うし。「キノコホテルの楽曲はこうあらねばならない」みたいなことを一切考えずに曲づくりができるようになった今のほうが自由だと思うわ。
──「夜の素粒子」の歌詞も秀逸ですね。夜明けとともに消え入りそうな、行き場のない女性の脆い心情が切々と唄われていて。
M:「夜の素粒子」は自分でも凄くいい曲だと思う。我ながら素晴らしい(笑)。
──しかも、支配人が計8声も重ね録りしたコーラスが幻想的な雰囲気をさらに高めていますよね。
M:素晴らしいでしょ? 曲を思いついた時点でもう完成図が頭のなかにありました。コーラスをあれくらい厚めに入れて、いつもとは違う感じの唄い方をしようと思っていたの。
──儚げで優しいですよね。「ゴーゴー・キノコホテル」の冒頭で「アンタ、それでもキン○マついてんの!?」と挑発するのと同じ人とはとても思えませんよ(笑)。でも「夜の素粒子」のような曲を聴くと、バンドの着実な進歩を実感しますね。「山猫の唄」辺りから芽生えたグルーヴィーな大作志向、『マリアンヌの誘惑』で垣間見られた70'sパンク/ニュー・ウェイヴ志向を経て、大衆性を備えた確固たるオリジナリティを今作で具象化したと言うか。
M:たとえば「マリアンヌの恍惚」みたいな曲は、16ビートの横ノリが自分のなかでブームだったのね。それがベースの交替に伴って音楽的な変遷を辿った部分もあるでしょう。ジュリ島は何でもできる器用なプレイヤーだから、ワタクシのなかでまだ16ビートの横ノリがブームとして続いていたら、その路線に特化したのかもしれない。でも、彼女が加入してからは割と自然な形でニュー・ウェイヴ的でドライなアプローチになったの。
ステージ上が一番自分らしくいられるのかもしれない
──支配人の今の個人的なブームというのは?
M:ブームと言うか、初期の頃の歌謡曲だのGSだのといったイメージ、ソウルやニュー・ウェイヴといった既存のジャンルやワードでは到底片づけられない音楽を志向していかなくちゃいけないとずっと思っている。まぁ、今度のアルバムではいろんなタイプの曲をいい塩梅にまとめることができたので、だいぶその理想に近づけたと思いますけどね。
──たとえば「セクサロイドM」は憂いを帯びたメロディとダンサブルな要素が絶妙なバランスですけど、そういったあらゆる音楽的要素のブレンド感覚が全編にわたって冴えているとも言えますね。
M:メロディにちょっとメロウな感じを入れたいとか、そういうのは初期の頃からの自分本来の志向で、ただ明るいだけの曲はキノコホテルにはないのよね。とは言え、ただ切ないだけで自分に酔った曲になるのもイヤで、ちょっと突き放した感じもあって欲しい。一歩引いた感じと言うか、その辺のバランス感も大事。あまり辛気くさい曲になるのは望むところではないので。
──だからこそ「ゴーゴー・キノコホテル」のような賑々しいインストも必要なわけですね。
M:そうね。ああいうインストを入れることで古い胞子たちをホッとさせて、その後にまた未知なる世界へといざなうという……1枚を通して、とてもドラマティックな構成になったんじゃないかしら。
──タイトルに“呪縛”という言葉を使ったのは、どんな意図があったんですか。
M:アルバムのリリースが決まるだいぶ前から、仲間内で「次のタイトルは『マリアンヌの呪縛』ね」って話になっていたの。と言うのも、キノコホテルを7年やってきたなかで、実演会のお手伝いとして雑用をやってくれたり、ワタクシの熱狂的な胞子として実演会に通い詰めてくれた子たちがいたのね。そういう子たちを最近見かけないなと思っていたら、「なんでも病んじゃって大変だったみたいよ」みたいな話をけっこう聞くわけ。ワタクシと関わることでおかしくなってしまう人たちが多々いると。そんな話を執事のサミー(前田)さんにしたら、「アナタに関わった人はだいたい頭がおかしくなっちゃうんだよ。呪いだよ、呪い」とか言われて(笑)。じゃあ次のアルバム・タイトルは“呪縛”にしましょうよ、ってことになったの。だから今回は先にタイトルが決まっていました。
──で、“呪縛”と言えばヴィジュアル的には蛇(ジャングルカーペット・パイソン)だろうと。
M:アート・ディレクターの方と打ち合わせをした時に「何か生き物を使いたい」と気まぐれに言ってみたら、その方に「蛇はどうですか?」と提案されて、その場で決まったの。「じゃあ蛇を連れてきて」って(笑)。
──ジャケットを見る限り、かなり重そうな蛇ですね。
M:ズッシリ重かったわよ。蛇って、獲物をギューッと締めて骨を砕いて呑み込みやすくする習性があるらしいの。だからワタクシも撮影中に首を締めつけられて、何度かオチそうになりました。ちょっと気持ち良かったですけどね(笑)。そんなジャケットも含めて、今回は自分でも満足の行く作品をつくれた自負があるわ。
──作品づくりと実演会、それぞれの楽しさと苦労があると思いますが、より自分らしくいられるのはどちらですか。
M:自分自身を剥き出しにできるという意味では実演会でしょうね。ステージの上では裸を見せているようなものなので。バンドの初期の頃は、音楽をやることよりも格好をつけることのほうが自分のなかでは重要だったのよ。そもそも音楽をやりたくてキノコホテルを始めたわけじゃなくて、人前で自分をアピールするお遊びをやってみたかっただけなの(笑)。今以上にナルシストだったと思うし、今にしてみれば目も当てられない有様だったと思うわ。でも今は全然そんなことは考えていなくて、その日ステージに立った気持ちのままに自分自身をぶつけている。剥き出しの自分を曝け出せるという意味でも、ステージの上にいる時が一番自分らしくいられるのかもしれないわね。