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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】鶴岡法斎(2002年5月号) - この世の中、狂ってる人、狂ってた人、これから狂う人。 この三種類しかいないんです

この世の中、狂ってる人、狂ってた人、これから狂う人。 この三種類しかいないんです

2002.05.02

 28歳という若さにして、様々な肩書きを持つ鶴岡法斎という男。プラスワンではお馴染みのCC's(鶴岡法斎、江口寿史、大地丙太郎、田村信)を御覧の通 り、様々な分野とコラボレートして行く事で自分の可能性を見い出そうという欲求の根底にあるモノは? 自己表現したくて、発狂しそうになっている人は、是非このインタビューを参考して頂きたい。[interview:中川健太]

一生の内で色んな事を体験したい

──文筆家、大学講師、漫画原作者、TVディレクター、バンド、声優、俳優、と多才ぶりではクドカンにも勝ると思うのですが、現在の自分のスタンス及び今後の展開については、どうお考えですか?

鶴岡:仕事が一杯あるっていうのは、まず断らないってのが最初にあるんですよ。頼まれたら、全部やるってのは大袈裟だけど、とりあえず興味があったら、やってみようという気持ちが自分にはあって。自分を規定しないでおこうと。

──断った仕事はないんですか?

鶴岡:あるにはあるけど、それは本当にスケジュールの問題や、純粋に僕を誰かと勘違いして来た仕事ですね。けど、スケジュールの都合さえ合えば、来た仕事は大概無理じゃなければ引き受けますね。そりゃ、いきなり猪と交尾しろって言われれば僕も悩むし色々考えるけど。

──却下する前にまず、悩むんですね。

鶴岡:猪は八割くらい断る方向で(笑)。でも、まあ自分が面白いと思ったらやりますよ。やっぱり、一つの人生で色んな事がやれたらお買得かなって。一生の内で色んな事を体験したい。欲張りなんですよね。

──そんな中でも自分の核というか、一番やりたい事は?

鶴岡:本当にやりたいのは、文章と漫画の原作ですかね。けど、やっぱり色々やってみて、まあ面白かったり、また逆に自分の才能の無さを痛感したり、色々感じるけれども、頼まれる内はやってみようと。

唐沢俊一という人間を最後まで見届けたい

──現在は師匠の唐沢さんとは、どういう付き合いをされているのでしょうか?

鶴岡:あんまり、マメに会わないですね。電話で週に1、2回、1時間か30分くらい話すくらいで、正直そんなに親密なわけじゃないのかもしれない。

──それは昔から?

鶴岡:うん。昔からそうで、一緒に仕事をした事も実はほとんどないんですよ。だから、『ブンカザツロン』(エンターブレイン)を昨年にやった時なんかは、弟子の割には一緒に作品を作った事がないので、やってみようと思って。今年に入っても、唐沢さんとは、3回ぐらいしか会ってないんじゃないですかね。

──今後も唐沢さんの弟子というスタンスは変らないんですか?

鶴岡:師弟関係はずっと続けていこうと思うし、弟子なのは変らないですね。悪口は言うけど、尊敬はそれなりにしてますし、色々世話にはなってるし。やっぱり正直色々あって弟子は僕だけになっちゃったんで、最後まで見届けたいなあと。唐沢俊一という人間を弟子というスタンスから見るのは面白いかなと。けど、最近思うのは何で僕の次に弟子が来ないのかなってのが不思議で不思議でしょうがない。

──鶴岡さん自身は弟子はいるんですか?

鶴岡:自称弟子は3人くらい、いるんですけどね。

──いつも、イベントを手伝ってくれてる人ですか?

鶴岡:いや、あれは、僕のお客さんがボランティアで手伝ってくれてるんですよ。正直、僕はチラシ作ったりとかブッキングとかいった作業が苦手なんで。

──いつも、思うんですけど、お客さんと凄い密な関係ですよね。

鶴岡:さんざん悪口言うけどね。お前等は気持ち悪いとか、得体が知れないとか、もうお前等みたいな奴には来て欲しくないとか、言う割には結構仲良くしてるんですよね。

──イベントを見ていても一体感を感じますもんね。

鶴岡:唐沢さんに言われたのは、僕は凄く文章にしろライブにしろ、非常に見ている側とかに共犯意識を抱かせるタイプだと。

──共犯意識?

鶴岡:別に悪い事はしちゃいないんだけど、共犯者って意識がお客さんとかに植え付けられるから、変な仲間意識が生まれるんじゃないですかね。負の一体感みたいなのが。僕自身はそれで、人を引っ張って行こうという意識はないし、むしろ団体行動は嫌いだしね。

──僕も団体行動は苦手です(笑)。

鶴岡:なんか、ロフトプラスワンでイベントをやってる人には悪いけど、僕は政治的な団体であるとか、市民運動のようなものには一定の距離感を感じてしまう人間なんですよね。

自意識過剰のバカが好き

──ガロ復刊の際に寄稿した『菱形の顔をした男』(※1)はまさに、世の中の何万人もの若いサブカル世代の心の叫びを代弁したものだと僕は思うんですけど、あれは実話ですよね?

