Shibuya O-EASTの解散ライヴから1年。
あの日に、置いてきてしまったハズの時間。
時には歩みを止めて、振り返ることも必要だということを知った。
沈黙と言われてしまう中、葛藤も含めた上で、この1年は様々な想いがあった。だが時を経て、彼らは"ivory7 chord"(アイボリーセブンスコード)として、同じステージを共にし、更なる景色を求めて、また旅を始める。
あらゆる偶然が必然という絆を生み、歯車となって再び動き出す。
ようやく踏み出せたとも言える、この一歩。
踏み出す上で、今まで関わってきた、かけがえのない人たちの後押しがあり、それが力となったことは言うまでもない。
当たり前のことを当たり前にできなくなってしまった昨今に、情報やメディアの力だけではなく、本当の意味で感じるモノを示してくれるに違いない。
あのトキ以上に、圧倒的な感動から心躍らされるその一瞬。本当に心待ちにしていた。(interview:平子真由美/下北沢SHELTER)
人選で重要視したのは人間性
──WRONG SCALEのラスト・ライヴは当時在籍していたK-PLANの社長の誕生日を祝う形で、あまり湿った感じにしようとしなかったのがWRONG SCALEらしくて良かった気がしますね。
野田:最初はそういう体の企画だったので、結局それを最後のライヴにしただけの話だったんですよ。まぁ、お客さんの雰囲気はそうでもなかったんですけどね。でも、今思えばああいう形で終わらせて良かったなと思いますね。
──WRONG SCALEの解散後、バンドはまたやりたいと考えていたんですか。
大西:僕はそう思ってましたけど、剛史君は実家に帰ることを匂わせてたんですよ。
野田:確かに、バンドはもうやめてもいいかなって一時はちょっと思ってました。いろんな物事がイヤになってたし、バンドが解散してすべてがフラットになって安心しちゃったと言うか。これでもう何もやらずに済むっていう。
──WRONG SCALEとして10年間活動して、やり切った感も大きかったですか。
野田:やり切ったからやめてもいいやと言うよりは、"ああ、もう!"ってちゃぶ台をドカーン!と引っ繰り返したくなる気持ちのほうが強かったんですよ。やめたいと思ったのは、その衝動だけですね。ホントはやめたくなくてしょうがなかったですよ。まぁ、俺がやめるって最初に言い出したんですけどね。
──やはり、生みの苦しみという重圧に耐えかねていたがゆえの解散だったんでしょうか。
大西:一因としては大きいですね。
野田:でも、曲作りに関して言えば今のほうが大変ですよ。これまで経験してきた中でいい部分はもちろん残すけど、ちょっと生温かったなと感じる部分は極力削ぎ落とすことに腐心したし、今回のレコーディングも自分たちとしてはかなりシビアに取り組んだつもりなんです。WRONG SCALEの時はなぁなぁな部分があったような気がするし、あの時にもうちょっとタイトに詰めることもできたんじゃないかなと思って。曲作りにおける反省がそのまま続いてる感じですね。
──このivory7 chordは、まず野田さんが大西さんに声を掛けたところから始まったんですか。
野田:またトシとバンドをやりたかったので誘ったんですが、"やろうぜ!"っていう話し合いを特にしたわけでもないんですよね。俺の手がちゃぶ台に引っ掛かってるような時はスタジオもうまいこと回ってなくて、「もう帰るわ」みたいになったこともあったんですよ。俺は滅多にそんなことはしないんですけどね。で、トシとふたりで焼鳥屋に行って、そこで呑みながらああだこうだ話したんです。お互いにバンドに対して不満があったし、そこからこのバンドの着想を得た感じですね。
──それはいつ頃の話なんですか。
野田:冗談半分で「別のバンドをやろうか?」なんて話をしていたのは、もうだいぶ前なんですよ。WRONG SCALEを抜けようと思ったのは相当前だし、解散を切り出したのが一昨年の夏でしたね。その半年以上前にやめることを考えていたんですけど、踏み出せない自分もいたし、まだ頑張れそうだと思える瞬間があったりもしたんです。ちょうど自分自身に対しても自信がなかった時期だったし、トシが俺と一緒にまたバンドをやってくれるかどうかは定かじゃなかったんですけどね。
大西:俺としては、WRONG SCALEをやっている最中に次のバンドのことを考えるのはどうかなと思ったし、一度整理してから剛史君とまたやりたいなとは思ってましたね。
──おふたりの他に、ギターに元L.A.SQUASHの三谷和弘さん、ドラムにUNCHAINの吉田昇吾さんという布陣が少々意外な気もしたんですけど。
野田:UNCHAINとは一緒にツアーも回ってたし、吉田には結構前から誘っていたんですよ。向こうも是非やりたいと言ってくれてたし、腕も確かですからね。ただ、人選に関しては、やっぱり人間性を重要視しましたね。スキルは後から付いてくるものだし、せっかくまたバンドを始めるなら長く続けたいし、いい関係を築きたいですから。
大西:吉田はあれだけバンドをやっているのに、プライヴェートで遊べる人間がこのふたりしかいないんですよ(笑)。そこもいいなと思って。
──ivory7 chordが始動すれば注目も浴びるだろうし、それ相応のプレッシャーも感じていましたか。
野田:いや、ちっちゃな注目だと思いますよ。そこをあまり意識しすぎると伸び伸びとやれなくなるような気がしますね。
惰性でバンドを続けるのは失礼だと思った
──サウンドの方向性としてはどんなものを志向しようと?
