これはラトルズがビートルズを凌駕したということなのか!?
昭和八十三年(2008年)四月十三日、日比谷野外大音楽堂でのステージを最後に活動休止、昨年秋に赤坂BLITZでのワンマン・ライヴで突如として完全復活を果たした国産ドメスティック・ロックンローラー(絶滅危惧種として本誌認定)、ザ・マックショウ。再始動後に発表される初のオリジナル・アルバム『Here Comes The Rocka-Rolla 〜情熱のロカ・ローラ〜』はオールディーズ・バット・ゴールディーズなロックンロールの作法に立ち返り、細部にわたって心血を注がれた金字塔的作品だ。これまでも古式ゆかしいニッポンのロックンロールを現代に蘇生させ、老いも若きも興奮の坩堝へと導いてきた彼らだが、本作は何やら気合いの入り方が徹頭徹尾尋常ではないのである。全編ノン・デジタルのアナログ・テープ一発実演録音という居合い抜きの如きレコーディング手法は元より、ただひたすらに感情を昂ぶらせるツイスティン・ビートに胸を締め付けるグッド・メロディはさらに純度を増し、KOZZY MACKとTOMMY MACKのホームグラウンドである広島を舞台にして甘く切ない十代の追憶を描いた"ヒロシマ・グラフィティ"とも言うべきコンセプトの秀逸さも実に心憎い。しかも、発売日は広島平和記念日にあたる8月6日という徹底ぶりなのだ。
本稿は、技法も流儀も姿勢も昭和五十年代(フィフティーズ)へとさらに深化させた意図をメンバー全員に尋ねた貴重な質疑応答の記録であると同時に、生ける屍とも言うべき去勢された音楽ばかりを量産する業界への警鐘でもある。心して精読して頂きたい。(interview:椎名宗之)
野音のライヴでみんなを卒業させてあげたかった
──昨年の華麗なる復活劇の背景には、活動存続・再開を求めるファンからの2万通を超える投書や署名があったそうですね。
KOZZY MACK(以下、K):うん。署名、嘆願書、泣き落とし、中には恫喝まであったよ(笑)。コルツの活動とかやりたいことがたくさんあっての活動休止だったんだけど、マックショウを聴きたい、観たいっていう人がそれだけいる以上、やらないのはマズイだろうと思ってね。
──コルツを復活させた成果がマックショウの活動再開にフィードバックするようなことはなかったですか。
K:コルツを復活させて良かったのは、音楽の楽しさを改めて実感できたことと、ずっと待っていてくれる人がいるんだなっていう再確認だった。でも、ただでさえ人数が多くて集まりづらいし、コンスタントに活動を続けるのは大変だなと思ってね。年齢的なこともあるし、親の面倒も見なくちゃいけないしさ(笑)。ただ、あんなに長いことやってなかったバンドなのにほんの数時間で復活ライヴのチケットが売れ切れたりして、励みになったバンドマンもいると思うんだよね。
──確かに。TOMMYさんもコルツを再開させて手応えは大きかったですか。
TOMMY MACK(以下、T):マックショウは3人だから、改めて人数が多いなと思って。俺、いなくてもいいかな? とか思ったし(笑)。マックショウは見られてる感も強いし、責任を背負ってる感じがあるからね。コルツはヘンな気負いもなく、みんなでワイワイやって楽しめると言うか。どちらも楽しいんだけど、そういう違いはあったかな。
──マックショウの活動を休止するに至ったのは、やはり煮詰まりみたいなものがあったからですか。
K:まぁ、やり切った感はあったよね。ひとつのエンターテインメントとしては、その前の年くらいがピークなのかなと思った。日本の古き良きロックンロールや昭和という時代、キャロルの疑似体験を含めてみんなマックショウを好きになってくれたと思うから、一度ちゃんと卒業させてあげたかったわけ。みんな学校をろくに卒業してないような不良ばかりだし(笑)、俺もそれを体験したかったしね。そのためにも、キャロルと同じく4月13日に野音で終わらせるのは必須だろうと。4月13日に野音を使えるのはあの年しかなかったし、それ以降は何年も先まで空き日がなかったから、ここでやっておこうと思ってね。そこでライヴをやって、もう辞めたいと思ったら「辞める」って言うつもりだったんだけど、準備をしてる段階からどうも辞めるって感じじゃなくてさ。活動休止したらしたで、「ちっとも動かずに、一体どうなってるんだ!?」ってけしかけてくるピュアな連中が多くてね。まぁ、有り難いことだけど。
──去年の10月に赤坂ブリッツでカンバック・リサイタルを敢行した時は「やっぱりこれだな!」という感触がありましたか。
T:ぶっちゃけ、弾きながら「こんなことやってたんだ...」って思って(笑)。1年半はブランクとして短いようで長くて、久しぶりに自分自身と戦うみたいなところがあったね。
──復活を遂げた時点で今回のリリース・プランはすでにあったんですか。
K:いや、全然。でも、何も出さないつもりじゃなかった。赤坂ブリッツみたいな大きい会場でやるのは流れとしていいなと思ったし、その後は小さいライヴハウスでやることを決めていたからさ。リセットする意味でも赤坂ブリッツは良かったね。お客さんもそこでいい具合にクール・ダウンできた気がする。あのまま行くと、お祭りみたいになっちゃってちょっとヤバかったよね。音楽を主体にやっている以上、単なる空騒ぎになるのは避けたいからさ。
