『プロポーズ大作戦』、『笑って笑って30分!』、『ABCヤングリクエスト』といったテレビ・ラジオ番組の主題歌、『日清出前一丁』、『アサヒペン』、『かに道楽』、『小山ゆうえんち「おやま!あれま!」』といったコマーシャル・ソング、『ふるさとのはなしをしよう』、『アホの坂田』、『しびれ女のブルース』といった歌謡曲など、数千曲に及ぶ楽曲を世に送り出してきた"浪花のモーツァルト"ことキダ・タロー。生誕80周年と音楽生活60周年という祝いめでたな節目ダブル・パンチを迎えた今年、自身の音楽活動の集大成と呼ぶに相応しい3枚組アンソロジー『浪花のモーツァルト キダ・タローのほんまにすべて』がライスミュージック/アップフロントワークスから発売された。古今東西、新旧のキダ・タロー作品が101曲収録された本作を聴くにつけ、キダ・タローという稀代の作曲家の才能に改めて感服してしまう。また、楽曲探しに始まり、ありとあらゆる権利関係をクリアにして発売に漕ぎ着けたスタッフの労力にも敬服だ。一度聴けば虜になるキダ・ワールドを存分に堪能できるこの決定版アンソロジーを巡り、本誌はキダ本人の貴重な肉声を奪取。ご本人は「今まで生きとったからこれだけの曲を書いたまで」と謙遜するが、傘寿(80歳)を迎えた今も「もっとええ曲を書きたい」と創造意欲がますます旺盛な音の匠の矜持を行間から感じ取って頂きたい。(interview:椎名宗之)
自分で書いた曲はほとんど忘れてる
──CD 3枚組、全101曲収録という壮大なアンソロジーを発表するに至った経緯から聞かせて下さい。
キダ:以前、インディーズ・レーベルから『浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて』(1992年11月発表)というCDを出したんですけど、そのレーベルが潰れましてね。ずっと廃盤状態やったし、あのCDを出してからもたくさん曲を書いてますし、「新しいのを出しいな」とマネージャーにしつこく言うとったんですよ。ただ、我々の事務所は吹けば飛ぶような所で、まるで力がないんです。そんな折にウチのマネージャーがアップフロント関西の西山(拓幸)社長に話を持ち掛けたら、有り難いことに乗って下さいましてね。それが3年前の話で。
──構想・制作3年の超大作なわけですね。
キダ:あのね、お聴きになる方には新たな録音は要らんわけですよ。当時の演奏で、当時の歌手が唄ってるのがいいんです。番組のテーマやったら、その番組から流れてた音源そのものがいい。私もそのほうがいいしね。まずそういう音源を探すところから作業を始めたんですけど、私自身が自分の書いた曲をほとんど忘れてるんですよ(笑)。それで前回同様「覚えてるのだけリストで出してくれ」とスタッフに言われたんですが、今回は前に出したCDがあったし、それに新しい曲を付け足せばいいので多少ラクでしたね。新しい曲はまだ覚えてますし、事務所に資料も残っていたので。それはいいんですけど、相変わらず覚えてないのは前と一緒やったんですよ。その覚えてない筆頭が『小山ゆうえんち「おやま!あれま!」』。あれは完璧に忘れてますし、第一、大阪で流れてないですから。以前、作詞の伊藤アキラさんから作品集が送られてきたことがあって、“何でや!?”思うてCDを見たら『小山ゆうえんち』が入ってたんですね。ブックレットには「キダ・タローさんと初めて仕事をした曲です」と書いてあったんですけど、“はぁ、これ書いたの僕なんや?”って感じでしたわ(笑)。
──しかも、伊藤さんとは直接の面識がないそうですね。
