Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】ROCK'N'ROLL GYPSIES(2005年12月号)- こうやって新しいものが作れる、この間までなかったものが今こうして作れるっていうことが、なにより素晴らしいことだと思う。

こうやって新しいものが作れる、この間までなかったものが今こうして作れるっていうことが、なにより素晴らしいことだと思う。

2005.12.01

すべての始まりは、1995年にリリースされた小西康陽プロデュースによる花田裕之(g, vo)のソロ・アルバム『ROCK'N'ROLL GYPSIES』だった。池畑潤二(ds)、井上富雄(b)、下山 淳(g)というTHE ROOSTERS(Z)の新旧メンバーで構成されたこのソロ・プロジェクトは、6年後の10月14日、メンバーの地元である小倉で行なわれた〈Rockin' EXPO ~北九州ホームタウンライヴ in 北九州博覧祭〉でバンドへと発展(当初は一度限りのセッションの予定だった)、正式にその名をROCK'N'ROLL GYPSIESと改めて本格的に活動を開始する。上記ライヴの実況録音盤『WHO THE FUCK IS THE ROOSTER?』('02年2月発表)、満を持してのファースト・アルバム『ROCK'N'ROLL GYPSIES I』('03年6月発表)と充実した作品を立て続けに発表するなか、昨年7月には〈FUJI ROCK FESTIVAL '04〉であの大江慎也を含めたオリジナルROOSTERSの4人で22年振りの復活/ラスト・ライヴを遂げるまでに至った。誰も想像し得なかったこの奇跡の復活劇は、ROCK'N'ROLL GYPSIESという決して懐古主義に留まらない普遍的なロックを鳴らすバンドの存在があってこそのものである。THE ROOSTERS(Z)再評価の気運が高まるさなか、今年5月に日比谷野外音楽堂で行なわれたイヴェント〈MAZRIの祭〉で活動を再開させたROCK'N'ROLL GYPSIES。そんな彼らが、持ち得る力全開で臨んだ渾身のニュー・アルバムを2年5ヶ月振りに発表した。伝説の呪縛を払いのけるかのような軽い足取りで、しかし確かな存在感を刻みつけるかの如く、GYPSIESのROCK'N'ROLLは悠然とそこに在る。

ジプシーズという名の帆を上げるまで

 花田裕之は風を読むのが上手い人だと思う。  昔、『嵐を呼ぶ男』という題名の映画があったが、花田裕之というミュージシャンはそんな騒々しいことはまずしない。風を呼ぶのではなく、読むのだ。ただ海に出た船乗りのように、じっと風を受け、いい風を感じた時はすぐさま帆を上げて一瞬のうちに走り去っていく。それは上昇気流に乗って瞬く間に点となって消えてしまうカモメの飛行のようでもあり、後にはその残像だけがいつまでも見えるのだ。花田裕之の奏でる音楽には、押しつけがましいところが全くなく、むしろ素っ気ない感じさえあるが、不思議と聴いた後に鮮烈な印象を残すのはそのためだ。  そうした花田の魅力は、例えば最新のソロ・アルバム『NASTY WIND』を聴けばすぐさま判ると思うが、過去に遡ってみると、1996年に発表された『風が吹いてきた』が一つの重要な作品として浮かび上がってくる。“花田裕之&ROCK'N' ROLL GYPSIES”の第3弾アルバムとしてリリースされた『風が吹いてきた』は、その後の花田の方向を示した優れたアルバムだが、それを生み出す原動力になったのがROCK'N' ROLL GYPSIESだった。

先日発売されたROCK'N' ROLL GYPSIESのニュー・アルバム『II』に触れる前に、今一度、ROCK'N' ROLL GYPSIESのこれまでの軌跡を振り返ってみたい。

12_ap01.jpgルースターズ解散(1988年)の約2年後にソロ活動を開始した花田は、それぞれにタイプの違う4枚のアルバムをリリースした後、1994年、元ルースターズのメンバーを集め、花田裕之&ROCK'N' ROLL GYPSIESを始動した。下山 淳(G)、井上富雄(B)、池畑潤二(Dr)、そして花田裕之(Vo, G)という4人のルースターが集まったことは、ファンにはもちろん、メンバー自身にとってもきっと心躍る出来事だっただろう。当時のことを花田はこう振り返っている