大西:そこが一番苦労したんですよね。WRONG SCALEの延長線上にあるものをやっても意味がないけど、WRONG SCALEっぽいものを期待する人もいるだろうし、自分たちとしては何か新しいものを作りたいし...この1年、いろいろと悩みましたね。曲はだいぶ作ったんですけど、10曲以上は捨てたんですよ。
野田:WRONG SCALEの時は捨てる作業をしなかったし、出来たものはとりあえずやることが基本だったんですよ。多分、いろいろと選べるようになったんじゃないですかね。本来やろうとしていることからズレてくると、"これは違うな"とちゃんと判断ができるようになったと言うか。ただ、選ぶことは凄く大変な作業だから、ivory7 chordのほうが生みの苦しみは大きいと思いますよ。目の前のことをただ漫然とやるほうがラクですからね。
──WRONG SCALEは常に難産の末に作品を発表していた印象がありますね。
野田:そう思われがちなんですけど、難産なわけじゃなくて、単純に動き出すのが遅いだけだったんです。
──ivory7 chordというバンド名には詩的な響きもありますね。"セブンス"と読めない人がかなりいそうですけど(笑)。
野田:"セブンコード"って読み違える人はたくさんいますけど、響きがいいなと思って。
大西:もともと僕が"ivory"って言葉を使いたかったんですよ。で、剛史君が"chord"を付けたいと。"7"を付けたのは、僕が曲を作る時に7thコードが多いからなんです。
野田:WRONG SCALEも定着するまでに時間が掛かったんですよ。一番酷かったのは、某CDショップのポップに"ウォーニング・スコール"ってカタカナで書いてあったことですね(笑)。
──ネーミングを考えるところから始まって、新しくバンドを始める昂揚感みたいなものもあったんじゃないですか。
野田:いろいろとモヤモヤしていた時期に比べれば、今はいろいろと考えなきゃいけないことがあるけど楽しいですね。ただ、俺よりもトシは曲作りで大変だったと思いますよ。方向性をいろいろと考えなきゃいけなかっただろうし、寝る間を惜しんで曲を作ってたから途中で体調を崩したりもしたし。でも、やりたいのはこれなんだというのがふたりともモチベーションとしてありましたよね。
──結局のところWRONG SCALEの末期というのは、純粋にバンドを楽しむことができなかったという一言に尽きるんでしょうか。
野田:俺はそうでした。ステージに立ってベースを弾きながら唄うのは楽しかったんですけど、あの形のまま惰性で続けるのはバンドに対して失礼だと思ったんですよね。決して他の3人のせいじゃないし、自分がそう感じてしまった以上はすいませんけどバンドを抜けさせてもらってもいいでしょうか、っていう感じだったんです。こう見えて我慢はできるほうなんですけどね。すぐにちゃぶ台を引っ繰り返しそうに思われがちですけど。
大西:ただ、そのちゃぶ台がかなり重たいわけですよ(笑)。鉄板でも差し込んであるんじゃないかっていうほどに(笑)。
──後からWRONG SCALEに加入した大西さんから見て、バンド内に緊張感みたいなものは絶えずあったんですか。
大西:それが意外となくて、いつも3人が和やかな空気を作ってくれてたんですよ。
野田:友達が入ってきたみたいな感覚だったし、むしろありがとうを言いたいくらいでしたよ。トシも活動期間の半分はバンドにいたわけだし、しっかりとしたバンドの形を作ってくれた要因でもあるわけで。そういう意味では、引きの強いバンドでしたよね。
──ivory7 chordではどんな形で曲作りを進めていっているんですか。各々がパーツを持ち寄って、大西さんが中心となって構築していったりとか?
野田:今回は、トシがある程度の形までカチッと作って仕上げた感じですね。時間も限られていましたから。
大西:最終的にはそうなりましたね。最初はどういう方向がいいのか判らなかったから、ふたりで話し合いながら進めてましたけど、方向性が見えてからは早かったです。
野田:最近になってようやく、吉田からも「ドラム、こっちのほうが良くないですか?」っていう提案が出てきましたね。今は提案してくる奴もいれば、弾くのにいっぱいいっぱいな奴もいれば、弾きながら唄うのが大変だって言ってる奴もいる段階ですね(笑)。スタジオにも年末にやっと入り始めたんですよ。ライヴまであと少ししかないのに。
──夏休みの宿題を8月31日から取り掛かる姿勢は相変わらずなんですね(笑)。
野田:そこは相変わらずですね。実際、俺は始業式の日にちょっと早めに学校へ行って、頭のいい奴のノートを丸写ししてましたから(笑)。