Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】バンキンガール(2007年3月号)- スバラシカヒビ─俺らのロックば聴け!

スバラシカヒビ─俺らのロックば聴け!

2007.03.01

バンキンガール。Rooftop読者はまだ知らない方も多いはず。渋谷を中心にその激しいライブが話題のロックバンド。結成は5年前、メンバーの平均年齢も約30才と決して若くはないけれど、その分、卓越したテクニックと切ない詞、温かいメロディは観るもの全てを魅了し、音源発売が待たれていた。その待望の音源『スバラシカヒビ』がいよいよ今月店頭に並ぶ。ライブで既に人気の楽曲から今作の為に書き下ろした新曲まで現在のバンキンガールが全て詰め込まれた濃厚、こってりとしたとんこつスープのような1枚。このCDを聴きまくってライブに足を運べばまた彼らの新しい魅力に気がつく事でしょう。『スバラシカヒビ』をみんなで共有すればよかたい。(interview:植村孝幸)

バンキンカコウズVSマネキンガール、勝者は?

──バンキンガールってまだまだ知らない人が多いと思うので簡単にバンドの生い立ちを聞かせて下さい。

内山進一(Vo,Gt):結成は東京です。同じ時期に上京してきて、メンバー募集とかの張り紙で知り合った感じですね。もともとみんな地元でバンドやってたんですが、“もっとバンドを本格的にやりたい”ってみんな1人で上京してきたところだったんです。

──1人で? バンドで上京してきたとかじゃなく?

内山:はい、1人で。僕の場合は、地元福岡でギタリストとしてバンドやってたんですが、もっと歌いたいなって思って。

──皆さん、地元ではどんなバンドやられてたんですか?

内山:インディーズのパンクが流行ってた頃だったんでその辺ですね。

小俣(Ba):僕はヴィジュアル系(笑)。まぁ聴いてた音楽とかは違ってたんですけどね。

──じゃあ、髪とかも立てて?

小俣:化粧とかして、髪も腰まであったりして。僕身長が180cmくらいあるんですけど、それで髪立ててたから2mくらいあって(笑)。

高橋憲史(Dr):僕は世代的にバンド・ブームだったんでブルーハーツやラフィンノーズとかのカバーをやってましたね。

──結成当初、4人編成だったみたいですが、その際は内山さんはヴォーカルをやってらしたと?

内山:いや、歌いながらギター弾いてましたね。ただギターも別に居ましたね。

──ギター抜けた後ってのはどうされたんですか? サポート入れたりとか?

内山:辞めた奴含めみんな仲良かったし、母体となる3人のメンバーでやりました。そこで誰かを新たに入れるってのは抵抗があったんで。

──4人から3人になると単純にギターの音数が減るのと、歌うのに集中出来なくなったりするとかその辺気になりませんでしたか?

内山:最初は気になってましたけど、他の2人に支えられました。でも本当は歌うだけに集中したかったんですけど、3ピースという形態にも興味ありましたから。あとはもともとギタリストでしたし、自分が歌うバッキングとかは自分が一番やりやすいなってのがわかってましたから。

──その3人になってすぐに心機一転バンド名を変えられましたが“バンキンガール”ってバンド名の由来は?

内山:とりあえずバンド名を変えようかって話になって。最終的に2つ案が出て、その1つが“バンキンカコウズ”だったんです。ただ“バンキンカコウズ”だと板金加工のイメージが強すぎてノリちゃん(高橋)が嫌だって言うんです。「“バンキン”って響きはいいけど“カコウズ”はないな」って。それでもう1つの案“マネキンガール”から「“ガール”はいい」ってノリちゃんが言うんで、じゃ“バンキンガール”にしようって。聞こえも響きもいいですし。

メンバー3人の温かさと思い出が詰まった『スバラシカヒビ』

──自主制作の無料配付CD以降、こういった形でのリリースは初めてということですが、1曲目にいきなり博多弁でタイトル曲ですね。1曲目に持ってきたっていうのは、やはり決意表明的な意味合いがあるんですか?

