人と繋がるタイミングが転機となる
── 『葛飾ラプソディー』は、アニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主題歌ですね。初めてのタイアップですか?
「そうです。この曲は今回初めて自分の活動歴の中に入れ込みましたけど、もともとは提供曲だと思っていたんです。最後の最後まで自分が歌いたくないってだだこねて。もともと“堂島くんの声で歌ってくれ”っていうオファーなんですけど」
── でも歌いたくないって(笑)。
「もっと言うと、このオファーの半年ぐらい前に“『トゥインクル』に入っている1曲の歌詞を全部変えて、この曲をオープニングテーマにしてほしい”って言われたんですけど、それは嫌だと断っているんです。20歳ぐらいの若造が、“無理です”って言って。やればいいのに。今ならすぐやりますよ(笑)」
── 20歳では無理ですよね。
「で、断ったんだけど、さらにその後に“歌詞は用意するので、これに曲を付けて堂島くんの声で歌って欲しい”って。それでもだだこねて、結局自分のアルバムには入れなくて良いという確約を取ったんです。“シングルも出したくない”って言っていたほどで。なぜかと言うと、今だったら自分がやってきた歴史もあるし、“これから作る1曲のほうがさらにすごいの作るから”って言えるんだけど、当時は“これが自分のやりたいことではないんです”ってちゃんとインフォメーション出来る場所がなかったので、これだけで評判になることがすごく怖かったんです。自分のアルバムが聴かれる事よりも、毎週日曜19時にアニメで流れた方がたくさんの人が聴くというのはわかっていたから。ただ、これをやったことで、今フェスとかで歌うとすごい盛り上がるんですよ。当時子供だった人達がフェスに来る世代になって、キッズとアニメのためにやって良かったなって今は思います。あの時は、家の玄関に“こち亀”って書かれたりもしましたから…」
── “こち亀”のお兄さんだと。
「でも今考えたら転機ですよね。“○○の人”って言われることって大事じゃないですか。今振り返ると、1人の音楽家として3枚目のアルバムを作ってみんなの目が変わったということと、『葛飾ラプソディー』やって世の中に堂島孝平って人がいると多少でも思わせることができたというのは転機でしょうね」
── それが1997年ですね。それ以降はいかがですか?
「SMAに所属するタイミングがあるんですけど、そこら辺からの快進撃でしょうね。快進撃って敢えて言いますけど(笑)。『セピア』(2000年2月2日)を出して、その後にGO-GO KING RECORDERSのみんなと出会って、『サンキューミュージック』(2001年5月19日)というアルバムを作るというのが2つ目の転機ですかね。このアルバムを出すぐらいの時に、KinKi Kidsへの楽曲提供が始まっているので。世間が2000年問題ぐらいの時、堂島孝平的にはだいぶターニングポイントでした」
── その後KinKi Kidsに始まり、多くの方に楽曲提供をされていますが、提供する曲はご自分の曲を書く時の感覚とは違うんですか?
「違いを付けて作るわけではないんですけど、あるとしたら歌詞の方ですね。曲調は常にショックがあってキャッチーなものが好きだというのがあるし、良いメロディーを作る事は根底にあって、あとは歌詞でこういうことを言わせたいとか、こういうことを言ったほうが面白いよねっていうことに、向こう側の制作の方にロマンがあればあるほど、すごい面白い事を思いつきます。音楽家として新たなことにチャレンジ出来るというのは、すごく楽しいことですし。シンガーソングライターとして、楽曲提供することが実力の証明という側面があるので、そこにちゃんと乗っかれてるという喜びがあるんです。デビューしてからターニングポイントとかでよく思うのが、何かと何かが繋がったタイミングなんじゃないかと。ライブで最初は興味なさそうに見ていた人が、最終的にすごく踊ってたという感じが嬉しくてライブをやってるみたいなもので、ああいうことの極みだと思うんです。だから、誰かと友達になるということも、相手が自分を面白いと思ってくれたからその通用口が開けて繋がっていくと思うんです。ターニングポイントと言ってるところは、その快感がすごくカオティックにありますね。音楽を作る事も発明力が高くないとと思いますけど、人がどう出会うかという発明もすごくあると思っていて、そういうことが大事だと改めて思いますね。音楽家としても、1曲作るたびに“誰かが初めて聴く曲になるかもしれない”というワクワクがあってずっとやり続けてるし、それに尽きると思います」
── 今まで何百曲と作ってきてますから。
「そこで一貫してどう通用させたいかって話になってくると、“僕はハードコアにポップです”ということになるんだと思います。それが僕の本筋なのでというところで、通用したいし、通用させたいとすごく思っています」
“すごいものを発見しちゃった”と思われるものでありたい
── 堂島さんは、これから先もポップであるものをやり続けていくんですか?
