まさかの「わしは Just a Seventeen」
──今までありそうでなかった曲と言えば、僕は「不思議」がそのタイプなのかなと思って。少し憂いを帯びたメロディと疾走感溢れるビートが溶け合った、文字通り“不思議”な曲じゃないですか。
KOZZY:それもやってそうでなかった曲を作ろうとしたんだよね。ちょっと夏っぽい感じの、サラッと聴けるようなミディアム系の曲をね。そういうのを何曲か書いて、結局最後まで残ったのが「不思議」だったんだよ。不思議だよね、歌詞の中に一度も「不思議」って言葉が出てこないんだから(笑)。
──ああ、確かに(笑)。でも、聴いていると伝わってくるものが不思議とあるんですよね。ボニーとクライドのような2人が月夜の下をバイクで駆け抜けていくロマンティックな雰囲気もあって。
KOZZY:「不思議」っていうのは仮タイトルでね。ミディアムでちょっと良さげな曲ができると、それっぽいサマになるタイトルを付けるのが僕はちょっと恥ずかしくてさ。もっとアホなタイトルがいいと思って「不思議」っていう仮タイトルを考えて付けたんだけど、みんなそれが正式なタイトルでいいじゃんって言うので、「じゃ、いっか」ってことでそのままにしたんだよね。
──ガイド・ボーカルを本テイクとして残すような感じですね。
KOZZY:それこそ「狂騒天国」もそうだし、この「不思議」もガイド・ボーカルのままなんだよ。「後でどこかに『不思議』って言葉を使わないと…」なんて思いつつ唄ったボーカルのままなんだよね(笑)。でも、あれ以上のものは唄えないと思ったし、多少音程がズレてもその曲の雰囲気を如実に伝えているボーカルであれば、それに優るものはないんだよ。唄い直したらまた違ったものになるからね。
──このアルバムで一番驚いた歌詞は、何と言っても「派手にやれ!(Mach Shau!)」の冒頭なんですよね。だっていきなり「わしは Just a Seventeen」ですよ? 日本のロックの有史以来、今日のJ-POP全般を見渡しても「わし」を一人称にした曲はこれが初めてだと思うんですけど(笑)。
BIKE BOY:今までにないですよね(笑)。でも、聴いてるぶんには英語っぽく聴こえるから不思議なんですよ。
TOMMY:ヒロシマ英語みたいなものかな?(笑)
──ああいうのはやっぱり、音に呼ばれた言葉なんですかね?
KOZZY:呼ばれちゃうんだろうね(笑)。でも、著しく意味とかけ離れた言葉でもないでしょう? 「僕は Just〜」よりも「わしは Just〜」のほうがしっくりくるしさ。
BIKE BOY:歌入れをやってる時は僕もてっきり英語だと思ってたんですよ。後で歌詞カードを見て、「エッ! 『わし』!?」って驚いたんです(笑)。
KOZZY:ああ、そう? 僕は何も違和感ない。
TOMMY:僕も何も違和感ない。その部分を唄ってる本人が言うんだから間違いない(笑)。
──そうだ、「派手にやれ!(Mach Shau!)」はトミーさん、コージーさん、バイクボーイさんの順で交互に唄っているんですよね。
TOMMY:それも今までにないパターンだよね。
KOZZY:アルバムが始まって、こんなに早くトミーの歌声が聴けるパターンもないしね(笑)。最初は僕が1番を唄う予定だったんだけど、「わしは Just〜」って歌詞のハマり具合があまりにいいからトミーに任せたんだよ。「これはもう『I Saw Her Standing There』を超えてるぞ!」と思ってさ(笑)。
──その「わしは Just〜」という歌詞然り、「目が覚めたら全部嘘」や「不思議」というタイトル然り、平易な言葉で強い印象と余韻を残す言葉遣いのセンスがコージーさんにはありますよね。ああいう言葉は普段から書き留めておくものなんですか。
KOZZY:面白い言葉をメモしておくこともあるけど、そういうのは得てして残らないね。みんながいいと言ってくれるような最終的に残る言葉っていうのは、特にメモをしてなくても僕の頭の中に残っているものなんだよ。それか、メモしておいたものを一度寝かせて、曲の雰囲気に合わせて書き直したものはけっこう残るかな。
──これはロックに限らず、思わずハッとさせられるような引っかかりのある歌詞がJ-POPでも少なくなってきたように感じるんです。ブログやツイッターの延長線上にあるような薄っぺらい歌詞ばかりで、ひねりも言葉遊びもない。そこへ行くとマックショウの歌詞は、シンプルな言葉を掛け合わせただけで広がりのある情景が瞬時に目に浮かぶし、ユーモアのセンスも充分にありますよね。
KOZZY:誰もが感じていることを歌にする役割がJ-POPにはあると思うんだけど、昔の歌謡曲は専門の作詞家がいて、そのフィルターを通していろんな言い回しや物語を盛り込んでいたから面白かったよね。それに比べて今は誰でも書けそうな歌詞をベタに書くだけだし、面白味には欠けるんじゃないかな。だけど、要は聴く人がそのレベルってことだよ。分かりやすいがゆえに人気があるんだと思う。
