Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビューLOUD MACHINE 西村茂樹(Rooftop2013年8月号)

「いらないものなら拒める。戦争、原発、差別」

2013.08.09

 僕にとって今年上半期で最も驚いた音楽ニュースがLOUD MACHINE(ラウド・マシーン)の再始動だった。THE LOODS、THE GROOVER、LOUDSといった数々の重要バンドを率いてきた西村茂樹が、自身の代名詞ともいえる"LOUD MACHINE"の名を冠して結成した新バンドのメンバーは、Vo&Gの西村の他に、G&Voの恒松正敏(ex.FRICTION, E.D.P.S.)、G&Voの加藤"カトケン"健(ex.えび)、Baのワカ(ex.LIZARD)、Dsの大島香(ex.THE BELL'S)という最強の布陣だ。3月7日の初ライブでは、昔を懐かしむような暇など全くなく、3.11以降の世界で鳴らすべき現在の切実な音楽を満場の聴衆に叩き付けた。いま最も観るべきバンド、LOUD MACHINEの西村茂樹に語ってもらった。(Interview:加藤梅造)

 

震災直後は全く余裕がなかった

 
──まずは、LOUD MACHINEが現メンバーで再始動するに至った経緯を教えて下さい。
西村 2007年にTHE LOODS(ルーズ)の旧譜が一気に再発になったタイミングで、1日だけ新宿ロフトでライブをやったんです。それは俺も久しぶりのライブだったんだけど、それでちょっと火が点いた所があって、その年の暮れに伊藤秀孝(元GYMNOPEDIA)、ヤマジカズヒデ(dip)、サワサキヨシヒロ、須藤俊明(元MELT-BANANA)というメンバーでLOUDS(ラウズ)というバンドを始めたんです。それはメンバーチェンジもありながら2010年ぐらいまで続けてたんですが、ベーシストが抜けて一旦活動が止まっていたんです。そうこうしているうちに2011年の3月11日を迎え、それで俺がバンドどころではなくなってしまった。それからは仕事とボランティア活動を両立させながら、プライベートでは家族を沖縄に避難させたりというのもあって、バンド活動に向かう余裕は全くなくなってしまった…。
──西村さんとは3.11後の脱原発デモで何度か会っていたので、被災地でボランティア活動を熱心にされていたのは知ってたんですが、その後再びバンド活動に向かうきっかけは何だったんですか?
西村 それはワカさんに出会ったことですね。LOUDSの頃に一度リザードと対バンしたことがあって面識はあったんですが、ちょうど震災後1年目の3.11の脱原発デモ(2012年の「3.11東京大行進」)でワカさんと再会して、その後も金曜官邸前抗議行動などでちょくちょく会うようになって、ある日LOUDSのCDとDVDを渡して「今、ベースがいないんですけど、どうですか?」って打診してみたんです。で、まさか引き受けてくださるとは思ってなかったんですが、すぐに「俺でよかったらやらせてくれ」と返事がきて、それでLOUDSを再始動することを決めました。その時点で他のメンバーは揃っていて、ギターはうちの妻(元メスカリン・ドライヴ/ソウル・フラワー・ユニオンの永野かおり)の紹介で入った加藤健、ドラムが元THE BELL'S(ベルズ)の大島香、…ベルズは俺が在籍してた頃のTHE GROOVERS(グルーヴァーズ)と同時期にメジャー・デビューした関係で、よく対バンをやってたんです。それと、恒松正敏さんはヤマジがdipで忙しい時に何度か代打で弾いてもらっていたので、「LOUDS再開したいんで、また弾いてもらえませんか?」ってお願いしたら、「いいよ」とすぐに引き受けてくださった。
──なるほど、当初はあくまでLOUDSの再始動ということだったんですね。
西村 そう。それが、俺がLOUDSを再始動することを知ったソウル・フラワー・ユニオンの中川敬から「西村くんがやるんやったら、もうLOUD MACHINEでええやん!」とアドバイスがあった。俺自身としてはLOUD MACHINEという名前は昔(80年代)のバンドのものなんで、最初はちょっと抵抗があったんだけど、いろいろ考えた末、それもいいんじゃないかと思うようになって。それで昔のメンバーにも「どう思う?」って相談したら、みんな「いいんじゃない」って言うんで、「よし、LOUD MACHINEで行こう!」ということになったんです。
──加藤さんと大島さんは西村さんと同世代ですが、ワカさんと恒松さんは1世代上で、しかもリザードとフリクションという東京ロッカーズの2大バンドの人でもあるので、最初聞いた時は驚きました。
西村 俺自身、上の世代の人と一緒にバンドをやるのは初めてでもあるし、もちろんリザードもフリクションもよく聴いていたんだけど、俺としてはそういう「看板」ではなく、あくまでも一緒にやろうという「気持ち」が大事でした。
 

