アレンジを作り直すのはしんどい
──いわゆる“詞先”という、先に歌詞があるケースが多いものなんですか。
キダ:はい、詞が先行ですね。
──となると、制約がいろいろとありますよね。メロディに乗りづらい言葉も多々あるでしょうし。
キダ:番組のテーマなんかはメロディだけなのが多いのでいいんですけど、コマーシャルは詞がなければどう書いていいのか判らないし、制約はありますね。30秒、20秒、15秒、10秒、5秒と分けられる曲にせにゃあかんし、5秒のフレーズの中に会社名が入っていなければならないとか、そういう制約はあります。となると、最初からテンポが決まるわけですよ。その速さではムリやったり間延びする言うたら、今度は拍子を3/4にしたりハチロク(6/8拍子)にしたりする。そういう工夫が要るんですよ。たとえば『アサヒペン』やったら塗料の会社ですから、色というのは短調のメロディのほうが出やすいから短調にしてみたりとか、そういう制約があったほうが曲は出来やすいんです。
──今回のアンソロジーに収録された楽曲の中で、とりわけアレンジに手こずったものは?
キダ:アレンジはしょっちゅう手こずってますねぇ。強いて挙げれば、「アレンジを変えてくれ」っていうのはちょっとしんどいですね。あのね、番組のプロデューサーというのは番組のテーマ・ソングを変えたがるものなんですよ。プロデューサーが変わった時っちゅうのは必ずテーマ・ソングも変わるもので、やっぱり「俺が作ったんだ!」いうのを誇示したいんでしょうね。でも、「作ってくれ」言われても、同じ曲でっせ? 同じ曲でアレンジを作り替えてくれという注文が多いんです。『ABCヤングリクエスト』っていう大阪の深夜番組なんてもう凄くて、1回、2回…。あれ、すいません、たった2回しか書き直してませんでしたわ(笑)。ただ、あの曲は歌手を5人くらい変えよったんですよ。
──ということは、5ヴァージョンあるわけですね。
キダ:はい。でも、それも全部どこかへ行ってしまいました。ABCにもあらへんのですよ。あと、『かに道楽』ってあるでしょ? あの本家は『かにの網元』なんです。それが『かに道楽』をお作りになって、発展して全国チェーンになった時に「よりデラックスな感じにして下さい」とご注文があって、アレンジをやり直したんですよ。『ABCヤングリクエスト』と『かに道楽』を書き替えた時は、オーケストラ編成の制限がなかったんです。要するに、それだけの予算を出して下さると。普通、番組の予算を考える時に音楽に充てるお金なんて企画の段階から頭にないんですよ。まずは看板のタレントを確保して、大掛かりなセットにお金を掛けて、最後の最後に“そう言えば音楽があったなぁ…”と気づく程度です。それでこっちに「ちょっと予算がないねんけど…」って依頼が来よるわけですやん。そういうケースがほとんどなんですけど、『ABCヤングリクエスト』と『かに道楽』の2回目はお金をなんぼ使うてもええと。せやからオーケストラの数をじゃんじゃん増やして、心ゆくまで使わせて頂きました(笑)。
──アレンジを作り直すご苦労は確かにあると思いますが、“♪獲れ獲れぴちぴち かに料理〜”というフレーズは全国区ですし、アレンジを変えて代々聴き継がれていくのはマイナス面ばかりではないのでは?
