辛気くさい生活を笑えるところまで落とし込む
──長いスパンで制作することで、友康さんのメロディと増子さんの歌詞の関係性にも変化があったんでしょうか。
増子:今までは友康の作ってきたメロディを、字数も合わせてそのまま踏襲してたんだけど、最近はそこにもっと遊びを持たせてくれるんだよね。字数を決めないで渡して、俺の歌詞に合わせてメロディを付け直してくれたり。だから面白いものが出来たりするし、より言葉のほうに寄ってるよね。でも決してメロディは殺してないっていう。歌詞のストックはいっぱいあるんだけど、その中からどれだけ曲に合うものをはめ込んでいくか、逆に合わないものを付けるか、自分の中でその折り合いを付けていく作業が一番難しいね。
──今回、歌詞を書く上で意識した部分というのは?
増子:歌詞に関しては、その瞬間を切り取っていく作業をより自覚的にやっていきたかった。例えば「青の季節」の場面が展開していかない瞬間の想いだとか、「3番線」で言えば電車を降りていないよね。そういう世界観を狭めたところでのひとつひとつのディティールをどう表現していくかっていう。ショボクレた辛気くさい生活の中から出てくるものを、丼の具としてどう乗っけていくかを考えて書き上げたね。
──場面は限定されていますけど、それでいて普遍的な内容でもあり。
増子:俺達は写実画をやりたいんじゃないっていうのが最近よく判ったね。俺が一番力を貰ったものって、ドリフターズであったりクレイジー・キャッツであったり憂歌団であったり、まぁパンク全般もそうだけど、笑えない状況を如何に笑い飛ばすかっていうかさ。先人のそういう部分に惹かれていたから、そこに原点回帰しようっていう意識があったね。写実じゃなくて、どれだけコメディのところまで落とし込めるかっていう。
──よく読むと重いんですけど、パッと聴きは軽いんですよね。
増子:そう、そうしようと思って作ったから。いつも1曲の中に生まれてから死ぬまでの世界観を全部詰め込みたがる傾向があって、1曲の中でドラマを完結させたかったんだよ。今回はそこから脱却して、『LIFE BOWL』っていうタイトルにも掛けてあるけど、ひとつひとつ歌という具があって、丼として全部食って腹いっぱいになるように考えてたね。それと、受け手側に委ねたい気持ちがあったから、最後にダメ押ししないでおこうと思って。写実画っていうのも悪くはないんだけど、それだったら写真のほうがイイんじゃない? っていうものになりがちだから。かと言ってポップ・アートでもないんだけど。語り過ぎないで丁度いいところ、初期衝動が残ってるうちにやめておくっていうかさ。要はスナップ写真でイイと思うわけ。毎日ラフに撮った1枚が積み重なって、それが人生なわけじゃない? アルバムってそれでイイと思うんだ。その辺が丁度良いバランスで作れたね。
──「ドンマイ・ビート」のようなコメディ・タッチの歌詞もあり、「男と書いて」のような男の生き様をストレートに描いた歌詞もあり。
増子:「ドンマイ~」の歌詞は何転もしたけどね。あの歌詞でひとつ表現したかったのが、男と女というものに対する俺なりの見解っていうかさ。だから「ツイているとかいないとか」っていう歌詞は、ラッキー/アンラッキーのことだけじゃないぞ、と(笑)。
──ああ(笑)。ちなみに「ドンマイ~」の四つ打ちは誰のアイディアだったんですか?
増子:毎回アルバムを作ってツアーをやった時に、そのツアーの曲の流れの中で足りないものっていうか、こういう曲があったらイイと思う曲を次で作ろうかっていうのがあって。で、今回は俺以外の3人が“フロアを揺らす”曲…ってダッサイ言葉だけど(一同笑)、そういうのが欲しいって言って。早いビートで騒がせるんじゃなくて、ちょっと身体を揺らすようなね。
上原子:四つ打ちの曲は前からやりたいと思ってずっと温めてたんだけど、ダンス・ビートっぽいというか、そういうものが今回やっと出来たかな。完成した時には“これヤバいな”って思った。自分の理想としてるものが出来たなって。
──「ドンマイ~」はPVも撮ったんですよね。
増子:PV、スッゴイよ。全員が劇画になって、2番ではOLになるから(笑)。でもまぁ、男だとか女だとか言っても、女の中にも男の部分があるし、男の中にも女の部分があるし。「男と書いて」の中では男というものを「性別じゃないぜ」とまで言ってるからね(笑)。
──従来のファンの観点からすると、「男と書いて」が推し曲でも良かったのかなという気もしますけど。
増子:それでもイイかなとは思ったんだけど、これはさすがに…初めて聴いた人に良い誤解は生まないよね(笑)。まぁ、前回のシングルが「酒爆」だったから、その路線で行ったほうがイイのかなと。楽しいほうがイイでしょ? 今回は俺の中で“楽しいほうがイイ”っていうテーマがかなりあったね。辛気くさいのは実生活だけで充分だっていう。
──「好キ嫌イズム」や「俺ころし」では生活の中で生じる葛藤みたいなものも描かれていますけど、平たい言葉で書かれているから確かに全然辛気くさくないんですよね。
増子:その2曲は対になってるんだよね。自分A、自分Bみたいな。人生ってその葛藤の繰り返しでしょ? で、メロディにうまくハマる言葉が乗った時には、軽い言葉でも心に残るっていうかさ。うまいこと言うとかじゃなくて。それが歌なんだってことがやっと判ってきたね。
──「なんかイイな」の“近所のシド・ヴィシャス”は、モチーフになった人が実際にいるんですか?
増子:札幌時代も含めて3人ぐらいいるんだよ。ああいうシーンはまさに“なんかイイ”んだよね。友達が結婚して子供が生まれたなんて聞いたら“凄くイイ”になるけど、顔は知ってるけど喋ったこともないような人だったら“ああ、なんかイイな”って。人間ってイイな、みたいな。“アイツ、将来どうすんだろう?”とか思ってたヤツが子供連れて歩いてるのを見たりさ。あと、俺がバンドを休んで包丁の実演販売をしてた頃、西荻の戎の前でスーツ着て歩いてたら顔見知りのオッサンが「なんだお前、就職したのか!」って声を掛けてきたことがあったんだけど(笑)、まさにそういうことだよ。
──自分と、自分の身の周りのすべての人達の小さな幸せに微笑ましさを感じるというか。
増子:そう。人生を映画にしたら、誰しも自分が主役なんだよね。周りに脇役がいっぱいいてひとつの映画が構成されていて、人生はそれと一緒でひとつひとつのディティールが非常に大事なんだよ。小さいところから“なんか今日は良かったなぁ”っていうのを見つけ出すこともできるんだぞっていうことを唄ってるんだよね。ただ、「なんかイイな」って言ってる割にキーが凄く高くて、思いっきり唄わなきゃいけないっていう(笑)。全然“なんかイイな”っていうほんわりした感じじゃない(笑)。
上原子:最初に「なんかイイな」って歌詞だって判ってたらキーを下げたんだけどね(笑)。