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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】突然段ボール(2007年10月号)-結成30年目の回答──故・蔦木栄一の遺した歌詞を基に作られた新曲と初期の楽曲から成る、 初期衝動に溢れた会心作『純粋で率直な思い出』

結成30年目の回答──故・蔦木栄一の遺した歌詞を基に作られた新曲と初期の楽曲から成る、 初期衝動に溢れた会心作『純粋で率直な思い出』

2007.10.01

'77年に埼玉県深谷市にて、蔦木栄一、俊二の兄弟を中心に結成された突然段ボール。当時、東京ロッカーズが席捲するパンク、ニュー・ウェイヴ・シーンの中で一際異才を放ち、その後もバンドの形態を柔軟に変化させながら活動を続けてきたが、'03年にヴォーカルと詞の面でバンドのイメージ的な部分を担ってきた栄一が肝硬変のため逝去するというアクシデントに見舞われてしまった。だが、突段は俊二を中心に、彼自身がヴォーカルも務める形で活動を継続することを決意した。そして結成30周年を迎える今年、初期の楽曲や栄一が遺した詞に新たに曲を付けた新曲から構成されたニュー・アルバム『純粋で率直な思い出』をリリースした。この期に突段にインタビューを敢行、蔦木俊二と'05年に突段に加入したギターの松浦 徹(元BOYS BOYS、ノン・バンド等)、そして今回のアルバムのプロデューサーであるPANICSMILEの吉田 肇が同席し、インタビューに応えてくれた。(interview:川上啓之)

30年の区切りとしての作品を作りたかった

──今回のアルバムは栄一さんが遺した歌詞を基に制作された曲と初期に作られた曲で構成されていますが、このコンセプトについて説明していただけますか?

蔦木:30周年記念ということで、区切りとしての作品を作りたかったので。突段の初々しかった頃のヤツと、詞は出来てるけど曲はないみたいな新曲と、その30年の歩み、みたいなのを含みたいというのがあって。そういう意味で新しく曲を付けたばっかりで、そんなに合わせてないようなのもやってみたって感じで構築してみた。

──栄一さんの詞は歌を付ける前提で書かれていたものだったんですか?

蔦木:そうそう。だから最後に曲を付けて(栄一氏が)聴けたのは「ミサイルの長旅」と「お尋ね者」ぐらいしかないんじゃないかな。あとは知らないまま死んじゃって。

──突段って、先に詞があって後から曲を付けるというやり方だったんですか?

蔦木:初期はそうでもない。歌詞があって、スタジオに入って、ああだこうだ言いながらコード付けたりリズムを作ったりして当てはめて、後で構成するような形が多かったけど。そういう歌詞と音の分担が出来上がったのは『抑止音力』の頃、俺がガンガン曲を作ってる時に“歌詞も当てはまるじゃん”って感じでやり始めたら、分担作業がうまく行き始めたような気がして。それからだよね。

──音が出来てから、前からあった歌詞を当てはめたら、うまくいったという感じですね?

蔦木:それまでは音も介入してきたりという感じでやってたんだけど、'91年くらいから完全に分担作業にしたって感じで。


──今回の新しく曲を付けたものと初期の曲では、アルバムの中でのバランスはどんなイメージだったんでしょう?

蔦木:初期の頃の曲を今回やったのは、このバンドの初期衝動みたいなのを忘れたくないってのがあったんだけど、兄貴が死んでから何年も経ってるし、新しいことをやんなきゃなんないってのは必然的にある訳じゃない? 歌詞も俺が作んなきゃなんないから。で、兄貴がいたってところまでの区切りみたいなのをつけたかったってのはある。だから、残ってる曲や詞は全部、発表しなきゃマズイなって。最後のほうは悲しくていい歌詞ばっかりだったから、これはちょっと形にして残さなきゃマズイなって。

──今回の曲は、栄一さんがいずれ曲にして発表したいと考えて書いた歌詞だったんですね。

蔦木:生きてれば曲になってたっていう。だから、『この世に無い物質』('02年リリース)より後に作った歌詞。

──古い曲に関しては、正式に発表されていなかった曲ということですね。

蔦木:日本カセット・テープ・レコーヂング(突段が主宰のレーベル)から『初期未発表集』としてカセットやCD-Rで出してる曲。これは聴き比べてみてほしいけど。

──松浦さんは初期の突段はご存じだったんですよね? 今回、当時の曲をやるということに関してはいかがでしたか?

