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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】wash?(2005年11月号)- 構築と破壊を繰り返すロックという名のドキュメンタリー

構築と破壊を繰り返すロックという名のドキュメンタリー

2005.11.01

シングル「ナナイロ」「パズル」に続く"光と闇"にフォーカスを当てたwash?の三部作が、待望のセカンド・アルバム『真昼の月は所在なく霞んでる』で遂に完結する。光と影、明と暗、虚と実、有と無、そして希望と絶望を等比に唄う彼らの姿勢は本作でより揺るぎないものとなり、限りなくポップでありながらも先鋭的で在り続けるその音楽性は一層の高みに達した。空の青さに溶けて霞んだ月は、それでも希望を失うことなく曙光を鈍くも放ち続けるのだ。(interview:椎名宗之)

ライヴの熱量を作品化する困難さ

──今回、アルバム制作にあたってまず留意した点というのは?

奥村 大(g, vo):何よりこの4人だからこそ生み出せている曲を入れようと思った。古い曲も中にはあるんだけど、なるべく岡ちゃんが加入してからの曲がいいんじゃないかって[註:ベースの岡 啓樹は2004年1月にバンド加入]。岡ちゃんが入る前の曲でも、彼がバンドにとって必要だと判断すればそれに従う。その辺のジャッジは岡ちゃんに任せて。あとはやっぱり、「パズル」という曲が完成したことによってそこから逆算した部分はあるのかなと思う。あの曲が出来た時点で、アルバム制作に対する憂慮は全くなかったしね。

──それと、エンジニアを担当した井上うにさんの存在が今回はかなり大きいですよね。

奥村:そうだね。俺が書く曲って、一歩やり方を間違えたら単なるポップスになってしまう怖さを秘めてるなと思って。リフとかリズムとかアレンジの部分じゃなくて、コードとメロディってところだけを取り出していくと、レゲエだったり、R&Bだったり、ただのポップスだったりする匂いが凄くある。自分がこれまで惚れ込んできた音楽も、そういう匂いがありながらも発するエネルギー量は過剰っていう類のものだった。それをレコーディングの形にすることがなかなか難しい。ライヴなら覚悟を決めるだけ、ただ“やって見せてやれ!”でいい。そのライヴの熱量を作品化することがこんなにも難しいことなのかとファースト(『?』、2004年7月発表)を作った時にみんな痛感したから、今回はそこをどうにかしたいってところから始まって、音のことを俺と南波以外の人に預けることを体験してみたいと思った。そこでうにさんの名前を挙げて、結果的に俺達とは相性が凄く良く合ったと思う。

──エッジが効いてざらついた感触の今作の音と比べると、『?』が何だか大人しく聴こえるくらいですよね。もちろん、『?』は凄まじい熱量を内包した名盤に変わりはないんですけど。

奥村:うん。それが当時の俺の限界値だったんだろうね。『?』を作っていた頃はブッ壊すさじ加減をどこまでやっていいものか読めなかったけど、今はもっと確信を持って壊せるようになってきている。

南波 政人(g, vo):ファーストは全然悪くないんだけどね。ただちょっと綺麗にお化粧したような感じはある、良くも悪くもね。

奥村:だからファーストを作って学んだ反省点も含めて、バンドとして経験値が上がったぶん意志や確信を持って今回は作品作りに臨めたと思う。

南波:今回は“こうしよう”っていうゴールがある程度最初から見えていたからね。ただ、それが余りハッキリしたゴールじゃないから、そこを奥村がさらに視野を拡げてくれる。そのやり方はずっと変わらないんだけどね。

奥村:基本的に一番わがままで我を通すのが俺で、それを面白がってくれるこのメンバーだから。

──最後を飾る「パズル」というアルバムの根幹を成す大樹のような曲が核としてあった上で、LPで言えばA面にあたるのが「silent」までの7曲、「soap」からB面にあたるパートが始まって一気に加速していく…というように、収録曲の構成が絶妙だと思うんですよ。アルバムの随所に巧妙なトラップが仕掛けてあると言うか、何度聴いても飽きの来ない作りになっていますよね。

奥村:曲順と曲間に関してはもの凄く考えたね。違う曲順のアイディアも他にあったんだけど、「ナナイロ」で始まって「パズル」で終わる構成だけは絶対に崩したくなかった。「ナナイロ」は自分の中で凄く素直な希望の歌で、「パズル」は漆黒の闇から月を見上げているような、曲が進むにつれて苦みの深度をどんどん上げているような歌。それぞれが最初と最後に並ぶようにしたかったし、息つく暇を与えずに次に行きたい部分、一呼吸させたい部分の曲間とバランスはかなり考え抜いたよ。

──「ナナイロ」の後に間髪入れず続く「dry」、「soap」「月光」「エレベーター」と流れるそれぞれの曲間ですよね。

奥村:そう。そこが凄く大事なんだよ。文章を書く人だって、どこで句読点を打つか、どこで改行をするかとか真剣に考えるでしょう? それによって伝わる・伝わらないって絶対にあるからね。

──“真昼の月は所在なく霞んでる”というタイトルも、如何にもwash?っぽいですよね。本来夜に映えるべき月は、昼間は空の青さに隠れて目立たない。でも確実に空のどこかには在って、それが所在なく霞んでいるという…。

奥村:そんな真昼の月を自分達の姿になぞらえた。我ながらいいタイトルだと思ってる。これは「エレベーター」の歌詞の一節から取ったんだけど、この曲が出来た時に大事な一行にしたいと思ったね。

──本作はとかく「パズル」に目が行きがちですけど、「エレベーター」もそれと双璧を成す大作ですね。曲の世界観は一向に上昇しないエレベーターという感じでヘヴィなんだけど、不思議と厭な後味は残らない。微かだけど希望の光すら感じられて。

奥村:そう言ってもらえると有り難い。最初は「エレベーター」をシングルにしようと思ってたんだよ。凄く抽象的な言い方になるけど、この曲は老いとか時間の経過、逆光しないベクトルとか、敗北から始まった歌なんだ。でも、ただそれを暗澹たる気持ちのまま唄って重苦しい歌にしても聴き手には届かないから、せつない部分とエネルギー量をいいバランスにして完成させた。誤解を恐れずに言えば、この曲はデヴィッド・ボウイにしたかった。グラム・ロックにしたかったんだよ。場末のキャバレーかストリップ小屋みたいな所で、瑞々しい踊り子さん達が出てくる合間に唄っている老いたシンガーのイメージなんだ。彼の歌なんて客は誰一人聴いていなくて、それどころか「引っ込め!」とか客席からビール瓶が飛んでくるような始末。そのシンガーが唄ってる歌は、若い頃に愛した大切な女性に捧げられている。そんなイメージなんだよ。

南波:最初に曲を持ってきた時からそう説明してたよね。俺も「エレベーター」を演奏する時はいつもその映像が頭に浮かぶ。そのシンガーは顔を白塗りにしていて、唄いながら流れ落ちる涙と汗で目張りやマスカラ、白粉まで落ちてしまっている。この曲ではミック・ロンソンばりにギターをかなり派手に乗せてるんだけど(笑)、古くさいディレイをわざと後から掛けてグルグル回したりしてるのがいい効果を生んでいると思う。

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