心地好いメロディに絶妙な言葉を乗せる楽しみ
──マックショウの歌詞も凄く分かりやすいのに、心に響くものがちゃんとあるじゃないですか。コージーさんの言葉遣いというのは、やっぱり他にはない独特なものだと思うんですよ。
KOZZY:まぁ、他にないからこそ自分で作ってるんだろうしね。自分で作る以上は自分らしいものを作りたいって気持ちも少しはあるけど、あまりそこにはとらわれないようにしてる。頭に浮かんでくる言葉をつらつらと書き連ねることのほうが多いからね。ただまぁ、ポップ・ミュージックの世界で勝負している以上、普遍性の高い歌詞を書くべきだとは思うけど、別に唄いたいことがないんだったらありきたりの歌詞なんて書かなきゃいいのになっていう思いはあるかな。今のJ-POPの大部分は、その「ありきたり」って感覚が文字通りごく「ありきたり」なんだろうね。僕の「ありきたり」とみなさんの「ありきたり」は多分違うんだよ。僕は誰にでも書けるような「ありきたり」の歌詞は書きたくないし、心地好いメロディに絶妙な言葉を乗せて楽しみたいだけなんだよね。
──本作ではその絶妙な言葉の乗せ方の精度が上がっていると思うんですが、それはコージーさんが本場のロックンロール・クラシックスをカバーしたソロ・アルバム『THE ROOTS』を制作したことも関係しているんじゃないでしょうか。全編英語の曲と格闘していたからこそ、日本語のロックを創作する欲求に飢えていたと言うか。
KOZZY:確かに。今回入れた曲は全部『THE ROOTS』を完成させた後に作ったし、前作から持ち越した曲はひとつもないしね。なんて言うか、シンプルなロックンロールのコード感と日本語のフォーマットという制約の中でメロディと歌詞を作って、1番から3番の歌詞の中で物事を言い切りたいわけ。題材にも制約が一応あって、携帯電話は出てこなかったりね。
BIKE BOY:せいぜい家の黒電話か赤い公衆電話ですよね。昭和語変換ソフトでもあるのか? っていう(笑)。
KOZZY:そういうイマジネーションが歌やメロディと上手く絡み合って、脳内で映像が生まれるじゃない? マックショウはそれが面白い。トミーが唄う「TVスターに憧れて」も、子どもの頃にTVの西部劇を見ていた週末の情景が目に浮かんだりしてね。待ちこがれた週末の高揚感みたいなものは、「ナナハン小僧のテーマ」とかにも共通するテーマなんだけどさ。
──そういう日本人だからこそクスッとできる瞬間がマックショウの曲にはありますよね。外国の人が「リンカーン・コンチネンタル」という思わずニヤリとするタイトルの曲を聴いても、普通にいいなと感じるだけだろうし(笑)。
KOZZY:単純に「フォードの高級車の曲か」って思うだけで、そこに浪花節は感じないよね。ファンの人はタイトルだけ見ればどういう曲か分かるんじゃないかな(笑)。
──デビュー前のビートルズもレパートリーにしていた「スリー・クール・キャッツ」は、“スリー・クール・マック”だけのレコーディングを記念してのカバーですか。
TOMMY:そんなところだね。やってみたら意外と暗い曲だったんだけど(笑)。
KOZZY:ちょっと地味だったかもしれない(笑)。でも、ロックンロールのアルバムにはそういう曲が必ず入っているからね。これも最初に録った曲だったんだけど、全体的にその地味なトーンが覆っていたんだよ。これじゃよくあるロックンロールのアルバムになっちゃうと言うか、突き抜けないなぁ…と思った。それで思い切って全部録り直したわけ。
──意表を突いたカバーなのがサンハウスの「ロックンロールの真最中」(通常盤のみ収録)ですよね。マックショウがめんたいロックの総本山を!? と驚いたんですが、これが思いのほかハマっていて、ちゃんとマックショウの曲になっているのが不思議で。
TOMMY:僕はサンハウスっぽく弾いたつもりなんだけどね(笑)。
KOZZY:僕も鮎川(誠)さんを意識して黒いレスポールで弾いたんだけど(笑)。
BIKE BOY:それでもやっぱり、マックショウになっちゃうんですよね。
KOZZY:日本のロックのカバーもだいぶやり尽くしたつもりでいたけど、友人の薦めでサンハウスはどうだろうってことになってね。サンハウスと言えば僕の中では「ロックンロールの真最中」というイメージがあって、聴き直してみたら凄く新鮮に響いてさ。ブルースを根幹に据えたバンドだけど、歌も演奏も彼らにしかできない日本語のロックンロールとして昇華させているんだよね。実際にカバーしてみて、サンハウスの凄さが改めてよく分かったよ。
TOMMY:ああいう曲って、いざやってみると凄く難しいんだよね。簡単にチャチャッとできそうな気がするけど、実はよく練られていて難しい。