鶴岡:実話ですね、全部あれは。

──やっぱり、僕はあの内容に死ぬ程共感したわけなんですけど、鶴岡さん自身が反骨精神を抱き、自分の存在を世に知らしめたいと思った心境をお聞きできますか?

鶴岡:そもそも、僕は何にも表現するモノがなくて、有名になりたいとか、わかんないけど表現したいとか思ってる自意識過剰のバカってのが基本的には好きなんすよ。そいつら、バカで、どうしようもない生き物ってのはわかるんだけど、その中の何割かは、ひょっとしたら本当にモノを作る人間になるかもしれないし、自分がそう思っていた時期ってのが、少なからず高校時代にはあったわけで、それを駄目だと言って、そいつらを否定するのは間違ってる気がするんですよね。人間ってやっぱり表現する手段が見つからない時に、手段より先に表現したいとか、人に何かを見せたいという欲望のほうが、先に出ちゃって、何見せていいのかわかんない時って、絶対あると僕は思うんですよ。そういうのって、確かに甘っちょろいし、青臭いし、非常に自意識過剰で、わがままな感情なんだけど、それを乗り越えなければ、僕はモノを作る人間にはなれないと思うんです。だから、その時期ってのを変に否定するのはよくないんじゃないかと。変に肯定するのもまずいんですけど。でも、そういう気持ちの若者がたくさんいるのだとしたら、僕はそいつらを、あんまりむげにはできないんですよね。

──自己顕示欲みたいなモノの葛藤から逃れられる瞬間ってのはどんな感じなんですかね?

鶴岡:やっぱり、モノの作り手だけではなくて、何か仕事をしている、自分のやっている事に責任感であるとか達成感とかが生まれた時ですかね。正直、僕は昔は営業マンだったんだけど、顧客が自分の顔とか名前を覚え始めたぐらいの時はうれしかったしね。生きてる意味なんてのは、本当はないのかもしれないけれど、みんなそれを探してるんじゃないかな。そういうので、悪あがきをしている奴が、僕は決して嫌いじゃないんで、そういう子らの意見とかも聞きたいし、基本的には、何にもしない奴より、悪あがきしてる奴の方が好感はもてますね。

──それで、鶴岡さん自身、サブカル界では有名な存在となったわけですが、孤独は癒されましたか?

鶴岡:さっきも言ったけど、人間の欲望は底なしだから、正直ライターになった当初は単行本一冊出せれば満足だと思ったんだけど、案の定、次はあれやりたい、これやりたいと、自己顕示欲の次に創作欲みたいなのが出て来るんですよね。非常に人間の欲求はたちが悪いなと。

──つまり、有名になりたいという当初の意識が変化してきたと。

鶴岡:やっぱり、いい作品を作りたいという意識の方が強いですね。まあ、ゼニの問題もある程度意識はしてるけど、死なない程度にお金があればいいと思っているので。大金あったら、あったで使い果たす気もするんですけどね。

──じゃあ、もう昔みたいに精神的に不安定な状況からは脱したという事ですか?

鶴岡:いや、全然脱してないでしょうね。昔程ひどくはないけど、やっぱり精神的に不安定な部分とか、不安な部分は常にあるし。

──自覚してるんですね?

鶴岡:自覚は凄いしてますね。けど、完璧になっちゃったらモノを作れなくなる時かなって気はするんですけどね。自分はやっぱり、欠落感とかルサンチマンが原動力となっているので。

──そうですよね。やっぱり世間の人も安定してる人なんていないですよね。

鶴岡:安定してる人なんて、僕は逆に今いないと思ってる。みんな、それなりに狂気を内封しているけど、それを凄く気付いているか、気付いていないかの違いではないかと。度合いの問題。僕が凄くゾッとするのは、殺人事件が起きた時に、とてもこんな事をやるとは思えないって意見がゾッとして。大概の犯罪ってのは僕は理解できるんですよ。みんな、できるはずなんですよ多分。人を殺すぐらいの事は。ボタンの掛け違いで、すぐ人間はとんでもない暴力や狂気に身を染めると思っている人間なんで。みんなプレ・キチガイ。プレ狂人。この世の中、三つ分けると、狂ってる人、狂ってた人、これから狂う人。この三種類しかいないんです。

──どっちみち、みんなその道を通るんですね。

鶴岡:僕はこの世の中にいる全員が、ヒトラー、麻原彰晃、川俣軍治とかになる可能性を秘めている人間だと常に思っているからこそ、ある一定の距離感を人に持ってしまうんだと思いますね。

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