11月17日のライブで、新宿ロフト出演200回という前人未踏の記録を打ち立てるニューロティカ。それを記念しての対談シリーズ・ファイナルは、その全てのライブをこなしてきたロティカのボーカリスト&バンドの顔・イノウエアツシと、かつての新宿ロフト店長にして現・ロフト代表の小林茂明、歌舞伎町に移転してからはじめてロフトに来たという新しい世代の新宿ロフト現・店長、大塚智昭を迎えての対談を決行! ニューロティカと新宿ロフトという切っても切れない絆のヒミツが今、明かされる!? (interview : 北村ヂン)
みんなファミリーみたいな感じがあった
──(小林)シゲさんは、はじめてロティカを観たときのことって覚えてますか。
小林:多分、最初にロフトでロティカがやったときのライブを観てると思うよ。
アツシ:PCMっていう事務所の企画で出してもらったヤツですね。POGOとANTIと一緒にやったんだ(1985年9月3日「BIG MAGNUM 2-DAYS」)。お客さんも友達ばっかりだったんだけど、すごい盛り上がってたから「これはいけるな」って思って、その場で店長に自分の企画を交渉したんだよね。そしたらすぐやらせてもらえて、ゲンドウミサイルとHYDRAを呼んで「ネオファミリー大作戦Vol.1」(1985年12月3日)っていう企画をやったんだ。
──ロティカが出演するのより、シゲさんがバイトとして働き出す方が先だったんですか。
小林:そうだね。でも遊びに来てたのはアツシたちの方が早かったんじゃないかな。
アツシ:中学生の時から行ってましたからね。中三で初めてARBを観に行って、高校生の頃なんかは打ち上げをやってるところに入り込んでビール飲んだりしてたし……。
小林:前のロフトは客席が二段になってたんだけど、打ち上げの人数がそんなにいない時は上の段をお客さんに解放してたんだよ。
アツシ:それで、「あーっ池畑さんが来た!」「茂さんが来た!」「あーっ布袋さんだ!」とか大騒ぎしてたね。
──夢の世界だったわけですね。ちなみに現・店長の大塚くんはロフトに入る前にニューロティカって知ってましたか。
大塚:ぶっちゃけ知らなかったです(笑)。ロフトが歌舞伎町に移転した直後に、お客さんで来た時にPOTSHOTとニューロティカが一緒にやったライブを観たのが最初ですね。
──それは何目当てだったんですか。
大塚:POTSHOT目当てでした(笑)。
アツシ:まあ、今の店員は知らなかった人も多いだろうね。
大塚:最近入ってくる子はさすがに知ってると思いますけどね
アツシ:こっちに移転してきた当初は全然顔を覚えられてなくって、入り口でお金取られそうになったしなー。こんだけロフトに貢献してるのに!
