'82年6月にストレートなハード・パンク・バンドとして結成して以来、インダストリアル、ハウス・ミュージックと時代ごとにサウンド・スタイルの変遷を遂げ、'80年代後半から'90年代初頭にかけて時代の形勢を先取りした革新的な作品と妖艶なライヴ・パフォーマンスで絶大な支持を得たSODOM。日本のロック史上稀に見る変節バンドとして名を馳せた彼らが、2月18日に行なわれる新宿ロフトでのライヴで活動休止以来実に16年振りに完全復活を果たす。再始動の経緯から2007年に新生SODOMが志向するサウンドの方向性、復活ライヴに向けての意気込みに至るまでをヴォーカルのZAZIEに余すところなく語ってもらった。(interview:椎名宗之)
SODOM再始動に至る経緯
──解散というか活動休止してから16年を経て、待望の復活ですね。
ZAZIE:解散したつもりは全然なくて、ただやらなくなってしまっただけなんですよ。月日が流れるのが早くて、そのまま流されてしまったというか。
──活動を休止した'91年当時は、バンドの在り方に行き詰まりを感じていたんですか?
ZAZIE:行き詰まっていたというか、“このままダラダラやっていても、この先何があるんだろう?”と自分自身でも判らなくなってしまって。別に音の方向性が云々という話ではないんですけど、音楽活動…バンドというものに対して、自分なりの葛藤がありまして。
──2004年6月、下北沢シェルターで行なわれたLess than TV主催のイヴェント『HOLLYWOOD JUSTICE』に“MOSCOW featuring ZAZIE”として出演されたことがありましたよね。
ZAZIE:それは今回SODOMが再始動するに至る部分ともリンクするんですけど、BARAが当時やっていたMOSCOWというバンドがあって、そのバンドのヴォーカルの女性が急遽脱退するという話になったんです。その前からBARAとはプライヴェートでも付き合いがあって、ロフトに出ていた頃みたいにしょっちゅう一緒にいたわけではないですけど、また一緒にバンドができたらいいね、みたいな話はあったんですよ。そしたら急にBARAから電話が掛かってきて、「ちょっと悪いんだけど、唄ってもらっていいかな?」と。SODOMが活動休止して10年以上の年月が流れていたから、僕としては“果たして自分が唄っていいのか?”と思ったんです。ただ、BARAにそう言って貰えたのは凄く嬉しくて、結構軽い感じで「BARAがやってるならいいよ」と引き受けることにしたんです。
──BARAさんに声を掛けられるまでは、バンド活動は一切休止していたんですか?
ZAZIE:そうですね。休止したのは結局、その最後の90何年…ホントにそれすらも覚えていないんですけど(笑)、'90年代初頭にはバンドがバンドっぽくなくなっていて、DJのほうにシフトしていたりもしたので、そういうのも理由のひとつではあるんですが。DJは、今回のSODOM再始動の1年前くらいまではやっていたんですよ。
──今回の復活ライヴも、BARAさんが「もう一度やろう」と切り出したんですか?
ZAZIE:まぁ、僕がというか、僕とBARAが一緒にやるということになって。実はBARAと新しいバンドをやろうとしたんです。でも、バンド名を考えたり音作りをしているうちに、僕とBARAが一緒にやるんだったらもうSODOMでいいじゃないか、と。他にいい名前も思い付かないし、当時中心になっていた2人がまた一緒にやるんだったら、新しい名前を付けても「SODOMの奴らが何か始めたらしいな」という言われ方をするはずだし、「別にいいんじゃない?」と僕が言ったら、BARAが「ああ、そうだね」と。でも、ひょっとすると新しいバンド名でやりたかったかもしれないですね(笑)。
──素朴な疑問なんですけど、“SODOM”という看板は重くないですか?
ZAZIE:うーん…正直、あまり思ったことはないですね。知って下さっている人はいらっしゃるとは思いますけど、現在のロック・シーンを支えている若い層が何を聴いているかと言えば、別に僕達のことなんか知らないだろう、っていうのがあって。
──いやいや、そんなことはないでしょう。BARAさんとまた一緒にバンドをやろうと話が出てきたのはいつ頃なんですか?
ZAZIE:MOSCOWがシェルターに出演した時に僕が飛び入りでやらせてもらってからなので、一昨年ですね。
──最初に、どんなサウンドの方向性で行こうと決めたんですか?
ZAZIE:僕は僕であって、BARAのほうにももちろんあって。ただ、当時から僕とBARAの半々で曲を作っていたので、久しぶりに会ったとは言えども阿吽の呼吸というか、ある程度お互いの曲調とか“こんなのがいいんだろうな”っていうのを判り合ってるつもりではいますから、その辺は例えば僕が“こんな感じ”っていう抽象的な音の方向性を話した時に、月並みですけど海外の音源とかを交換し合ったりして。そうしてある程度お互いのインスピレーションを膨らませてから、実際にスタジオに入りました。
──ZAZIEさんとBARAさん以外の新生SODOMの顔触れというのは?
