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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】BEYONDS(2006年4月号)- 人間の弱さを唄う手段としてのハードコア

人間の弱さを唄う手段としてのハードコア

2006.04.01

昨年末にSHIBUYA-AXで行なわれたライヴで11年振りに活動を再開させた新生BEYONDSが、待望の初音源『シルトの岸辺で』を発表する。このシングルに収められた曲はいずれも、かつて在ったBEYONDSというバンドの意義と存在の重さを継承しつつも全く新しい地平を往く意欲的なものばかりだ。伝説の封印を自ら軽やかに解き放ち、臆することなく復活の狼煙を上げた彼らの意志がこの瑞々しい楽曲群に確かに込められている。BEYONDSという名の"遅れてきた青年"は、脆弱さを曝け出すことで恐ろしく発露する狂暴なハードコアを内包しながら、時間と空間を超えて悠然と我々の目前に佇んでいる。(interview:椎名宗之)

バンドの在り方をシルトになぞらえた

──まず、年末のSHIBUYA-AXでの復活ライヴ、2月の代官山UNITでの自主企画2デイズを行なっての手応えからお伺いしたいのですが。

谷口健(vo, g):バンドとしてのまとまりもだいぶ出てきましたし、やってる側としては自分達が思っていた以上にやれてる気がしてますね。

岡崎善郎(g):うん。着実にスキルアップしてるなという手応えはあるよね。

──UNITの初日を拝見したんですけど、対バンだった銀杏BOYZやlostageの若いファンもBEYONDSのステージにグイグイ引き込まれていたのが印象的でした。

岡崎:
2日目は逆に昔のファンとか、メンバーがそれぞれやってたバンドのファンが多かったんだけどね。空気としては2日とも違ったんだけど、ホームでもアウェイでもなく、どちらも楽しめるなっていう感じだったね。その与えられた空間の中で如何に楽しんで演奏できるかっていうのは、ステージ上の4人が凄く意識しているところだから。

──古くからのファンとしては、BEYONDSで健さんがギターを抱えて唄う姿がやはり衝撃的だったんじゃないかと思うんですけれども(笑)。

谷口:AXで、客席から「ギター弾くな~ッ!」って喚声が飛んだくらいですからね(笑)。

岡崎:俺はあの言葉をバンドへの愛情と捉えたんだけどね。決して罵声ではなかったから、笑うしかなかった(笑)。ギターを持つ・持たないっていうのは、見え方ばかりじゃなくて根本的に違うバンドになると思うんだけど、新しいBEYONDSではその二面性があっていいんじゃないかと。ツイン・ギターの曲と、ギター1本で健ちゃんがヴォーカリストに徹する曲と2パターンあっても。

谷口:未だに恥ずかしいんですよね、ギターを持ち替えたりするのが。持つならずっと持ちたいんです。それを今、自分の中では自然にやっていこうと思ってるんですよね。

──でも、かつてのようにマイクだけでライヴをやり通すのも物足りなさを感じるんですよね?

谷口:いや、そんなこともないんです。それはそれで極めたいと思ってるんですよ。EVIL SCHOOLをやっていた時もその過程だったような気がしてますから。マイクに専念している時とギターを持って唄っている時とでは、全く違う緊張感が生まれるんですよ。ギターを持って唄うようになったfOULの時は、いい意味で凄い重荷があったんですよね。こうしてまたBEYONDSを始めることになって、それがやっと解かれたと思ったんですけど…。

岡崎:甘かったね(笑)。でも、俺も今までツイン・ギターでバンドをやったことがなかったし、スタジオに入るとやっぱり面白いんだよね。ギター2本でやろうって言い出しちゃったから、もう後には引けないよね(笑)。

谷口:まぁ、2本のギターが絡んだアンサンブルは凄く新鮮で、純粋に楽しいんですけどね。先々は、この4人で楽器だけのアンサンブルをメインにした長い曲とかも作ってみたいですし。

──そして遂に待望の音源が発表されるわけですが、活動再開後初の本誌でのインタビュー('05年12月号掲載)で健さんが語っていた「郷愁の念みたいなものは2割くらい、後の8割はリニューアルされたBEYONDS」という言葉通りの仕上がりになりましたね。

岡崎:“こういう音源になるだろうな”っていうかっちりした青写真まではなかったけど、今回のシングルに関してはイメージ通りか、それ以上のものになったと思ってるね。

谷口:この4人で新しいBEYONDSをスタートさせましたという挨拶状になる音源を早く出したかったので、作る過程が急ぎすぎたかな? という気が自分の中ではしてるんです。だから次に出す作品では、4人全員のセンスをもっと引き出したものをゆっくりとしたペースで作りたいと思ってるんですけどね。

──往年のファンは“日本語詞のBEYONDSの新曲”にまず面食らうと思うのですが、'94年3月の解散直前には「新曲は日本語で行こう」というプランが既にあったそうですね。

岡崎:そう。ライヴ盤(『940312』)だけに入ってる「SUPER NOVA」っていう曲があって、日本語でやってみようと。ちょうど健ちゃんが日本語モードになりかけた時だったよね。

谷口:そうそう。まさにこれから挑戦しようっていう時期。

岡崎:今回、俺としては用意されていた道があったとしたら、日本語だろうなとまず思ったんだよ。新しい曲は絶対に日本語だろうな、と。だから健ちゃんから歌詞を受け取った時はごく当然のことのように思ったね。

──基本的な曲作りは健さんが?

谷口:いや、半分は善郎が持ってきたものです。

岡崎:後はスタジオで断片を合わせて、セッションして固めていったり。「シルトの岸辺で」は健ちゃんがきっかけとなる部分を持ってきて、スタジオで4人でどんどん拡げていった。あの曲の中間の面白い部分はテッキン(b)とアヒト(・イナザワ/ds)君のアイディアだしね。健ちゃんの“チャラーン”っていうコードが始まったら、2人が“ドットゥッ、ドットゥッ”ってリズムを刻んだりして。

──「シルトの岸辺で」というタイトルは、フランスの作家、ジュリアン・グラックの長編小説『シルトの岸辺』からの引用ですよね。

谷口:そうです。“シルト”っていうのは、てっきりヨーロッパの地名かと思ったらそうじゃなくて、砂と粘土の中間を行く砕屑〈さいせつ〉物を意味するんですよ。シルトが潮流に運ばれて、ある一角にあった砂浜が日々刻々と場所が変わっていく。あくる日にはそれが普通の湖面になっていたりするんです。

──そんなシルトにバンドの姿をなぞらえたわけですね。

谷口:はい、そうしたかったんです。11年間のスパンはあるけれども、BEYONDSは時間や空間を超えた存在としてずっとそこに在ったという。向こうにひとつのBEYONDSが過去あったのに、気が付けばここにまた新しいBEYONDSが存在していた、というように。シルトを通じてその時間なり空間なりを繋げたかったんですよ。過去には色々とあったけど、自分達はどっこい生きていましたよ、というか。

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