昨年5.29に初ライブを行い、海外ツアーやKEN.MORIOKAとのコラボCDをリリースするなど精力的に活動を行い、今年の動きにも期待が高まるZIZ。
聴く側に真っ直ぐに届く歌声で、ボーカル&ギター、ピアノ、ドラムという3ピースにより独特の世界観を放つTHE JUNEJULYAUGUST。
今回の競演をきっかけに、過去に同じバンド・メンバーとして活動していたKözi(ZIZ)と高野哲(THE JUNEJULYAUGUST)による対談が実現した。(interview:重田 磨美/camera:大参 久人/撮影協力:The Cluracan)
MALICE MIZER時代を振り返って
高野:18歳の頃に働いていたバイト先が同じ系列店だったんですよ。高校生の時に何回かその店に行ったことがあったんだけど、店員が皆いかつかったから、ここで働いたら面白い奴らと知り合えるんじゃないかと思って卒業してからすぐ働き始めたんだよね。
Közi:高校出てるんだっけ?
高野:出たよ。
Közi:…ふ~ん。
―ふ~んって(笑)!!
高野:当時、Köziは車で暮らしてたくらいだからね(笑)。
Közi:そうそう、新潟から上京したての頃は野宿してたからね。
高野:何歳の時に上京して来たんだっけ?
Közi:17歳の時だよ。そのお店で働くまではいろんな職種のバイトをやってた。
―お二人が働いていたところはどんなお店だったんですか?
高野:飲み屋なんだけど、今思えば少々いかがわしい雰囲気のところだった(笑)。
Közi:ホウキ持って(B'zの)「BAD COMMUNICATION」とか踊ったりしてたよね。
高野:そうそう!ステージの上でカラオケが歌えますっていうのがその店の売りだったんだよね。お客さんにリクエストされた曲を店員が順番通りに流していくんだけど、ステージの上で歌うからお客さん同士が入り交じって盛り上がってたね。最高潮の盛り上がりをみせたら「BAD COMMUNICATION」をぶっこむ、っていうのが定番になってた。
一同:(笑)
Közi:今あるようなカラオケ機器ではなく、DATやカセットテープで曲を流してたよね。
高野:そうそう!で、本来ならリクエストされた順番通りにかけていくべきなんだけど、「この曲が来たら次はこっちの曲でしょ!」って感じでその場の雰囲気で流したり。チェッカーズの「Song for USA」がリクエストで入ったら、必ずその前にLAUGHIN'NOSEの「SONG FOR USA」のイントロをかける、みたいな。
Közi:そうそう!やってたね!
高野:するとパンク好きのお客さんが盛り上がったり。そうやって皆でどんどん店を作っていくような面白いところだったよね。
―お互いの第一印象はどうでしたか?
高野:「Köziっていう面白い奴がいるよ」ってバイト仲間から紹介されたんだよね。初めて会った時は「目つき悪い奴だな~」と思った。例えば、「この人見たことあるな~」っていう人と路上ですれ違って振り返っただけなのに、喧嘩を売ってると勘違いされるタイプ。それでよく絡まれてたよね。
Közi:恐いバンドの先輩達に殴られてたな~。
高野:それをよく俺が間に入って止めてました。
Közi:あと、当時は前歯が1本無かったからね。
一同:(笑)
―何で歯が無かったんですか?
Közi:小学校低学年くらいの時に、生えかけの永久歯を鉄棒にぶつけて折れちゃったんだよね。成長していく度に残った前歯がどんどん真ん中にズレて、バカボンの本官さんみたいなニュアンスになっちゃったの。
高野:ニュアンスって言われても分かんないけど(笑)。
Közi:バンドとして精力的に動き始めた頃に、そろそろちゃんとした方が良いかなと思って、歯をジャキーンとパイルダー・オンしたんだよね。
高野:パイルダー・オンって、マジンガーZのことね(パイルダー・オン=主人公がコクピット部分であるホバー・パイルダーに乗って、マジンガーZの頭部に連結する動作。ここでは歯列矯正という意味)。
―解説ありがとうございます(笑)。
高野:自分のギャグが全部、世間に通じると思ってるから(笑)。
―Köziさんから見た哲さんの第一印象はどうでしたか?