ZAZIE:今、5人で音作りをしているんですけど、ギターのSAKAMOTOとドラムの小林克美は、元々BARAと一緒にMOSCOWで活動したり、過去に音楽活動をしてきたメンバーで、SODOM脱退後のBARAの音楽人脈という感じです。祥虎というのはDJなんですけど、僕のDJ仲間というか知り合いで、SODOMの話をしているうちに「是非加わらせて欲しい」と言われて。僕も知らない仲じゃないし、祥虎が関わる前までは自分で打ち込みの音を作っていたんですけど、彼が入ることによってよりヴォーカルに集中できるという部分もあって、参加してもらうことになったんです。
ハウス・ユニットへ移行した真相
──目まぐるしいほどの音楽的変遷を遂げたSODOMが今回の復活でどんなサウンドになっているのか、ファンは最も気になる関心事だと思いますが。
ZAZIE:そうですねぇ…当時は周りの方から「その時代、その時代の音楽の少し先を行っている」と言われましたけど、僕が意識してそうしていたわけではなくて、その頃聴いていた音楽や影響されたアーティストから反射したものが自ずと出ていただけなんですよ。
──その当時、変わり続けることを美学とする意識はありましたか?
ZAZIE:いや、それも考えたことがないですね。ホントにただ自分が気持ちいいものをやっていただけで。“こうしたらお客さんに受けるんじゃないか?”とか、そんなことを考えたことはないですよ。
──それにしても、ポジパン時代を経てインダストリアル色の強いサウンドを打ち出したり、7インチ『BEYOND』発表後の活動停止を挟んでハウス・ユニットとして復活したりと、常に時代を先取りするサウンドを採り入れたZAZIEさんの嗅覚は目を見張るものがありますよね。だからこそ、2007年に鳴らされるSODOMの音というものに非常に興味があるんですよ。
ZAZIE:そういう意味では、さっき言ったような看板の重さみたいなものはありますよね。“また何か変わったことをやるんじゃないか?”と思われて(笑)。でも、自分で言うのも何ですけど、バンド・スタイルで打ち込みもあって、ロックとダンス・ミュージックが50/50のバランスで共存した音楽は、世界ではあるのかもしれないですけど日本ではあまり見たことがないので、それがやっと本格的にできるなという思いはあります。ジャンルに関しては、今も相変わらずインダストリアルからダンス・ミュージック系に流れていった辺りで時代が止まっていて。とは言え、時代、時代で音楽は微妙に変化しますから、主軸はそういったダンス・チューンみたいなところではあるんですけど、今の時代にダンス・チューンといってもいろんなジャンルがありますからね。単純にハウスとかテクノとか括れるようなものでもないですし、ホントにもういろんなものがごちゃまぜという感じですね。変に肩肘張らずにできているとは自分でも思います。まぁ、平たく言うと、四つ打ち系のロックということになるんですかね。当時はシンセやパーカッションを入れたりしたんですけど、今回は完全に生のドラムで、打ち込みを裏で流しているんです。だから見た目はホントにただのバンドなんですが、音は打ち込み系のダンス・チューンになっているという。ダンス・チューンと言っても、結構重い、ドーンと来る感じの音なんです。当時ハウスに流れていった時に物足りなさを感じたお客さんもいたとは思うんですけど、今回はそういうのはないんじゃないかという自信はありますね。
──当時は、決して奇をてらってサウンド・スタイルを変えていたわけではないんですよね?
ZAZIE:そうですね。なんでそういうハウスのほうへ流れていったかと言うと、当時クラブやディスコがまだ少なかった時代に、たまたま周りに西麻布3.2.8〈サンニッパ〉のDJがいて。その人から「面白いもの聴かせてやるよ」と言われて聴いたのがハウスだったんですよ。僕らが『MATERIAL FLOWER』っていう12インチを出した頃だったんですけど、そのDJに『MATERIAL FLOWER』を聴かせたら、「これから日本にもハウスの時代が来るから、これをもっとアレンジしてお前が先駆者になれ」って言われたんです。もちろんそれは無理矢理ってことじゃなくて、僕自身も凄く衝撃を受けたので、“これは面白いな”と思ってそっちに流れていったんですよ。このエピソードは実は初めて話すんですけどね、今まで訊いてくれた人もいなかったので。今でこそハウスもテクノも当たり前のようにありますけど、当時は「ハウスって何?」っていうレヴェルでしたからね。
──『MATERIAL FLOWER』は'86年発表で、'80年代後半のシカゴ・ハウスの隆盛と同時代に呼応していたわけですから、やはり相当早かったですよね。
ZAZIE:確かに早すぎましたね。だからこそ今やろう、という感じなんです。もちろん当時の曲をそのままやるわけではなく、今の時代に即したものを。お客さん側にも受け容れる体制が今はあるから、そこが当時とは絶対的に違いますよね。いい時代になったと思うし、羨ましいの一言に尽きますね。今自分が20歳くらいだったらいいのになぁ、と思いますよ(笑)。