キダ:全く。せやからまず、何で作品集を私に送ってきたんか? 思うたくらいです。でも、“伊藤アキラ”という名前を見るといろいろと思い出すこともあるんですよ。そう言えば、ようけ一緒に作ったなぁ…って。CDとして残ってるのは『小山ゆうえんち』1曲ですけど、他にもいっぱいあるはずなんです。
──『有馬兵衛向陽閣』は、今回も原曲が見つからなかったそうですね。
キダ:そうなんです。あの曲は3番まであったんですけど、コマーシャルでは最後の3.8秒だけ使って下さってるんです。最初にテレビで流れた頃はワン・コーラス使われていて、それは私も覚えとったんですよ。それが短くなってからずーっと何十年も経つと、もうあかんのです。これは私だけでなしに、他のコマーシャル・ソング作家も一緒だと思いますよ。テレビで流れなくなったら、まず忘れますね。ワン・クールで終わる番組は無数にありましたし、そんなんは完璧に忘れてしまいます。
──古今東西、新旧の楽曲を掘り起こすわけですから、楽曲探しは元より、権利関係をクリアにしたり、各企業と交渉したりと難儀な作業の連続だったんでしょうね。
キダ:私以外のスタッフは全員働きづめでしたね(笑)。私は傍観してるだけで、時々曲を思い出してはレコード会社の人に言い、それを調べてもらっては「見つかった」「見つからない」の繰り返しでしたね。1曲ずつ歌手と会社に許可を取るのも全部レコード会社の人が回ってくれはって、いろんな人たちが一生懸命頑張ってくれました。それと、企業の人がずっと昔の音源を探してくれたりね。『アサヒペン』を私が覚えとったのは、今でも“♪アサヒペ〜ン”の部分だけがコマーシャルで流れてるからなんですけど、あれはスリー・グレイセスという当時有名だった3姉妹コーラス・グループが唄うとったんです。私はスリー・グレイセスが大好きですから覚えとって、「あれ、ないの?」言うたら探してくれはってね。アサヒペンは大阪に本社があるんやけど、倉庫は東京にあるんですって。今回収録したのは、アサヒペンの担当の方がその東京の倉庫で発見して下さったものなんです。それも、制作の締切寸前に見つかったんですよ。
──長年倉庫の中で眠っていた割には、随分と音質がクリアですね。
キダ:音を直してくれはったんですよ、全部。まぁ、どんなやり方すんのんかは知りませんけどね(笑)。それと今回、『三原本店』、『宝文堂』、『弘進ゴム』という宮城県の会社のコマーシャル・ソングが3曲入ってるんですけど、それも完璧に忘れとった中の3曲なんですよ。なぜ思い出したか言うたら、その3曲が私の作曲で間違いありませんか? とJASRACから問い合わせがあったからなんです。それも、宮城県のコマーシャル・ソング集を出すという話の流れで問い合わせがあったそうなんですよ。私自身はその3曲のタイトルも曲調も全く覚えがないんですけどね(笑)。
作曲なんてネコでもできる
──3枚を通してお聴きになりましたか。
キダ:私、自分が書いた曲を聴くのキライなんですわ。しょっちゅう流れてる曲は聴かなしゃあないですけど、どうしても“何やこれ!?”って思うてしまうんです。『アサヒペン』とか、新しく出てきた曲はさすがに聴きましたけどね。自分の出てる番組も見ないんですよ、気色悪いから(笑)。
──こうして3枚組のCDとしてまとまったのを見て、率直なところどう感じていらっしゃいますか。
キダ:スタッフはいろいろと大変やったやろなぁと思いますけど、私自身は川の流れのように身を任せて参りましたんで、特に大変なことをやってきたという感覚はないですね。もし私が30代で死んどったらそれ以降の作品はないわけですし、今まで生きとったからこれだけの曲を書いたまでです。血圧や前立腺の薬は飲んでますけど、幸いなことに大きな病気はしたことがないですからね。
