全くなんてインパクトのイベントなのか。そのタイトルの破壊力にさっと引き潮、そして大きな渦が出来ております「うんこ祭」。何を考えているのだか、第二回目を新年1月に開催です。エロ? SM? スカトロ? 実は根底のところが違う「うんこ祭」。そのプロデュース、漫画家の駕籠真太郎さんにお話を伺いました。(TEXT:斉藤友里子)
うんこはギャグ
──まず、駕籠真太郎がやる「うんこ祭」というイベントの性質から伺いたいのですが。
駕籠:これがはっきりとした答えです、と一つ言うには難しいですけど。熱いエロではないんです。マニアな方には申し訳ないですが、エロ寄りというよりサブカルと言いますか。僕にとってギャグなんですよね。アラレちゃんの「うんこツンツン」然り、まことちゃんの「ビチグソ」然り、アレのノリ。スカトロではなくて。イベントに出てくれている(内山)沙千佳ちゃんが言ってましたけど「なぜうんこを食べるのか?」それは相手の一部を食することによって一体感を得る、カニバリズムの一種かもしれないって。行為的には似ているかもしれませんけど、その流れとはまた違うイベントだと僕は思っているんですが。
──日常に異質なモノが存在するという状況。そのギャップを作るファクターである、ということですかね。
駕籠:そうですね。だって、今この机の上(喫茶店)にうんこが乗ってたらビックリするじゃないですか。
──ビックリしますねぇ……。日常の中に非日常が存在すると世界が反転するような意識を覚えます。でもそれは誰が決めたのか、なぜそうなのかと考えてみれば自分の価値観を問うことになり、価値観の変化が生じて……。うんこ一つでそれが可能だということにも驚きますが。そんなこと考えたことなかったんで。
駕籠:そうなんですよ。その混沌とした中で、どう理性を保つのかも面白いじゃないですか。ギャグは理性があってこそですし。
起源は筒井康隆
──いつ頃から、そういった側面を気にするようになったんですか?
駕籠:それを中学生の頃に、筒井康隆の小説を読んでからだと思いますね。彼のSF小説にいくつかうんこを扱ったものがあるんです。腸の病気を煩っている少年が、手探りで直してしまうという名医に治療してもらった。しかし直ったはいいが、なぜかうんこが出ない体質に。なぜかというと腸がメビウスの輪のようになってしまい、次々とうんこが異次元空間に送り込まれてしまっていた。そして再び治療してもとに戻るのだけど……なんと今まで送り込まれていた分のうんこが部屋一杯にカンバック、という話とか。あと恋人のうんこをする姿を想像しながらオナニーしていたら、興奮してテレポーテーションしてしまったとか。こんなところにうんこを使うのかって。
悶絶する顔が好き。出来れば、それは演技なしの自然な状態で
──そうして駕籠さんの描く漫画にはうんこが出てくるシーンがあると。
駕籠:きっかけの一つですけど。基本的に男は下ネタ好きじゃないですか。その延長としての部分もたぶんあるし、タブー視されているものをネタにすることで笑いのいっかんという部分もあるし。ただ頭で考えてる部分じゃなくて、僕のホームページでも公衆便所百選みたいなものアップしてたりするんですけど。嗜好としてうんことかトイレとか排泄関係が好きですね。
──初めてのイベントはプラスワンでやった、2年くらい前のエロティクスナイトの浣腸ショーでしたよね。うんこ主体というか、浣腸が主体だったと思うんですけど。食べるというより排泄の過程が駕籠さんのリビドーなのかしら。
駕籠:そうかもしれません。悶絶する顔が好きなんでしょうね。出来れば、それは演技なしの自然な状態で。うんこを気張る悶絶の表情は嘘がつけないじゃないですか。漫画じゃなくて、イベントはリアルですから。しみじみ思いますが、このイベントにつきあってくれている女の子に感謝ですね。
──さて、今回の「新春うんこ祭」は何をやりますか。
駕籠:マチャアキのテーブルクロス引き(テーブルクロスを張った机の上にうんこを乗せて、テーブルクロスを引く)は採用ですね。あとは、大喜利とか賑々しくかくし芸的なことを。
──やっぱりジャグリング(水で薄めたそれを詰めた風船を玉に。落ちたら破裂)はやめましょうか。
駕籠:そうですね。ひっかぶったり、お客さんにダイレクトでない方向で考えましょう。
──それでは出し物は当日までお楽しみに!