顔で唄い、顔で弾くのが大事
──カバーはもう1曲、バイクボーイさんがボーカルを執ったブラック・キャッツの「涙のバースディ・キャンドル」が収録されていますが、これは3月に亡くなった山崎眞行さん(ピンクドラゴン代表)に捧げる意味もあるんですか。
KOZZY:うん。バイクボーイがスタジオに来たら「今回はお前、この曲ね」って問答無用に唄わせた(笑)。ブラック・キャッツはファーストが出た時も予約して買ったぐらい大好きでね。「涙のバースディ・キャンドル」は「ランデブー」ってシングルのB面なんだけど、「シングルのB面ってこんな送りバントみたいな曲でもいいの?」って言うか(笑)。でも、僕は山崎さんと面識があったからよく分かるんだけど、50年代のアメリカのカルチャーやロカビリーを愛してやまない山崎さんの強い気持ちが凄く詰まってる印象深い曲なんだよね。とにかく愛情優先で突っ走ってるから、多少英語がおかしくてもOKみたいなさ(笑)。そんなあの時代特有のぞんざいさもけっこう好きでよく聴いていたから、ブラック・キャッツをやるならこれだろうと思って。
BIKE BOY:僕、歌はいつも凄く手こずるんですよ。世間の人に比べて唄うのが苦手なんで。だから前回同様、フジイ・マック先輩に歌唱指導をしてもらったんですけど、今回は歌も覚えやすかったんで、割とスムーズに唄うことができたんです。
TOMMY:でも、バイクボーイの歌は別にヘタじゃないよね。
KOZZY:うん。なかなかいい感じだと思うよ。
TOMMY:彼はカラオケに行くと、なぜかポケットに手を入れながらTHE 虎舞竜の「ロード」を熱唱するんだよね(笑)。
BIKE BOY:「ロード」は僕の十八番なんですよ。「ロード」なら誰にも負けません(笑)。
──「TVスターに憧れて」のトミーさんのボーカルも、なかなか堂に入ったものじゃないかと思うんですが。
TOMMY:いやぁ、僕は未だに自信がないね。多分、何となく唄っちゃうのがいけないと思うんだけど。
KOZZY:でも、何となく唄った感じのままが良かったりするんだよ。
TOMMY:僕はバイクボーイと逆で、今回は歌入れに凄く時間がかかったね。「もう唄えないっす」って泣きが入るところだったから(笑)。一度引っかかるとずっと考え込んじゃうタイプで、ダメ出しされたら次の歌入れの時まで何にも手がつかなくなるんだよ。
──コージーさんは歌のダメ出しを2人によくするんですか。
KOZZY:もちろん。その辺は昔から厳しいよ。
TOMMY:「顔が唄ってない!」とか言われるからね(笑)。
──大事なのは顔ですか(笑)。
KOZZY:「その顔じゃ唄えない!」とかね。「顔が上を向きすぎだろ!」とか(笑)。
BIKE BOY:自分が出したことのないキーだと、マイクを高めに設置するんですよ。そうやって上に向かって唄うと、ノドが開いて高い声が出るのかな? っていう。
KOZZY:まぁ、顔は大事だね。顔で唄って顔で弾くっていうさ(笑)。僕も若い頃は歌にあまり自信がなくて、凄く練習したんだよ。いろんなアーティストのビデオを見ながら研究もしたしね。「ああ、高い声を出す時はこういう顔をして持っていくんだな」とか(笑)。当時、町内でビデオのある家なんてトミーんちぐらいでさ、よく入り浸ってた。実家が喫茶店だったから(笑)。ちなみに、僕は中3ぐらいまでに一生分のTVを見たから今やほとんど見ないけど、トミーはとにかくTVばかり見てるからね。
TOMMY:普段からTVをつけながら音楽を聴いてるしね。ツアー中も、楽屋だろうがホテルだろうが必ずTVをつけてるから。昔は24時間放送じゃなかったんで、番組が終わって画面が砂嵐になると禁断症状になってたよ(笑)。
KOZZY:だから、そんなトミーのためにTVをテーマにした曲を唄ってもらおうと思ったわけ。「I wanna get back and see my TV」(早く家に帰ってTVが見たい)って歌詞、トミーにぴったりでしょ?(笑)
──確かに(笑)。アルバムの最後を飾る「ドント・ルック・バック」はコージーさんの弾き語りオンリーで、こういう締め方も今までになかったですよね。
KOZZY:なかったね。こうやって割とラフに終わるのもいいかなと思って。最初にデモを録った時、この曲はアコギで弾いてたんだけど、アコギで始まって2人が入ってくるパターンは今までもけっこうやってきたし、始まった途端に「これはいい曲だな」って感じになるのもありきたりだなと思ってさ。それでエレキを使って、途中から2人に入ってもらおうと思ってたんだけど、時間がなくなってエレキの伴奏だけになっちゃった。
──本来ならトミーさんとバイクボーイさんの演奏が加わってもうひと盛り上がりするところを、その手前であえて終わるのがいいのかもしれませんね。もうちょっと聴きたいなというところで終わるし、またアルバムの頭から聴きたくなるので。
KOZZY:まぁ、歌とギター1本だけだからわびさびを感じるところもあるし、これはこれでいいのかなと思って。『THE ROOTS』の中でも「HEART AND SOUL」でエレキの弾き語りをやって、自分でもけっこういいなと思ったのもあってね。
惰性でやる音楽なんて淘汰されていくだけ
──もうちょっと聴きたいところで終わるというのは、初回限定盤に付いているDVDもまた然りなんですよね。今年の4月に行なわれた『ダイナマイト 88' in 日本青年館』から5曲分の映像が収録されていますが、もうちょっと見たいのに唐突にエンディングを迎えるじゃないですか(笑)。
KOZZY:あれも急に終わるね。でも、ああいうもんだよ、ロックンロールは。「ん!? そこで?」って尻切れとんぼに終わるからいい(笑)。
──DVDで特筆すべきは、ローリー時代の名曲「アンダー・ザ・ムーンライト」が収録されていることですよね。あれはトミーさんのリクエストで披露されたそうですけど。
KOZZY:うん。それに、A&Rの川戸(良徳)がどうしてもDVDに入れたいってリクエストしてきてね。僕は「そこまでサービスするの!?」って思ったんだけどさ。
──コージーさんとしては、やはりちょっと気恥ずかしさがあったと?