──僕らのような関東在住の人間でも馴染み深い曲が多いですし、先生の書く楽曲には一度聴いたら忘れないインパクトの強さと中毒性の高さがありますが、聴き手の心に残る曲作りの秘訣とはどんなことなんでしょうか。
キダ:とても簡単なことですよ。歌詞が大阪弁で書かれとったら大阪弁のアクセントの曲にする、標準語で書かれとったら標準語のアクセントの曲にするのが鉄則なんです。今はそれがちょっとムチャクチャになっとるキライはありますけど、人に覚えて頂きたいコマーシャル・ソングはそれをやらんとダメなんですよ。そうすれば自然と耳に入ってくるようになるし、そこは気ぃ付けてやってますね。たとえばフランク永井さんの歌で『大阪ろまん』ゆうのがあって、“♪泣かへんおひとが しのび泣く〜”って唄い出しなんですけど、「泣か“へん”」ちゅうのはあり得ないんです。正しくは「“泣か”へん」なんですよ。それと同じように「“お”ひと」も絶対言わんし、「お“ひと”」ですわ。作りはったのが関東圏の人やからそうなったんでしょうけど、大阪人にはもの凄く違和感があるんですよ。
──以前、何かのインタビューで「コマーシャル・ソングは社長の気持ちになって作る」と先生が仰っていた記憶があるんですが。
キダ:その通りです。どこかの旅館ならそこの女将さんの気持ちになるし、チキンラーメンなら日清食品の社長さんの気持ちにならんと、真剣味が欠けますやん。商品を売りたい! お客さんに来て欲しい! と自分で思わんとね。
──その時は、いわゆる職業作曲家に徹するということですか。
キダ:そうですね、格好良く言えば。
──好きなフレーズや音楽的嗜好を後回しにすると?
キダ:もし好きな音楽性があるとすれば、自分が思わんでも勝手に出ますでしょ? そういうもんは自分で思って出るもんでなしに、勝手に出るもんですから。メロディを書けば自分の音楽性は自然に出てきますし。
──先生の楽曲はアレンジも手の込んだものが多くて、人の心に残るように周到なトラップが随所に仕掛けてあるように思えますね。
キダ:私が生まれた時分から1/3くらいは、作曲と言えば編曲を含めての作曲やったわけですよ。クラシックは今でもそうですけど、スコアに書いて編曲をするまでが作曲だったんです。それが今や分業制になって、メロディを書く人と編曲をする人が分かれてしまったんですね。確かにそのほうが完成は早いですけど、編曲を考えずにメロディを書くのがあまり良くないと私は思うんです。編曲って、実は作曲よりも遙かに難しい仕事なんですよ。労力も音楽の知識量も作曲より遙かに高い。せやのに、テレビでも作詞と作曲はクレジットに出ても、編曲はあまり出てこないんです。はっきり言うて、作曲なんてネコでもできるんですよ。良い悪いは別にしてね。作曲の定義言うたら、反復可能なメロディということなんです。反復可能やったら、ネコに鍵盤の上を歩かせて、それを録音して楽譜に起こしたらよろしい。
──確かに、クレイジーキャッツの楽曲の多くも作曲の萩原哲晶さんがアレンジまでを手掛けていましたね。
キダ:はい。そういうことですね。
──アレンジのみならず、先生の手掛けたコマーシャル・ソングは歌詞のパンチ力も尋常じゃないですよね。『日清焼きそば〈登山篇〉』の“日清食べろ! 焼きそば食べろ!”という鬼のような連呼は特に(笑)。
キダ:あれは当時、萬年社という広告代理店が大阪にありまして、日清食品の仕事を一手に引き受けていたんです。そこと知り合いになりまして、私が一連の作品を作ったわけですよ。“日清食べろ! 焼きそば食べろ!”いうキャッチコピーは、その萬年社さんが作ったものなんです。『日清冷めん』やったら“♪レイ〜メン”ってヨーデルにして涼しさを出してみたりね。大阪にはヨーデル唱者がいなかったので、わざわざ東京から大野よしおさんを呼んで作りました。