音楽の持つ力を再認識した

 
──2011年の暮れにソウルフラワー震災基金のために一回だけTHE LOODSを再結成してますが、それもきっかけとしてはあったんですか?
西村 それは別ですね。2011年のTHE LOODS再結成はあくまでも復興支援ライブという目的のためだけだったので、ボランティア活動の一環でしかなかった。
──西村さんは震災後、早い段階で被災地に入られていますよね。
西村 仕事でいわゆる障がい者ヘルパーをやっていたので、震災直後に被災地の障がいを持った方々が大変な状況に置かれているということを聞いて、何かできることをやらなきゃと思っていろいろ調べたんです。それでボランティアを志願した所「被災地障がい者センターみやぎ」を紹介されて、主に南三陸町を担当することになったんです。
──ソウル・フラワー・みちのく旅団が被災地出前ライブ・ツアーで南三陸町を訪れてますが、そこに立ち会った経験も今の音楽活動につながってるんじゃないですか?
西村 そうですね。彼らは阪神淡路大震災の時からソウル・フラワー・モノノケ・サミットとして民謡や流行歌を演奏して被災者を励ますという活動を無償でやっていて、ああいったことは俺にはできないんだけど、彼らの手伝いをすることで、音楽の持つ力を再認識したというのは大きかった。自分の中でも音楽をやりたいという気持ちが沸いてきたというのはありますね。
──一方で、金曜官邸前抗議行動のスタッフとして脱原発運動にもずっと参加してますよね。
西村 俺はミサオ・レッドウルフさんが主宰しているNO NUKES MORE HEARTS(註:原発や核の再処理工場に反対する目的で2007年から活動している非営利グループ)のスタッフをやっていた流れで今の首都圏反原発連合にも参加するようになったんだけど、最初のきっかけは、1986年のチェルノブイリ事故の後に松沢呉一さんに薦められて広瀬隆さんの著書『危険な話』を読んだことですね。それで一気に原子力産業の裏側を知ることになった。その頃、反核・脱原発の音楽イベント「アトミック・カフェ・フェスティバル」というのがあって、それにはTHE LOODSでよく出てました。
──アトミック・カフェは1987年に一旦終わってますが(2011年にフジロックで復活)、当時はそれほど盛り上がらなかった?
西村 いや、一時はすごく盛り上がったんです。ただ、長く続かなかった。そこは中川敬ともよく話すんだけど、俺たちはあの時「やりっ放しだった」事に対して、すごく責任を感じています。あれをちゃんと続けていれば、もっと違った現在があったんじゃないかと、そんな後悔をしている人は、他にもたくさんいると思う。
 