──それからロティカはロフトでワンマンやったり3DAYSやったりするようになるわけですけど、その頃はもうシゲさんが店長になってたんですか。
小林:そうだね。
──アツシさんがロフトと密接になっていったのはいつ頃なんですか。
アツシ:ワンマンをやれるようになった頃は、まだ周りの友達が来てくれて飲むのが楽しかったっていう感じだったから、事務所がついて3DAYSとかやるようになった頃からじゃないかな、店員ともみんな仲良くなったのは。
小林:そのくらいだよね。もう、終わってから店のスタッフもみんな一緒になって飲んでたからね。酔っ払って出し物やって……。
アツシ:一回機材を片づけてるのにもう一回機材車から下ろしてきて(笑)。しかもこっちでは麻雀して、こっちでは女を口説いてたりとか……。
大塚:今はそんな打ち上げ想像もつかないですね。
アツシ:さらに、そこに色んなミュージシャンが遊びにくるんだよ、楽しかったな。事務所の社長が帰ると、上にたまってるお客さんを呼んで中に入れちゃってね(笑)。
小林:あの頃はお客さんが結構待ってたんだよね。打ち上げの人数が少なくなると中に入れるってわかってるから。
──ニューロティカは今のロフトでもそういう感じのゴーカイな打ち上げをやってますよね。
大塚:やってますねぇ。
──やっぱり、あの頃が楽しかったから、そういう打ち上げをやっていきたいという感じなんですか。
アツシ:いや、周りがアホなんじゃないかな(笑)。
小林:ニューロティカって昔からファンの子とメンバーとの間がファジーなところがあって、みんなファミリーみたいな感じがあったからね。
アツシ:今スタッフやってくれてる人は、大体ずうずうしく打ち上げまで残ってた子たちだから(笑)。
小林:よくも悪くもそこら辺が分けづらいというかね。どこまでがスタッフでどこまでがお客さんなのか。
アツシ:それは店としては困ったもんですよね。
小林:そうなんだよ(笑)。でも、そうなるとファンの子たちがロティカの日以外でもロフトに遊びに来るようになるんだよね。それで店員と仲良くなって、打ち上げやってても「入れてよ」みたいな話になって(笑)。
アツシ:そのやり口はよくわかった(笑)。「どうしてチケット・ソールドアウトなのに入れたんだよ?」って思ったら、店員さんに頼んで……みたいなことがあるからね。その手があるのかーって(笑)。ロフトの歴代スタッフとか、みんなウチのファンと付き合ってるでしょ。
小林:そうだね(笑)。ロフトのスタッフとロティカのファンはすごい近い関係だったよね。
大塚:確かに今のロフトでも深夜のお客さんってロティカのファンが一番の常連ですからね。
俺はロフトを守ろう
──それから、ロフト7DAYS、10DAYSなんてことまでやるようになるわけですが、1月の中で1週間もスケジュールを埋めちゃうなんて考えられないですよ。
アツシ:みんなから言われたよー。「ダメだよ、そんなにみんなのロフトを使っちゃ!」って(笑)。やっぱりジャンル関係なく色んなバンドがロフトを目指してたからね。
小林:しかも、スケジュールがすぐに埋まっちゃうような時期だったしね。
──バンドブームで、他のバンドはロフトで何回もやるよりもデカイ所で、みたいな時期でもあったんじゃないですか。
アツシ:バブルみたいな感覚で、みんな「新宿でやるならパワステ」みたいな感じになってたけどね。俺等は新宿にロフトがあるのにわざわざあんなところまで行ってやることはないなって思ってたから。まあ、渋公とか厚生年金とかでもやってたんだけど、正直、椅子があるようなところってイヤだったからね。だから、野音の次の日にもロフトとかやってたよ。
小林:まあ、ロフトってバンドとの関わりが深いライブハウスだったから、キャパのデカイところに行ったバンドもなんだかんだで出てくれたりしてたよね。
──それの最たる物がロティカだったという感じですか。
小林:ロティカはまたちょっと違うんだよ。俺の個人的な考えでいえば、もっと身内な感じなんだよね。人間的なつながりが深いというか。
──アツシさんがそこまでロフトにこだわったっていう理由って何だったんですか。
アツシ:たまたま東京に生まれて、たまたまはじめて行ったライブハウスがロフトで、そこで青春があって、自分でバンド組んで出れるようになって……っていうことじゃないかな。だから、もし岡山出身だったらペパーランドとかだったのかもしれないし。あの頃って地方に行くとどこでも、地元のお客さんがノーギャラでストッパーとかしてくれてるんだよ。そういうのを見て、「ああ、俺はロフトを守ろうって」思ったんだけど、そういうことなのかな。
小林:あとは、当時のバンドとロフトっていうのは「戦友」みたいな感覚もあったんじゃないかな。マスな部分だとベスト・テンとかがやってて、BOOWYなんかがそこに向けて突破口を開いていったっていう流れがあり、そんな中で一緒に時代を作っていこうぜ! みたいな意識はどこかにあったと思うよ。