松浦:『初期未発表集』は自分も買ってたんですよ。私は突段が日本で三本の指に入るくらい好きで、レコードが出ればすぐ買ってたりだったんで。で、『初期未発表集』も、まだまだ使えるなって思った曲がいっぱいあったし、当時ツアーで一緒に行った時にやってた曲なんかも入ってたんだよね。それをまた世の中に出せるのは、すごくいいんじゃないかなって思いました。

──突段の初期、'78、9年頃に作られた曲を現在のリスナーに対して提示するということで、特別に考えたことはありましたか?

蔦木:そんな考えてないんだけど、結局、今のバンドのアレンジになっちゃうでしょ。だから今の突段でしかない音になると思ったから。曲はいいんだから、いいんじゃないかなって。だから、新しく聴く人に対しても、'78、9年頃に作ったヤツと今までの間にもいっぱいあるんだぜ! だからいっぱい聴きなよ! みたいな気持ちが込められてる。

──今回のアルバムは'80年前後の、あの時代のニュー・ウェイヴ、ポスト・パンクの感触が強い気がするんですよね。それは意識的にではなく、現在の突段が元から持っていたものということなんでしょうか?

蔦木:そんなに意識してないよね。

松浦:あれ以外はできないっていう感じ。そんなに器用じゃないから。それを何も考えないでやって、吉田さんが上手にプロデュースしてくれたって感じだね。

蔦木:今のバンドでやって、一番気持ちがいい感じ。

──今回のプロデューサーの吉田さんもニュー・ウェイヴの時代のバンドに敬意を抱いたりしてる世代ではないかと思うんですが、その吉田さんがプロデュースすることで、なにかフィードバックされたものはありましたか?

蔦木:“こんなんじゃ、アカンやん”みたいな感じで、けっこう力を吹き込んでくれたね。ここ一番、根性入れろって感じのプレッシャーは掛かってきたから(笑)。

──吉田さんは突段に関して、'80年前後のバンドの空気みたいなものを感じてらっしゃったんでしょうか?

吉田:でも、あんまり日本のニュー・ウェイヴみたいな捉え方じゃなくて、もっと古い、プログレッシヴ・ロックからの流れの中のアヴァンギャルドなバンドっていう捉え方です。リアルタイムじゃないんで、どっちかというと遅れて聴いた側からすると、もっと異質の、そこにしかないものっていう、カテゴリーできないものに聞こえて。それで僕の中で大事なバンドになったんです。ジャンル分け不可能ってところで、その圧倒的な個性に惹かれたんで。だから、最初に聴いた時に“日本にこんなバンドいたんだ!? なんで、もっと早く知らなかったんだろう?”みたいな後悔もあり、それから一生懸命追いつこうとして頑張ってるんですけど(笑)。

──今回のアルバムに関しては特別な時代の音にするという意識もなかったということですね。

吉田:そうですね。これまでにかなりの数のライヴを一緒にやって、色んな時期の突段を見てきたんですけど、特に松浦さんが入ってからの突段はツイン・ギターの面白味がすごくあるので、ちょっと頭の片隅にあったのは例えばテレヴィジョンとか、ツイン・ギターのバンドの音像であったりはイメージはしてたんですけど。でも、アレンジも殆ど変わってないし、ほんとにそのままを録ったっていう。ヴォーカル以外は完璧に一発録りなんですよ。

蔦木:ニュー・ウェイヴとかじゃないもんね、ずーっとやってきたことって。兄貴が生きてた時にやってたことって、ロックのアプローチとはちょっとかけ離れたことをやってたから。いなくなっちゃってからバンド形態みたいなのが固まってきたんだけど。

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