「そうだと思います。やりたいことなんて他にもいっぱいありますよ。でも、他に誰もやれないと思うからやってるというのはあります。替えがきかないだろうって。誰かが気付いた時に、こいつすごいんじゃないかというものをずっと作り続けて来ているという説得力だけはあるようにしたい。ゴッホは亡くなってから売れましたけど、それが最大の憧れ。すごい儲かりたいとか、原盤をオークションで高値で買ってもらいたいとかじゃなくて、誰かにとってそうあり続けたい。僕の音楽に出会った時に“すごいものを発見しちゃった”と思われるものでありたいです。それか、山田かまちぐらいになりたい。ちっちゃくても記念館が建つぐらいの」
── 夢は記念館(笑)。
「すごいちっちゃくて良いんですけどね。四畳ぐらいで(笑)」
── そして今作には『ハヤテ』と『HARD CORE POP!のテーマ』という新曲が2曲入り、これは次のアルバムに繋がる作品ということですか?
「アルバムに繋げようと思っています。あくまで今の自分が一番良くて、もっと言うと今作ってるアルバムに夢中になってますということを言いたかったので入れさせてもらったんです」
── ベストアルバムの選曲の基準は何だったんですか?
「アルバム制作中でもあるので、ある程度はメーカーのスタッフに決めてもらい、そこから僕が絞りました。コアファンに向けたベストは“Anthology”に入っているので、今回は初心者入門編という方向にはなりました。それと、もうひとつ“HARD CORE POP!”というライブタイトルでやってきたので、ライブでこの1年〜2年ぐらいで演奏している曲は入れました。たぶんこういうベストアルバムは最後だと思う。だって、あと15年しないと作れないでしょ(笑)?」
── 来年には出せないですね。
「来年もう1回出したらあいつ狂ってるなって。出しても良いですけどね、ベストオブBサイド(笑)。あと、今回はなぜか時間を遡っていく曲順になっているベストです」
── 最後にデビュー曲が置かれてますから。
「どんどん良くなくなっていくんですよね(苦笑)。でも、新しいものから並べていって、惹きつけられて最後まで聴くということは、年々良いものを作れている証拠ですよね」
── この作品をリリースして12月16日には“BEST OF HARD CORE POP!”と題されたライブもあって。
「“HARD CORE POP!”というライブシリーズをやってきた今年の総括という意味でのライブを12月16日にやって、ベストアルバムのツアーは来年に入ってから改めてやろうと思っています。ベストアルバムのワンマンにしてもいいかなと思いましたけど、時間的にレコーディングしながらではリハが追いつかないというのがあったり、ベストが出る前からここでワンマンをやると決めていたので」
── 今は絶賛アルバム制作中ということなんですか?
「そうですね。年内であらかたの目処は付けないと、間に合うものも間に合わなくなっちゃうっていうぐらいのタイミングです」
── ところで、ロフトプラスワンでやって頂いている池田貴史さんとのイベント“チカゴーロ・ドナーノ”の次回は決まっているんですか?
「まだこれから決めるところで、来年前半ぐらいのタイミングにはなると思います。イベントの冒頭に5分ぐらい怖いビデオが流れますけど(『公式海賊版 LOFT BOOTLEG』※の宣伝映像)、あの映像見るとお客さんが若干引くんです(苦笑)」