さかのぼること約2年半前、静かな森の奥深くに、キノコホテルというかわいくも不気味な名前のホテルがひっそりと創業した。そのホテルについては、退廃的なサロンであるとか、女だけの秘密の花園であるとか、深夜の狂宴が開かれているとか、いろいろな噂が伝えられてきたが、ついに今年2月、キノコホテルの支配人・マリアンヌから私たち宛に1通の招待状が届けられた。
自主制作シングル盤『真っ赤なゼリー』がインディーズチャートの首位となって以降、人工的近未来感とノスタルジーが奇妙に交錯したロックサウンドで、瞬く間に中毒者を増殖させたキノコホテルは、実演会(ライブ)を記録したDVDとCDで勢いをつけ、いよいよ1stアルバム『マリアンヌの憂鬱』でメジャーデビューとなったのだ。
この招待状を手にした者が、実際にキノコホテルを訪れるかどうかはもちろん自由だ。「行きはよいよい帰りは怖い」という注意書きも見落としてはいけない。しかし人間は快楽なしには生きていけないし、そもそも快楽と中毒を同時に体験するのがロックという表現なのだ。さあ、鍵を開けろ! (text:加藤梅造)
キノコホテル創業
──いよいよ待望の1stアルバムをリリースするキノコホテルですが、これまでの歴史などを聞かせて下さい。まずは創業当時の話を聞きたいのですが。
マリアンヌ 創業時のメンバーは今はもう私だけなので、私がお話しするしかないわね。
──資料には2007年6月にキノコホテル創業とありますが、マリアンヌ支配人はキノコホテル創業の前に別のバンドをやっていたそうですね。
マリアンヌ それは半年間ぐらい遊びでやっていた程度です。そもそも本腰を入れてバンドをやろうとは思っていなかったし。ただ、その半年の間に自分で作った曲がいくつかあったので、このままやめてしまうのももったいないかと。
──前のバンドを止めた原因は何だったんですか?
マリアンヌ 主に人間関係。私についていけないとか言われたりして、気づいたら誰もいなくなってた......(笑)
──その時からS的なキャラクターだったんでしょうか?
マリアンヌ 元の性格ですからね。前のバンドには私よりも経験も多くテクニックもある男性のメンバーがいて、その人に言いたいことを言ってたら呆れてしまったみたいで。
──その後にいよいよキノコホテルを創業するわけですが、最初からバンドのコンセプトはあったんですか?
マリアンヌ 今度は全員女の子でいこうと思って従業員を探したんです。もともとコンセプチュアルなバンドをやりたかったわけではないんですけど、キノコホテルという名前にした以上そうせざるをえなくなったというか、自分で自分の首を絞めたというか。
──僕が初めて観た時は、キノコホテルという名前とバンドの持つ世界観はかなり密接な感じを受けたんですが、最初は試行錯誤もあったんですか?
マリアンヌ 初めからカッチリと決まっていたわけではなく、しかもメンバーがまだ流動的だったので、コンセプトを考えるまで至ってなかったんです。
──当初はガレージバンドというイメージが先行していたと思いますが。
マリアンヌ そもそも私はキノコホテルでガレージをやっているという意識は全くなくて、多分下手くそだからガレージって言われるのかと思っていたんです。最初からこういうイメージの曲を書こうという意識はなく、たまたま私が作っていた曲がそういった年代性を感じさせるようなものだったのではないかと思います。
──70代的なものを意識していたわけではなかったんですね。
マリアンヌ 昔はバイオリンを習っていたこともあってクラシックしか知らない人でした。一時期、GSとかを聴いていた時期もありましたが、それもただの通過点。その後は別の音楽を聴いたり、音楽そのものから離れた時期もありました。それで自分で作曲をするようになって出てきたのが今やっているような音楽だったので、その時にはじめて自分がこういったものが好きだったのかと気づきました。だからキノコホテルはコンセプトよりも曲ありきで始まったんだと思います。その曲を表現するためにどうしたらいいのかを考えた結果がキノコホテルだった。
──それまでに影響を受けた歌手とかいるんですか?
マリアンヌ いや、歌うようになったのがそれこそ3年前ぐらいからなので。歌うことに興味があったわけではなくて、自分で曲を作った時、人に歌わせるぐらいだったら自分で歌ったほうがいいかと思ったぐらいで。未だにこんなんでいいのかしらと迷いながらやっています。
──なるほど。じゃあマリアンヌさんにとっては作曲を始めた時からキノコホテル的なものが始まっていたとも言えますね。作曲はいつ頃からされているんですか?