キダ:ただ、アレンジャーや作曲家いうのはね、自分が最初に作ったものが一番で、「アレンジを変えろ」言われても変えようがないんじゃ! っていうものなんですよ。歌手が変わるとアレンジも変えてあげんといけませんしね。
──音楽生活60年の中で、先生がこれまでに発表してきた楽曲総数は3,000曲とも5,000曲とも言われておりますけれども。
キダ:もう言いたい放題ですよ。譜面を一切残してませんからね。
──ここまで来たら、いっそのこと20,000曲くらい豪語してもよろしいんじゃないでしょうか?(笑)
キダ:そうですね。今、自分の中では10,000曲になってるところなんです(笑)。もうね、裏の取りようがないんですよ。自分が忘れてるくらいやから。
──所属されている昭和プロダクションにも楽曲のリストみたいなものはないんですか。
キダ:私の性格によく似た事務所ですから、同じような行動をしてるんですわ(笑)。
我々にスランプなんてあらへん
──今回のアンソロジー発表を機に、有志によるキダ・タロー研究が進むといいですね。
キダ:研究してもダメですよ。本人が知らん言うとるんやからね(笑)。私が忘れとる以上、未発表曲も出てきようがありません。私が一番最初に作曲したのは18歳の時で、難波の駅前にあったパラマウントというキャバレーが何周年かの記念に詞を一般公募しましてね。それに曲を付けませんか? と話を頂いて、音頭の曲を付けてみたんですよ。音頭いうのは割と簡単に作れますから。そのキャバレーにかしまし娘の正司歌江さんが歌姫としていらして、彼女が唄って我々が伴奏するのを1ヶ月続けてたんです。でも、それも譜面が残ってないので再現できへん。一度、歌江さんと私で再現してみようとしたことがあったんですけど、歌江さんは頭の部分、私は一番お尻の部分しか思い出せなくて、真ん中が抜けとったんですよ。
──過去に生み出した楽曲に対して、それほど関心がないものなんですか。
キダ:けっこう愛着はあるほうなんですけど、ええ加減なんですわ。年月というのは恐ろしいもので、自動的に記憶の彼方へ葬られますしね。
──先生には各時代ごとに代表曲が存在しますが、曲作りに煮詰まるようなことはないんでしょうか。話を伺っていると、先生は才能の枯渇とはまるで無縁のように感じるのですが。
キダ:そらあなた、言うなれば私らは職人ですやん。職人が注文を受けて「枯渇してまんねん」とか「スランプでんねん」とは絶対に言えんでしょ。そんなこと言うたら、次に仕事が来ませんからね。だから、スランプなんて経験したことがないです。そんなね、スランプとか口にするような大物とちゃいまんねん。広島カープの鉄人・衣笠祥雄がスランプになったとか、そういうのをホンマのスランプ言いますのや。せやから、我々にはスランプなんてあらへん。
──納期に遅れるようなこともまずないですか。
キダ
:それはないです。オーケストラを集めてスタジオの予約を取ってますから、自分がそれまでに曲を書かなかったら、そのキャンセル代を払わなあきませんやん(笑)。私はあくまで職人で、アーティストではないわけです。──アーティスト願望は全くないと?
キダ:考えたこともないですね。アーティストぶってるヤツを見ると腹が立ちますけど。
──ちなみに、先生にはライバルが存在しますか。
キダ:ライバルはおりません。若い作曲家は芽のうちから摘んでおきますし(笑)。よく小林亜星さんと比較されますけど、あの方が“この木なんの木”(『日立の樹』)を作ったことひとつで負けました。あんな名曲、私には作れませんから。人の曲をええな思うて聴いたことはあまりないですけど、“この木なんの木”だけは今でもテレビから流れてくると“ええ曲やな”って思わず聴いてしまうんです。まぁね、大阪には円広志以外ろくなのがおらんのですよ。円広志も私が育てた弟子みたいなものなんですけど(笑)。
──つんく♂さんも先生が育てたという話がありますよね(笑)。
キダ:それも事実です。“つんく♂ファミリー”なんてよう言いますけど、私が彼を育てたんやから正しくは“キダ・ファミリー”ですわ(笑)。
──今回のCDがアップフロントワークスから発売されるのは想定内だったわけですね(笑)。これまでの音楽人生の中でやり残したことはありますか。
キダ:もっとええ曲を書くことですね。今も絶対にええ曲は書けると思うてるんです。でも、この先はそれ以上にもっとええ曲を書きたいし、書けると思うてるんですよ。人様が「あの曲はええ」と言って下さるのは自由なんですけど、曲を書いた人間が「あれはええ曲や」とは言えんのです。そんなの、アホらしいですやん。
──決して浮き足立つことのない、職人ならではの至言ですね。
キダ:ちょっと上に立って、下からチヤホヤされるとホンマにその気になる人っておりますやんか。私自身はチヤホヤされませんけど、この歳になると周りから注意されることが少なくなるので気をつけなあかんなと思いますね。私も若い時は「カメラにケツ向けるな」とか「そんなおもろない話やめとけ」とかプロデューサーに言われたもんですけど、今は向こうが歳下になってきましたから、言おうにも言えんのでしょう。だから、今が一番危険な状態なんですよ。
──でも、先生の言動には驕りが一切感じられませんね。
キダ:たまに言うてくれる人がおるんですよ。番組のディレクターの中にもそういう勇敢なサムライがおってね、「キダさん、話に割り込みすぎですよ」とかちゃんと言うてくれる。それは有り難いですね。
──『キダ・タロー シンフォニー』みたいに先生の代表曲のメドレーを高名なオーケストラに演奏してもらって、それを1枚の作品としていつか聴いてみたいですね。
キダ:ええですね。N響とか名だたるオーケストラに演奏して頂きたいですよ。あなた、それ進めて下さいます?(笑)