内山:実は今までやってきた曲の中で代表曲って言われてるのが、今回のCDの7曲目に入ってる『本当の気持ち』なんですが、ずっとこの曲が壁になってて、新しい曲が越えられないイメージがあったんです。でも『スバラシカヒビ』はそれを上回るくらいの手応えがあったんですが、この曲は最初作ったとき標準語だったんですよ。でも、小俣くんが「誰かの借りてきた言葉で歌ってるみたい、進ちゃん(内山)らしくない。博多弁で歌ってみたら。」って言ってくれたんです。「それだと博多のバンドみたいになるよ。」って言ったら、「それでいいじゃん、全然構わないよ。」って言ってくれて、一気に肩の荷が降りた感じがしたのと同時に、自分ってやっぱりこれなんだ、自分らしさってこれでいいんだって思ったんです。だから、『スバラシカヒビ』が出来た時に「アルバムタイトルもこれでいきたいです」って。まさに自分の中で決意表明って感じですね。

──全曲、作詞、作曲のクレジットはバンド名義になってますが、詞自体は内山さんが書かれているんですか?

内山:大体自分が書いてますけど、詞自体は、みんなと過ごしてきた環境で生まれてきたものなので、自分1人の力では書けなかっただろうなって思ってます。

高橋:ありがとうございます。

──みなさんと過ごしてきた日々あっての産物ってやつですね。今回8曲入りなんですが、3曲は自主制作盤で発表されてますね。この新曲と既発曲の割合っていうのはどんな意図があったんですか?

内山:今までの自分たちも知って欲しかったし、今までの自分たちを知ってる人には新曲も聴かせたかったんでこういう割合になりましたね。

──アルバムを作る段階で新曲は何曲作られたんですか?

内山:収録されてる5曲とあと2曲ですね。その2曲はまだ曲として固まってないのと、ファーストということで勢いを重視して今回は入れなかったんです。

高橋:収録される新曲っていうのはレコーディングはしてなかったけど、ライブではやっていて人気のある曲を入れた感じですね。

──既発の3曲(『うなりをあげて』『本当の気持ち』『階段』)を選んだ基準とかありますか?

高橋:ライブの手応えですかね。『本当の気持ち』もそうなんですけど、『階段』もお客さんの反応が良く、アンケートでも人気高い曲ですね。

内山:この3曲はライブでずっと演奏してきてたんですよ。2年間はセットリストから外さずにやり続けていたっていう。

──CDを作ろうってなった時に、自然とこの3曲は選ばれたと。

内山:いや、CDを作るってなった時に、この3曲は必ず入れようって思っていました。

──今回のCDはサウンド・プロデューサーが奈良敏博さん(ex.サンハウス、シーナ&ロケッツ)を迎えていますが、奈良さんとの出会いは?

内山:Ruby Roomに毎週出続けて2年目になろうかという頃、今のディレクターさんが、たまたまライブを見に来ていて、その時に僕らを観て良いバンドだなって3ヶ月くらいこっそり通ってくれてたらしいんですよ。それで挨拶して…今までだったらそこで終わってるんですけど、「ここはチャンスだ」ってディレクターさんに連絡したら、「一緒に頑張りましょう」ということになりまして。それで「バンキンガールのプロデューサーには奈良さんがいいんじゃないか」って紹介してくれたんです。

──バンキンガールに対する奈良さんの反応はどうだったんですか?

内山:博多ってところで気に入ってくれたみたいです。あと今回のタイトル曲『スバラシカヒビ』でかなり上がってましたね。

──内山さんも博多出身ですが、「めんたいロック」は聴いてました?

内山:聴いてましたね、サンハウスもそうですけど、ルースターズ、THE MODS、横道坊主。

──じゃあ、奈良さんは憧れの存在だったんじゃないですか?

内山:そうですね、最初はビビりましたよ(笑)。

──奈良さんはベース・プレイヤーなので、小俣さんはかなり影響受けたんじゃないですか?

小俣:実は最初、僕は奈良さんの存在を知らなかったんです。それでプロデューサーは奈良さんにという話を聞いた時に、敢えて奈良さんの参加してるCDを聴かないようにしようと。影響を受けすぎて自分の音が出せなくなったら嫌だと思ったんです。でも、やっぱり奈良さんがどんな人か気になって調べたら、僕が聴いて育ってきたのは奈良さんが関わっていたCDばかりで、わざと聴かなくしてる意味はないなって思ったんです(苦笑)。もうすでに気付かなかったところで影響を受けていたってことですからね。

──レコーディングの時ベースのこととか、こと細かに指示してもらったんですか?

小俣:いや、アレンジ的な指示はそんなにないですね。「そのままでいいんじゃない? それがバンキンガールだよ。」って。

休刊のおしらせ
ロフトアーカイブス
復刻