我が阿佐ヶ谷ロフトAが放つプレミアム・ライヴ・シリーズ『VINTAGE A』〈ヴィンテージ エー〉、第1弾の山崎ハコに続いて登場するのは日本屈指のブルースマンであり最高峰のヴォーカリスト、木村充揮だ。憂歌団のリード・ヴォーカルとしてその名を馳せ、1998年の憂歌団活動休止後はブルースの枠に留まらない自由奔放なソロ活動を精力的に展開。"天使のダミ声"とも称されるその味わい深い歌声は今なお絶大な支持を誇っており、キャパシティ僅か100人強の阿佐ヶ谷ロフトAで他の追随を許さぬ歌声を存分に堪能できるのはとても贅沢なことである。この一夜限りのスペシャル・ライヴを前に、憂歌団としてデビューしてから今年で35周年を迎える木村に唄い手としての矜持、歌と対峙する姿勢をたっぷりと訊いた。人間同士のふれあいが稀薄になった昨今、このインタビューの中で木村が訴えかけている迸る言葉をあなたはどう受け止めるだろうか。(interview:椎名宗之)
そこでしか唄えない歌がある
──中央線沿線にはどんなイメージを抱いていますか。
木村:昔から東京へ来た時にはよう乗る言うか、中央線は一番乗ってたんかもわからへんですね。昔は西荻窪や荻窪にもロフトがありましたしね、新宿にロフトが出来る前に。高円寺も阿佐ヶ谷も、駅を降りたら商店街がぎょうさんあってよろしいやん。商店街が多いんは下町言うんか、オッチャンもオバチャンも子供もみなおるなぁみたいな、そんなんが好きですけどね。
──阿佐ヶ谷や高円寺に似た大阪の町はありますか。
木村:大阪の下町に雰囲気は似てますね。渋谷とかのビル街にいてるよりも、僕は下町にいる時のほうがホッとするんですよ。
──ロフトのスケジュールを網羅した『ROCK is LOFT』を見たら、憂歌団は1981年5月23日に新宿ロフトへ初出演するずっと前に荻窪ロフト(1976年3月25日)にも出演していたんですね。
木村:出てますね。ロフトは中央線沿線に何軒かあった時にけっこう出させてもろたことがあって。店がずっとあって、縁が長いのは高円寺のJIROKICHIですかね。言うても、憂歌団として出させてもろうてから何年も開いてましたけどね。まぁまぁ、気ままなもんで。
──当時の新宿ロフトは、フロアに黄色い潜水艦のオブジェがあった頃ですか。
木村:何か、檻言うか柵みたいのがあったんちゃうかな。何となく覚えてますね。この阿佐ヶ谷ロフトAの店内は色が豊かで木のあったかみがあるけど、最近は真っ黒で無機質なライヴハウスが多いですよね。黒やからあかん言うよりは、何やろう、その場所にあったかいもんを感じる言うか、そういうのがええですけどね。ちょっとした手書きのポップがあったり、手作りのメニューがあったりね。
──この店は、ステージの背後に漫画家の山田玲司さんが描いたイラストがあるんですよ。
木村:ええなぁ。まぁホンマにね、人の手を介して作ったもんには人が感じるもんいうのがあるから。どんな店に行っても、どんなとこにおっても、モノを作ってる感じとか空気とかスタッフの人柄とか、いろいろありますやん。そんな雰囲気の中でライヴをやるのがええんやね。その空間にいろんな人の気持ちが飛び交ってる中でやるのがね。
──これまでに全国津々浦々を巡業されてきて、手作りの温かみがあるライヴハウスが減ってきたように感じますか。
木村:ちっちゃいライヴハウスでも、みんないい感じに続いて欲しいんですわ。何度か出させてもろてもなくなってまうことがあるけど、なくなったらまた新しい店を始める人がおるとか、そうあって欲しいですね。東京でも六本木にピットインっていうちょっと大きめのライヴハウスがあったけど、そこも結局やめはったしね。
──唄える場所があればどこでも唄いに出向くのが木村さんの基本的なスタンスですよね。
木村:そうですね。やっぱり、人の出会いやからね。だから、あまり無理せんように楽しくやれたらええなぁ思うて。
──憂歌団でデビューして今年で35周年、人と人との絆を育んで今日に至るという理想的な音楽人生を歩んでこられたのでは?