──「ルースターズな自分っていうのは、消えずに自分の中にずっとあったわけで、音楽的にも精神的にもずっと。ただオレはそのあつかい方に慎重になり過ぎたりしてたけど、時の流れのおかげか、気持ちに余裕が生まれたのか、なんか自然にみんなに声をかけれた。やっぱりバンド的な音と感触を欲していたんだろう」(ライナーノーツより)

 彼らによる最初の作品が、花田のソロ5枚目のアルバム、その名も『ROCK'N' ROLL GYPSIES』だ。何年ものあいだ閉めていた扉を一斉に開いたようなこのアルバムは、当然の如く会心作であった。続く第2弾『RENT-A-SONG』、そして前述した第3弾『風が吹いてきた』の計3枚のアルバムを順調にリリースし、ROCK'N' ROLL GYPSIESという名のプロジェクトは一旦終わりを告げる。一つの旅が終わり、彼らは帆を下げ、それぞれ別の道をまた歩み始めたのだ。

 ジプシーズの新しい旅はその5年後、ルースターズの故郷である北九州で行われたイベントへの出演から始まった。当初は一回限りのセッションだったが、そこで大きな手応えがあったのだろうか、その後もジプシーズは何度かライヴを行うことになる。そして2003年6月、バンド名を正式に“ROCK'N' ROLL GYPSIES”として、ファースト・アルバム『I』をリリースした。再び風に乗ったジプシーズは、程なくもう一つの大きな風と合流することになるのだが、それは後述したい。

 今回リリースされた2ndアルバム『II』は、『I』から2年5ヶ月振りの新作である。インターバルが長いようにも見えるが、様々な音楽活動を平行して行なっている彼らにとってはそうでもないのかもしれない。というより、『I』以降、ジプシーズは彼らの中で、常に存在しているものになったように見える。普段はそれぞれ別の活動をしていても、何かあればすぐに集まれる存在。“ROCK'N' ROLL GYPSIES”はバンド名でもあり、また、彼らが集まる時の「合い言葉」でもあるかのようだ。実は今作において、井上富雄は正式メンバーでなく、もう一人のベーシスト市川勝也(ex.POTSHOT)と共に、ゲスト・ミュージシャンとして参加している。普通のバンドだったら「井上脱退!?」といったように一つの事件になるところだが、こと、ジプシーズに於いては、不思議とそういった深刻さは感じられない。「井上? 今、ちょっといないよ」ぐらいの感じなのだ。そこに、長年培われた彼らの間の揺るぎない信頼関係を見て取るのは、もちろん僕だけではないだろう。

 11月の初旬、秋が終わり、そろそろ冬の冷たい風が吹く頃、花田、下山、池畑それぞれの過密なスケジュールをやりくりしてもらって、貴重な取材の時間をいただいた。

何もない状態から始めて、そこで何が出てくるか

12_ap03.jpg──前作から2年5ヶ月振りのニュー・アルバムということで、間が長かったようにも思えるんですが、ジプシーズにとって期間はあまり問題ではないんですよね。

池畑:もともとジプシーズは、やりたくなった時にやれたらいいんじゃないか、無理してやることもないのかなと思ってます。

──ただ、やっぱりこのメンバーがまた一緒にやるとなると、聴く側とてはどうしても期待感が膨らむわけです。やる側としても、ジプシーズでやるとなると、やっぱり気合いの入り方も違ってきますか?

池畑:いや、そんなに変わらないと思います。やる時はいつでも気合い入れてやってるから。プレイする時は、なにも小細工もなく、考えることもなく、自然にやったままを音にしてもらってる。ただ、やっぱりみんなの集中力は凄いなと思いました。責任感が強い人達だなぁと。

──花田さんはソロ・アルバムを出した後、すぐにジプシーズのレコーディングだったと思いますが、気持ちの切り替えはありましたか。

花田:自分の中で意識して変わることはない。無意識のうちにあるのかもしれないけど、まぁ、結果的には変わってるよね。  ジプシーズと平行して活動している花田のソロ(通称、花田裕之バンド)では、井上富雄と椎野恭一がそれぞれベースとドラムスを担当している。ソロa苅でのリラックスした感じを花田本人は「俺自身が読まれてるというか、先回りされてる感じ」と表現していた。意識的にせよ無意識的にせよ、花田はソロとジプシーズで自身のプレイの仕方に違いがあるのだろうか?