今は「この曲を歌いたい、歌わなきゃ」という気持ち

 
──そういう経緯を聞くと、やはり今回のLOUD MACHINEは3.11後、必然的に生まれた気もします。
西村 それはありますね。LOUDSをやっていた時は、とにかく前に行きたいという気持ちが大きくて、どんどん自分を刷新して行きたかった。だから昔の曲をやって欲しいと言われても、それよりも新しい曲をやりたいという気分だった。3.11以降は「いつまでできるかわからない」という切羽詰まった気持ちもあって、「とにかく今やらなきゃ」と思うようになった。だから昔の曲を聴きたいという人がいるなら応えるし、とにかく自分ができることは全てやろうと。
──ソウル・フラワー・みちのく旅団が「男はつらいよ」から「アンパンマンのマーチ」までなんでも歌っちゃうのに近いですよね。
西村 そうですね。彼らの有り様はすごく刺激になってるし、うらやましいとも思う。自分もできる限り表現の幅を広げていきたいな、と。LOUDSじゃできなかったと思うけど、リクオが作った「アリガトウ サヨナラ 原子力発電所」をLOUD MACHINEで初めてカバーした時は、不安だったし、最初にライブでやった時は賭に出るような気持ちだった。でも、実際やってみたら予想以上にお客さんに受け入れられて、かなり励みと自信になりました。あと、もう1つの変化としては、LOUDSを始めた頃は形骸化していたパンクに対しての苛立ちがあって、「これが本物のパンクだ!」っていうものをやってやろうという気持ちだった。でも今、LOUD MACHINEをやるにあたって「パンクをやる」とは、俺は一言も言ってない。少なくとも俺自身はパンクをやろうという気持ちより、自分ができ得る良い音楽、最良の表現に努めていきたいと思ってます。
──先日のライブでグルーヴァーズ時代の「Rock'n'Roll 90」をやってましたが、一部歌詞を変えてましたね。
西村 それはたった一言変えただけで、元の詞は「いらないものなら拒める。戦争、国境、差別」だったのを「戦争、原発、差別」にした。まあ、俺の考えてることが20数年前とあんまり変わっていないという(笑)。
──変わってないという意味では、80's LOUD MACHINEからの曲で西村さんの代表曲でもある「HEAVEN」は、福島原発事故以降の今の方がよりリアリティを持って聞こえてきます。それは悲しい現実でもあるんですが。
西村 LOUDSでも「HEAVEN」は1回ぐらいライブでやったと思うんだけど、それはレパートリーのバリエーションというだけで、それほど歌う必要は感じてなかった。でも3.11以降は自分の中の選曲の基準も変わってきて、今は「この曲を歌いたい、歌わなきゃ」という気持ちでやってます。
──歌詞の中の「愛すべき者たちがすべて失われる 悲しい瞬間はあってはならない」という一節を聴くと、震災を人間が防ぐことはできないけど、原発事故は防げるし、なくすこともできると、僕はいつも思います。
西村 もちろんそういう意味もあります。まあ、曲は聴いた人に自由に解釈してもらいたいから、あまり歌詞を補足するようなことはしたくないんだけど。画家が絵を描いて、役者が演技をして、小説家が文章を書いて表現するように、シンガーは歌を歌って思いを伝えるのが本来の姿だと思うから。
──あと恒松さんのボーカルでE.D.P.S.の曲を聴けるっていうのはめちゃくちゃ嬉しいです。考えてみたらLOUD MACHINEはツイン・ボーカルでいけるのもすごいなと。
西村 恒松さんに歌ってもらうのは、個人的に俺が聴きたいからっていう(笑)。あと、加藤健にもえび時代の曲を歌って欲しいと思っていて、「永田町爆破計画」みたいな、これが当時よくCDに入れられたなってやつとか(笑)。
──それをいま官邸前抗議をやっている西村さんとワカさんがやるのもすごいですけど(笑)。しかし、リクオさんの曲から、E.D.P.S、えびまで、LOUD MACHINEは懐が深いですね。
西村 節操がないというか(笑)。でも、意義のある節操のなさ、何でもありの「爆音エンターテイメント」、当面はそんなものを目指してやっていこうと思ってます。
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LIVE INFOライブ情報

 

8月18日(日)新宿NAKED LOFT
LOUD MACHINE Presents ''PROTEST AND SURVIVE''
『第1回 プロテスト・フォーク・ジャンボリー』
【出演】
●ジンタらムータ with リクル・マイ
●恒松正敏 & Waka
●西村組(西村茂樹、加藤健、大島香 from LOUD MACHINE)
●河村博司 with 磯部舞子 (vln.)
●ナラカズヲ
 
OPEN 17:30/START 18:00
ADV ¥2,500/DAY ¥2,800(+1Drink)
Info:Naked Loft 03-3205-1556 
 
9月29日(日)吉祥寺ROCK JOINT GB
“69 Paradise”
【出演】
●LOUD MACHINE + 1
(西村茂樹/恒松正敏/加藤健 /ワカ/大島香/小松正宏 from bloodthirsty butchers, FOE, SOSITE)
●鮭酢豚(サーモンスートン)
●HHR THRILL LOUNGE
 
OPEN 18:00/START 18:30
ADV ¥2,500/DAY ¥3,000(+1Drink)
Info:GB 0422-23-3091
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