マリアンヌ キノコを創業する前の年くらいからかしら。それ以前には自分が曲を作るとかバンドをやるとかは全然考えていなかった。たまたまあるきっかけで曲を作ることになって、それから1週間後ぐらいに初めて作った曲が、のちの「真っ赤なゼリー」なんですけど。
マリアンヌ東雲(支配人/歌、電気オルガン) | イザベル=ケメ鴨川(電気ギター) |
従業員募集
──マリアンヌさんの世界観は最初からかなり確立されていたように思いますが、キノコホテルが今の従業員(メンバー)になるまで結構大変だったのではないですか?
マリアンヌ そうね・・・色々あったわね。人事異動も激しかったし。
──では、今の従業員の方々が就業した経緯を聞いてみたいと思います。最初に入ったのはベースのエマニュエル小湊さんですが、当初は物販スタッフだったとか?
エマ そうなんです。それが前任のベーシストが辞めた時に「ちょっとベースやってみない?」と誘われて、それで2ヶ月間ぐらいサポートをしていたんです。
マリアンヌ その時は彼女がまだ正式にはできないということだったので、オーディションをしていて、そこに立ち会ってもらっていたんです。
エマ そのうちにだんだんうずうずしてきて、ある時「私、やっぱり正式メンバーになりたい!」って言ったんです。オーディションを見ているうちに「こんな子にやらせるぐらいなら私がやる!」って。
マリアンヌ 私も初めからそうなるのを狙っていたんです。しめしめと。
──マリアンヌさんの策略にまんまと乗せられた訳ですね(笑) 最初から正式メンバーにならなかった理由は何だったんですか?
エマ 私はそもそも女の子だけでバンドを組むっていう考えがなかったんです。でもサポートでやってるうちにだんだん楽しくなってきて。女の子だけだと衣装も凝ったりできるし、なによりもやっている曲が演奏していてどれも楽しいものだったんです。
──それまでエマさんはどんなバンドをやってたんですか?
エマ 下北沢によくあるようなギター系のバンドです。男の子がさわやかに青春を歌うような(笑)
マリアンヌ 草食系男子がね!
──次に、ギターのイザベル=ケメ鴨川さんとドラムスのファビエンヌ猪苗代さんが就業するわけですが、ケメさんはどういった経緯で?
ケメ まあ、なんていうか斡旋されて。
──斡旋?
ケメ プロデューサーのサミー前田さんから斡旋されたんです。当時、エレキギターはもう一生弾かないと決めてアコギで弾き語りのソロ活動をしていたんです。それで1ヶ月間の臨時従業員ということで入ったのがきっかけで。
マリアンヌ 前任のギタリストがわりといいプレイヤーだったので、その穴埋めをできる娘がなかなか見つからなくて苦労しました。一瞬、廃業の文字が脳裏をよぎったり・・・
──ケメさんはキノコホテルと平行してソロ・フォークシンガーとしても活動していますが、もともとはフォークが好きなんですか?
ケメ フォークが好きというよりは、一人でやる方が楽だっていうのがあって。
──それがエレキギターを持って再びバンドに入ろうと?
ケメ キノコホテルのことは全く知らなかったんですが、初めて聴いた時になんか関わりたいなって思ったんです。
──一方、ファビエンヌさんはメンバー募集に応募したんですよね?
マリアンヌ メンバー募集じゃなくて「求人広告」です。
ファビエンヌ 当時やっていたバンドが一区切りして、次の活動拠点を探している時にキノコホテルの音源を聴いたんです。それが自分が気に入っていた音楽とフィーリングがぴったりで、ああこの人について行こうと思ったのが応募したきっかけです。
──気に入っていた音楽とは?
ファビエンヌ 音楽性は全然違うんですけど、生き様というか、発信しているものに近いものを感じて、ああこれは絶対おもしろいはずだと。
──その音源というのは当時のキノコホテル唯一のシングル『真っ赤なゼリー』ですよね。確かにあのシングルは当時のインディーズチャートを席巻しましたが、考えてみればそれはマリアンヌさんが作った初めての楽曲なんですよね?
マリアンヌ そうですね。初めて作った曲でもあるし、初めて歌って、初めてバンドで演奏した曲でもありますね。
──それがいきなりディスクユニオンのインディーズチャート1位になったわけですからねえ。ただ、それ以降はライブDVDやライブ盤のリリースはあったものの、今回の1stアルバムまでの約2年間スタジオ盤のリリースをしなかったんですが、これもまた究極のじらしプレイと言えますね。
マリアンヌ 本当はライブ盤は出したくなくて早くスタジオ盤を出したかったんです。でも話をすすめている内に従業員の退職などもあって、のびのびになった結果なんです。決してじらしてた訳ではない。
──なるほど。でも意図してなかったとはいえ、その2年の間にキノコホテルの知名度がぐんぐん上がった結果、今や最も待ち望まれる形での1stアルバムリリースになったと言えますね。
マリアンヌ そうですね。無駄はない感じはします。
エマニュエル小湊(秘書/電気ベース) | ファビエンヌ猪苗代(ドラムス) |