──そんな過程を経て発表される今回の『Here Comes The Rocka-Rolla〜情熱のロカ・ローラ〜』なんですが、『情熱のロカ・ローラ』のイントロで聴かれるギターのカッティング一音からして気合いがケタ外れに違うなと思って。僕はこれまでの敢えてチープに施した音質が愛おしかったんですけど、今回はアナログ・テープを使った真に迫る音質で、過去の諸作品と比べて本気度が土台から違うのを感じたんですよね。
K:本気度はケタ違いにあるよね。マックショウを始めた頃は自分たちの手で何でもできるプロツールスが出始めの頃で、一番ミニマムの編成で録ったわけ。コルツをやってた頃の大箱のスタジオを使った普通の録り方に飽きたのもあるし、見積もりを取ると何百万もしてアホらしくなってさ。だったら自分たちだけでガレージっぽく倉庫で録ってみようと始めたのがマックショウだった。そのうちスタジオも自分たちで構えて、博多のスタジオにあったテープ・レコーダーをもらって、卓を揃えて、テープ・マシーンは3台になって...趣味の域を遙かに超えるようになった(笑)。そうやってヴィンテージの機材を使いながら何から何まで自分たちの手で作り上げる手法は、前回の『CANDY GOLD SUNSET〜燃えるサンセット〜』でやり切った感じがあったんだよね。
ロックンロールはプロツールスなんかじゃ録れない
──去年の復活ライヴ時に会場で発売されたシングル『A HEART BEAT'S TONIGHT/首都高ムーンライト』がモノラル方式のアナログ・テープ録音だったのは、そんな経緯もあったんですね。
K:うん。アナログ・テープで録って思ったのは、結局ヴァーチャルなものはヴァーチャルでしかないってことなんだ。だからこその良さはあるけどね。それまでのマックショウのチープな音質が好きだった人はたくさんいるだろうけど、それは敢えてそんなふうに作ったものだし、やり尽くしちゃったからさ。ここまで来たら、ある種どんな音でも作れてしまう。そのままのやり方でどんどん作る人と、そこで全部捨てちゃう人がいるとすれば、俺は完全に後者なんだよ。今までの活動も全部そんな感じだから。一度すべてが完成すると、即座につまらなくなっちゃうんだ。プラモデルも作ってる過程が面白いし、完成したら興味がなくなるからさ。
──だからこそ、今回は自前のロックスヴィル・スタジオを出て外部のスタジオを使ってみたと。
K:そういうこと。コルツが一番最後にスタジオでやったセッションを収めたのが『JAIL'S OUT』というアルバムなんだけど、今回はその時と同じく西早稲田にあるアバコ・スタジオで録ってみた。同じ部屋、同じコンソールを使ってね。そこで一発録りで勝負してみたかったんだ。って言うのは、コルツで最後にやった時もほぼ一発で録ったんだけど、余りにコストが掛かりすぎてね(笑)。プロツールスが出てきたのはその後だから。
──あれから10年が経過して、今度はプロツールスを使った音作りに限界を感じたわけですね。
K:俺が達した境地は、ロックンロールはプロツールスなんかじゃ録れないってこと。ここではっきり言うよ。みんなプロツールスを使ってるけど、あんなのはウソっぱちだって。プロツールスを捨てるまで、絶対にロックンロールは戻って来ない。それを実感したわけ。デジタルを使えば古き良きロックンロールみたいな音を作るのは簡単だけど、どこか魂の抜けたものになる。ヴァーチャルで魂すらも作れるけど、そういうのは活動休止前にやり切った。後に残されたものは、魂を刻み込んだ本物を作るしかない。それが出来る自信があったから、やってみようと思ったんだ。魂を刻み込む以上、そりゃ本気になるよね。
──アナログ・テープを使う以上、失敗が許されないという緊張感と対峙することになりますよね。
K:事前に何度もリハを繰り返したよ。誰かが一度でも失敗したら一から録り直すのが約束事だった。何故ならそれが古来から在るロックンロールの録り方だし、同じフィールドに立つっていうのはそういうことなんだよ。もちろんコーラスやギターのダビングは後からやったけど、それも極力その場でやることにした。ヴォーカルは全部その場で唄ってるし、差し替えは一切しないのがルール。だって、24チャンネルなのに20チャンネルしか動かないテレコを使ってるんだからさ(笑)。後からちょっとバスドラを上げることもできない。そこでトラックダウンまで全部やっちゃうんだから。徹頭徹尾、ノン・デジタルなんだよ。
──一発録りをやるにも、それ相応の演奏技術が求められることになりますよね。
K:表現力が問われるよね。本来は作品の中にデータがきちんと並んでいればいいってわけじゃなくて、パフォーマンスが必要なんだよ。そのパフォーマンスを聴いてリスナーは興奮するわけだから。それがいつしか、ただデータが並んでいるものを格好いいと捉えるようになってしまった。純粋なロックンロールが廃れた一因はそこだよ。すべてがデータ化、数値化されてしまったことがね。数値化されないのがロックンロールなんだから。確かに、致し方ない部分もあるよ。アナログ・テープを確保するのは大変だし、単純にコストも掛かるしさ。でも、そこでこだわりを持ってロックンロールを体現するヤツがいないから下の世代が続かない。そんなところに足を突っ込んだら大ごとだぞと思ったのと同時に、そこに足を突っ込まなければロックンロールを好きでやってることにはならないと俺はある時期から思うようになったんだよね。
──気力、体力、財力を駆使しなければロックンロールの偉大なる先人たちと比肩し得ないと。
K:そこまでやらないと広島"風"お好み焼きで終わるんだよ(笑)。マックショウも今まではロックンロール"風"な作品を残してきた。でも、今回は真っ正面からロックンロールをやり切ったんだ。