──ジプシーズに関しても、他のメンバーが花田さんのやりたい方向性をだいたい判ってくれている感じなんですか。

花田:ジプシーズの場合は、もともとそういうことをあまり求めていない。ジプシーズではあらかじめ青写真を作ってから臨むんではなくて、まったく逆。何もない状態から始めて、そこで何が出てくるかっていう感じ。

──その場合、それぞれのやりたいことがバラバラになって、まとまらないってことはないんですか?

池畑:ただ勝手にやってるわけではないから。ドラマーはドラマーの位置に落ち着いていると思うし、みんなそれぞれのポジションの中で必要なことをやっている。誰かがこれをどうしてもやりたいっていうのは、やってるうちにだんだん判るし、必要のないものはなくなっていく。あらかじめ決めてはいないけど、できればシンプルにワン・グルーヴで通せればいいと思う。誰かがガッときたらそういう流れになっていくし、それを後で通して聴いてみると、結構うまくいっているんじゃないかと思う。

──ジプシーズにはシンプルなロックン・ロールの王道が基本にあると思うんです。それこそブルースまで遡って、そういったロックのルーツをジプシーズの今の音に反映させるってことは意識してやってるんですか。

池畑:そういう意図がある時はちゃんと言葉で「こうしたいんだ」って言います。そのうちにやってみたいリズムや、ここでしかやれないことはたくさんあるんです。そういうことは口でちゃんと言ってやっていこうと思います。

──これは僕の勝手なイメージですが、音楽的実験の試みは、下山さんが一番旺盛なような印象があるんですが。

下山:それはないかな。以前はそういう時期もあったし、実際スタジオ・ミュージシャン的な仕事だとそういう時もあるけど。だけどね、それはそれであって、この人達とやる時にはそういうことはないかな。まぁ、ソロ・アルバムでさんざんやったからもう飽きちゃったってのもあるけどね(笑)。

──ルースターズ時代は、下山さんと花田さんの音楽的な方向性の違いみたいなものが、わりと表面に出ていたように思うんですが。

下山:そうだね。隠してもしょうがないし。ただ、それは方向性の違いというよりはキャラクターの違いだと思う。方向性って意味では俺も決まっているわけではないから。


 元々、自身の音楽について多く解説するタイプではない彼らから、アルバム制作のあれこれを訊くのは、僕の技量ではとうてい無理な話だ。彼らの中では、前作も今作も「自分のやれることを、ただ全力でやっただけ」という一言が、おそらく全てなのだと思う。もちろん彼らが全力でアルバムを作るということは、とてつもなくハイレベルの作品が生まれるということでもあるのだが。  その『II』に関して言えば、ストーンズばりのギター・リフで幕を開けるオープニングに相応しい「Muddy Man」、下山らしい60'sサイケ調のマイナー・メロディと柴山俊之の詞が印象的な「只の夢」、ジプシーズのテーマとも言える放浪の世界観が美しいメロディで唄われる「風の跡」、アイリッシュな曲調にハードボイルドな詞が唄われる池畑の作詞作曲「瞳」(余談だが、僕は最初聴いた時、マカロニ・ウエスタンなイメージを連想した。もちろんガンマンは池畑さん?)、他にも、前作でも印象的だった下山お得意のアシッド・フォークな曲や、彼らの真骨頂であるヘヴィなブギーなど、全12曲ともクオリティはおそろしく高い。11曲目の「Hey DJ」などは花田特有のブラック・ジョークが効いていて、聴いていて思わずニヤリとさせられる。  白紙の状態で集まって、これだけの作品を作れるバンドが日本にどれだけあるのだろうかと思ってしまった。それなりにキャリアの長い彼らだが、アイデアの枯渇とかはないのだろうか?


下山:それは心配したことない。いつもさっさと終わるし(笑)。

池畑:5曲あれば5曲やるだろうし、10曲あれば10曲やるし。


 予想通り、そっけない答えが返ってきた。

このアーティストの関連記事
休刊のおしらせ
ロフトアーカイブス
復刻