2007年vo./gt. 森良太とba. 白山治輝を中心に大阪にて結成。翌年には10代限定ロックフェス「閃光ライオット」にて準決勝を得て、本格的に活動を開始させる。幾度のメンバーチェンジを経て、昨年gt. 小川真司、Dr. 田中俊汰を迎え今年7月4日に初の全国流通盤『Sister』をリリースさせる。これまでに自主制作盤をリリースし、全国ツアーや海外遠征を経て生み出した、絶対の自信と希望に満ち溢れている彼らに是非触れてみて欲しい。(interview:新宿ロフト/樋口寛子)
写真左から:小川真司(Gt./Cho.) / 白山治輝(Ba./Cho.)/ 森良太(Vo./Gt.)/ 田中駿汰(Dr./Cho.)
その才能にはずっと尊敬をしていた。
── まずはバンド結成のいきさつを教えてください
白山治輝(ba./cho.):ボーカルの森と高校が一緒で、同じ軽音部に所属していたんです。それで、2007年にBrian the Sunを結成して、ツアーであちらこちら回っているうちに、当時のギターとドラムが勉学を理由に脱退し、その後高校生の頃から出演していたライブハウスで知り合ったギターの小川が加入しました。
── 学生の頃からギター少年だったんだろうなと想像出来る弾きっぷりですよね(笑)。
小川真司(gt./cho.):持っているだけで全然弾けなかったです(笑)。
白山:森の直感ですが、「彼なら弾ける!」というのが当時からあったんです。
森良太(vo./gt.):でも100%ヴィジュアルだけですよ(笑)。バンドでステージに立ったときに僕ともベースともキャラクターが違うし、小川が加入したらピリッとするかなと思い声を掛けました。
小川:僕が加入した時は、1ヶ月後にレコーディングと、フィリピンに行く事だけは決まっていました。
── 何でまたフィリピンに?
白山:他のバンドと同じ活動をしたくなかったんです。それで、フィリピンに行けるらしいという話があったので行ってきました(笑)。
小川:フィリピンに行く人はあんまりいないだろうなと思いますけど(笑)。
森:日本のライブハウスって、機材が充実しているし照明も綺麗だから、そのステージに立ってかっこ良くなかったら終わっているなと思ったんです。だけど、フィリピンは案の定、機材がボロボロで凄かったです(笑)。
白山:初心に戻れた感じがしました。
小川:あと僕が加入した時には、“閃光ライオット”で準優勝していました。
白山:“閃光ライオット”のおかげで良い意味で人生が狂い、音楽で飯を食っていけたらいいなとふわりと思うようになったんです。
── 今のメンバーで固まったのはいつですか?
白山:去年の4月2日です。それまではメンバーがコロコロ変わり、3ピースの時代もあったしドラマーは5〜6人は変わりましたね。
── 先程お話に出た“閃光ライオット”出演時は皆さんは高校生だったんですか?
白山:高校3年生でした。夏フェスに出演してみたくて“閃光ライオット”なら出演が出来るかと思って応募したんです。応募した後は、応募した事をすっかり忘れていたんですけど、二次審査お知らせの封書が届き、その後メンバーと相談して3ヶ月もスタジオに入っていない状況ではあったんですが、練習をして準優勝まで行くことができました。
森:治輝は「何かやろう!」とした時、必ずやり遂げるんです。僕は高校時代彼の事が嫌いだったけど、その才能はずっと尊敬していて、そんな彼が高校卒業までに夏フェスに出演したいという話をしていたので、その言葉を信じて一緒にバンドを組むことにしたんです。夏フェスに出演が出来たら夢が叶うかもしれないと思い応募したところ、高校在学中に小さいけど夏フェスには出演が出来たし、夢が叶えられたという部分では今でも自信になっていますね。
── では“閃光ライオット”で準優勝をした当時、高校を卒業してもバンドを続けてることを想定していましたか?
白山:してなかったですね。大学に行っていたと思っていましたから。
森:僕はソロでもバンドでも音楽をやっていけたらいいなと思っていました。思えば「閃光ライオット」がきっかけでしたね。