木村:いやぁ、理想的にするにはまだまだこれからやけど、歌には人を引き会わせる力があるとは思ってますね。気ままに人が集まって出会いを楽しめることはええんちゃうかなぁって。それは音楽だけやなくて、ダンスやら芝居やら演芸やらいろんな表現があんねんけどね。その中で僕はたまたま歌を唄っていて、たかが歌やけど何かええもんやな、楽しいなって思うてくれたらええなぁって思いますね。
──創作意欲が枯れるようなことはこれまでにありませんでしたか。
木村:創作意欲なんかあんまありませんよ、僕は。作ろう、作ろうっていうんやなくて、楽しもう、楽しもうっていう感じやから。新しいもん、新しいもんってようアホなことを言うけど、新しいもんを出した途端に古うなるんですよ。新しいも古いもどうでもええ。そんなことよりも今やりたいこと、今思うことが一番大事やって。何かそんなんですわ。結局、同じ歌を唄うでも気持ちが入るか入れんかやから。ここ阿佐ヶ谷やったら中央線沿線の人たちがおって、その中で生まれる歌があって、それは勝手に身体から出てくる言うかね。ひとつの町でもいろんな人がいてますやんか。いろんな人が集まって、そこでしか唄えない歌がある。
ブルースとは歌、生活や
──純然たるソロ活動以外にも有山じゅんじさん、石田長生さんとの"平成トリオ"、近藤房之助さんとのユニット"クレイジードッグス"といった活動も活発で、近年はますます自由度の増した活躍をしていらっしゃいますよね。
木村:結局、一番大事なことって好きにやることやからね。好きなことをせんかったら表現にならへんもんね。レコーディング前にヘンに気ぃ遣うとったら、今度は表現力が弱なってもうたりするからね。ヘタでも何でもええ、好きなことを慌てんと大事にやってけたらええけど、何やかんやバタバタしてて、"相変わらずやなぁ、多分こんな感じでずっとやっていくんかなぁ..."って思いますね(笑)。
──これだけ長きにわたって飽きずに唄い続けてこれたのは、一貫して唄うことを楽しんできたからでしょうか。
木村:いやぁ、その"飽きずに"が飽きるんですわ。昨日に続いてまた今日も唄うなぁ、唄いたくないのに約束あるから唄わなあかんなぁ、約束破ろうか、破るほうがしんどいなぁ...って感じですわ(笑)。そんな気分の中で、どうすれば自分が気持ち良くできるかな? っていろいろ考えたりするんやけどね。でも、考えたことをライヴでしよう思うても出ないんですね。ライヴに出た時の感じでやるしかないんですわ。ライヴをやる前に想像するのはええんやけど、想像とライヴはまたちゃうからね(笑)。だからやっぱり、その場で勝手に出てくるもんをやるのが一番ええ思うて。
──その場の流れに身を任せて、ライヴならではのハプニング性を楽しむと言うか。
木村:ハプニング言うか、風の流れのもんやからね。風って止まってるもんやないし、ずっと動いとるから、それをただ気ままに楽しむ。その場でフッと浮かぶもんがあれば、「まぁまぁ、もうちょっとゆっくりやろうかぁ」言うて即興でやってみたりね。そんなもんちゃうかな。
──ステージ上の木村さんは、焼酎の水割りをとても美味しそうに召し上がっていますよね(笑)。
木村:まぁね、バーボンとかを呑みながら。結局、ライヴをやるほうも見るほうも、お互いが呑みたいもん呑んで、食べたいもん食べながらがええんよ。最近は禁煙の所も多いけど、タバコを吸いたい人は吸うて、踊りたい人は踊ればええ。眠たい人は寝たらええやん。帰りたい人は帰ったらええし(笑)。ホンマそんなもんやと思いますよ。何かやっとったら勝手に人が集まってきて、みんなが好きなように楽しんでるのが一番嬉しいなぁ思うてます。
──若い共演者に刺激を受けたり感化されるようなことはありますか。
木村:若い人言うても、僕もまだ若いもん(笑)。どっちが楽しいか勝負したろ! しかあらへんから。まぁ、人と会うたらやっぱり刺激は受けますよ。"お、こいつ、持っとんな"とか思うしね。何を持っとんのかと言えば、気ぃですわ、やっぱりね。
──気、ですか。
木村:気持ちを持っとるのが、"ああ、ええなぁ"って。"こいつは表面ばかりで、女の子を騙そうとしとるな"っていうんはすぐ判るし(笑)。それで楽しんでるならええねんやけど、形だけで表現しようとするヤツはすぐに判るから。素人、玄人関係なしに人は絶対感じるから。
──小手先で表現しようとする上っ面ばかりの人間と言うか。
木村:小手先から始まるんかも知れんけど、始まりはどっちでもええねんけど、人は目も見えるからね。パッと見てファッション的にええな思うて、ずっと見てたらその人の中身がだんだん出てきよるから。そやから別にファッションなんてどうでも良くて、自分がいろいろ楽しめることなら何でもええと思うんですけどね。でも、問題はあくまでその中身やから。"お洒落"っていうんは結局楽しむことやし、"格好ええ"っていうんは好きなことを大事にすることやと思うしね。
──木村さんの歌には常にブルースが根幹にあるから、どんなに自由な表現をしても軸がブレることはないですよね。
木村:ブルースが根幹にある言うても、じゃあブルースって何でしょう? っていうのがあってね。僕なりの解釈は、生きて、感じることやろなって。ただそれだけですわ。日本語で言えばブルースって何? 言うたら、歌、生活や。