Közi:俺はまだ新潟弁が抜け切れてなかったから、話し方や言葉遣いが東京の人だな~って印象を受けたね。
高野:それはよく言われたな~。
Közi:あと、髪型がストレート・ロングで鬼太郎みたいに片目だけ隠れてたよね。
高野:そうそう。女子に触らせて~って言われるくらいストレートだった。俺はカラーリングはしてなかったけど、同僚は皆カラフルな髪色だったね。Köziはアミダばばぁみたいな髪型してたよね。
一同:(笑)
―その頃はお互いにバンド活動をされてたんですか?
高野:やってたね。でも、俺の周りには、メジャーに行くにはこうしなくちゃいけない、みたいなちょっと背伸びした連中が多くて、なんかつまんないな~と思っていたところに現れたバカがこいつだったの(笑)。「こいつはイカしてるぞ!」と思ったんだよね。だから、一緒にバンドやりたいな~と思って、いくつかデモテープ作ってKöziに渡したんだよ。後日、「デモテープ聴いてくれた?」って聞いたら、「え?貰ったっけ?」とか言われて。
Közi: LOVE ATTACK2.5の時にデモ作ったのは覚えてるけど。
高野:それいつくらいだろう?MALICE MIZERと同時進行だったかな。遊び感覚のバンドだったけどDaisy Chainsawのパクリ・バンドみたいなのを二人で作ったんだよね。
―そのバンドでは何回かライブされたんですか?
Közi:企画物みたいな感じで、誰かのライブの時に1~2回やったくらいかな。
高野:でもそのバンド組む前にも渡したよ。そうやってKöziにラブコール送ってたら、「バイト先に入ってきた面白い人に一緒にバンド組まないかって誘われてるんだけど、哲歌わない?」って言われて。それがmanaちゃんだったの。
Közi:manaちゃんはその頃、緑色の髪の毛だったよね。
高野:そうそう。巨大なモヒカンだったよね(笑)。(manaちゃんは)大阪でハードコア・バンドやってたしね。俺が中学生の時に聴いてたRainbowとか、ちょっとクラシック寄りのハードロックな匂いがする曲をやっていて、それだったら俺も分かるかな、って。当時のバカ代表Köziと、もの凄いヴィジョンを持っているmanaちゃんがいて、これはきっと面白いんじゃないかな、と思った。それがMALICE MIZERに入るきっかけだったんだよね。先導を切るmanaちゃんと、「これは面白い」と思ったら飛びつくタイプのKözi、そして皆を支えるyu~kiちゃんという感じでチームが出来てた。当時20歳くらいの奴らが集まって、漠然と、「世界取ってやるぜ!」みたいな気合いが溢れてた。
Közi:バンドとはこういうスタイルだっていう定義を崩したいというか、他の人達と同じことをしたくないという気持ちがあったよね。
高野:当時は全部やられてた感があったもんね。
Közi:そうだね。楽器持たずに踊るなんて最初は抵抗があったけど、そういう見せ方もしてみようかなと。
高野:俺が一緒に活動してたのは2年くらいなんだけど、ボーカルだったから脱退したことでメンバーに迷惑かけて申し訳なかったと思ってる。ボーカルってやっぱりバンドの窓口だし、manaちゃんのヴィジョンが崩れないようにやってたんだけど、人気が出ていく度に、なんか違うな、と思うようになってきて。
Közi:活動していく内にmanaちゃんの発想がどんどん飛躍していって、俺もその勢いについていくのが大変だった時もある。でも哲を見てたら本当に辛そうだなと心配になってた。元々メンバーに呼び込んだのは俺だったしね。
高野:その頃、Köziやkamiとよく話したね。今、俺がやってるバンドって全然スタイルが違うから、「元MALICE MIZERなんでしょ?」ってマイナスなイメージで言われることが多いんだよね。俺はその過去が嫌だと思ったことはないんだけどね。MALICE MIZERは大きなバンドになったし、パワーを持ってた。今振り返っても、その熱量ってすげーなって思う。他人を他人と思わず、大事に想い合うことが出来る人間が集まったところにmanaちゃんの巨大な脳みそがあったんだよ。
―バンド・メンバーである前に仲間という感じだったんですね。
高野:そうだね。バットとグローブを持っていたのを、ギターとベースに持ち替えてみよう、みたいな。これは面白いぞって皆で集まってワクワクしながらやってたことは一生残る大事なものだと思う。