KOZZY:まぁね。だって、ローリーのことを知らない人にはまるで意味がないじゃない?
──でも、メンバーだったコージーさんとトミーさんとフジイさんが同じフレームに映る瞬間は、何度見ても身震いしますよ。
KOZZY:そう? 僕は全然身震いしないけど(笑)。
TOMMY:僕は今もローリーの曲が好きだからね。ローリーでもステージに立ったことのある日本青年館でせっかくライブをやれるんだったら、あの時代の曲をやってみたかった。フジイ・マックもいることだしね。
KOZZY:まぁ不思議なもので、3人ともローリーの時と全く同じ立ち位置になって、顔の造りまで当時と一緒なのは笑ったけどね(笑)。
──ところで、このタイミングで『怪人二十面相』、『爆発!ナナハン小僧』、『ブルメタ★反抗期』、『フルスロットル・レッドゾーン』、『CANDY GOLD SUNSET』と過去の作品が再発されるのは、ネットオークションなどでの高価売買に待ったをかける意味合いからですか。
KOZZY:それもあるし、去年ベスト・アルバム(『ROCK'N TWIST PARADE S77-S87』)を出してから旧譜の問い合わせがけっこうあってね。旧譜が高値で取引されているのはずっと悩みの種で、元値が3,000円そこそこのCDが3、4万円もするなんて、どう考えても異常だよ。しかもそれを買っちゃう人たちがあまりにも多い。それだけマニアックな人が多いんだろうけど、やっぱり不健全だよね。だから正常な価格に戻したいという一心で再発に踏み切ることにしたわけ。
──これまで再発に二の足を踏んでいたのは、どんな理由からですか。
KOZZY:アルバムを出すたびに廃盤にしてきたのは、後ろを振り向かないでどんどん前へ進みたかったからだね。
──まさに「ドント・ルック・バック」ですね。
KOZZY:マックショウのやってる音楽っていうのは、これだけ多岐にわたるジャンルと音楽の歴史の中で言えばある一定のものであって、通過点にすぎない。そういう体で今までずっとやってきたんだけど、マックショウの歴史も10年以上経って、僕らなりのロックンロールを確立できた自負も生まれたから、ここら辺で過去の作品を再発してもいいかなと思うようになったんだよね。
──順を追って旧作を聴けば、余興の延長線上にある覆面バンドだったはずのマックショウが、10年をかけてリアルなロックンロール・バンドへと進化していく様が見て取れて面白いんじゃないですかね。
KOZZY:そうだね。最初の頃のアルバムはバーチャルなものだったから。
──それが、日本青年館でのライブのMCで「あと100年、200年ぐらいやります、マックショウ!」と言うまでになったわけじゃないですか。その言葉は、自分たちの音楽に対する揺るぎない自信の表れですよね。
KOZZY:それはある。ただ、やってることがシンプルなロックンロールだけに、単なる芸としてパパッとやれちゃうのもイヤなんだよ。そんなふうに惰性でやってるから、今の音楽はどんどん淘汰されていくわけでね。いくら大きなホールでライブをやれたって、ただアルバムを出してツアーに出て行ったら半分仕事が済んでるみたいな状況はつまらないよ。確かに小手先でロックンロールをやれと言われれば僕らもやれちゃう。でもそうじゃなくて、生みの苦しみともちゃんと向き合いながらいいものを作りたい。そういう“やらなきゃいけない感”みたいなものが、僕の中では『〜ROCKA-ROLLA』以降に芽生えたんだよ。それ以前、野音のライブで活動休止するまではいつやめてもいいと思っていたからね。でも、今回の『狂騒天国』はそこまでの気負いを感じることもなく制作に臨めた。やらなきゃいけないからやったと言うよりも、自発的にやりたくていいものを作れたしさ。