20世紀初頭、アメリカのディープ・サウスで働く黒人達の中から生まれたBLUESは、まさに世界を変える力を持った発明だった。BLUESはミシシッピからシカゴ、そして全米へと伝わり、60年代以降はついに世界中へと広がっていく。BLUESがこれ程大きな影響を与えていった理由として、それが単なる音楽形態にとどまらず、BLUESという名でしか表すことのできないある種のスピリットを有していたからではないだろうか。それは喜びも悲しみも善も悪をも内包した一つのライフスタイルだったのだ。
そして21世紀の現在、ここ日本に於いて確実にこのスピリットを受け継ぐ2つのアルバムが届けられた。一つは、柴山俊之(ex.サンハウス、ルビー)率いるBLUES LIONの1st CD『X-01』、もう一つは花田裕之(ex.ルースターズ)のNew CD『NOTHIN' ON』だ。一聴すると両者の音楽スタイルはかなり異なるが、深く聴くにつれ我々はそこに同じ一つの水脈を見つけることができるだろう。BLUESを水源とするこの2つのアルバムについて、BLUES LIONの柴山俊之、下山淳、そして花田裕之の3人に語ってもらった。[interview:加藤梅造]
BLUES LIONでは俺にしかできんことをしようと思った
──BLUES LIONは97年に結成ですよね。
柴山:そう、97年の暮れか。初めてライブしたのがロフトやけんね。その時はまだルビーしよったけん、ルビーやめようかなあと思いながらも、やめるとも言えんけん、グズグズしよったらいつの間にか(ルビーは)消滅してしまった(笑)。
──ルビーは何故やめられたんですか?
柴山:まあいろいろ悩むこともあって。なんか、ハードコアみたいな、何て言うの? 俺もよくわからんちゃけど、最初はああいうスタイルのバンドにするつもりじゃなかったけど。たぶんアメリカで90年代ぐらいからああいう音楽が出てきて、それで知らんうちにそういうのに毒されたのかな。なんか最新の音を参考にしだしたりするじゃん、いつの間にか。で、してみたら結構退屈でさ。なんか自分たちの曲じゃない感じがして、このまま行ったら何もなくなっちゃうからさ。そやけん、新しく(バンドを)作ってやったほうがいいんじゃないかなと思ってBLUES LIONを始めた。
──メンバーはどのように決まったんですか?
柴山:最初は下山に「こんなことしたい」って言って、次に大島に声かけて。ベースは最初、穴井(仁吉)がしよったけど、穴井はシナロケもしよったけんスケジュールが合わなくてどうしようかなあと思っとったら、奈良が「俺がするよ」って言って、それで奈良になった。
──BLUES LIONってまず名前が最高にカッコいいですね。ライオンと言えば柴山さんですから。最近は小泉(純一郎)もライオンとか言われてますが、ふざけんなって感じですよ。
柴山:いや、最初この名前つけた時は恥ずかしいなと思ったけど、慣れてきたらそうでもないねぇ。なんかバンド名にBLUESってつけたかったから。かといってBLUESのコピーバンドをしようってわけじゃないけど。
──柴山さん自身のBLUESをやるって感じですか。
柴山:うん、でもとっかかりとしては、やっぱりオリジナルなBLUES──マディ・ウォーターズとかの曲に俺が勝手に詞をつけて始めようかって。すぐ曲とかできんけん、そういうことしといたほうがメンバーもわかりやすいかなと思って。まあ最初は大変だったね。
──大変というと?
柴山:BLUESって誤解されやすかったりするじゃん。誤解されんようにしようって思いよったけど、あんまり考えとってもしょうがないけん、とりあえず活動しようと。それで、2001年になったらCD作ろうって。
──なぜ、2001年まで待ってたんですか?
柴山:区切りがよかったけん、ちょっと我慢して。ルビーは世紀末っぽくドロドロにやるのが結構合うけん、それでよかったけど、俺の中では世紀が変わったらまったく新しい感じでやりたいなってずっと思ってた。歌詞にしても(ルビーの)『黒い地球儀』みたいなのじゃなくて、もっと前向きなやつがしたいなと。あと、BLUES LIONは新しいBLUESのつもりでしよるけん。過去のBLUESじゃなくて、個人的に言うなら俺の中のBLUESをやれるようにって。
──BLUESっていうと昔の音楽って思う人もいると思いますが。
柴山:古いって言えば古いけど、結局、今は新しいのから古いのまで何でもあるけん。そん中で手近にあるものを選んでいくとまた何かに影響されてしまうから、BLUES LIONでは、少なくとも歌に関しては俺にしかできんことをしようと。新しいとか古いとかいうのは一切排除して、柴山俊之という人間にしかできないものがあるんだったら、それを出したほうがいいと思った。
──例えば、サンハウスの音楽って今でも若い人に聴かれて続けていますが、そういう人達にとってBLUES LIONはサンハウスの延長線としても聴けるとも思うんです。
柴山:ああ、そういうのもあるよね。俺の過去の財産として大事にしなければいけないものっていうのが、やっとここ3年ぐらい前から痛感したんよ。サンハウスを再結成した時から。サンハウスの曲は、今やっても新鮮で楽しいなあとその時思ったけん、10年たっても20年たってもつまらなくならないような曲をこれからもやっていきたいなと。
無理せずに、自分の中から出てきたものそのまま
──花田さんは数年前から度々シンプルなアコースティック・セットのライブをやっていますが、そういう流れを考えても、今回のアルバムは思いっきり自分のやりたいことをやってるなって感じですね。
花田:そうやね。俺の場合は、バンドじゃなくて一人でやりたくて。うん、一人で何か作りたいなあって。
──それは今までソロでやってきた作品とは違うってことですか。
花田:だから、なんかアコースティック・ギター弾きながらやるみたいな。弾き語りに近い感じで、うん。
──バンドはしばらくお休みですか。
花田:まあバンドはライブでやるときもあるし、バンドはバンドでいいんだけど、このアルバムは一人でできることやりたいなあと。なんか、無理せずに、自分の中から出てきたものそのまま。
──同じ花田裕之という名義のアルバムでもこれまでとは違うものですか。
花田:うん違うね。曲作ったりする時にバンドを前提にすると曲自体も変わってくるし。今度のはそういうこと全然考えなかった。ライブでやることも考えずに、もっとプライベイトなものとして。
──僕は、昔ROOSTERSのライブの途中、花田さんが一人でベルベット・アンダーグラウンドの『宿命の女』を弾き語りしたのがすごく印象的で、今でもよく憶えているんですが。
花田:もともとギターを最初に弾いたのがアコースティックだったし、その時期が長かったから、エレキも好きだけどやっぱりアコギも好きやからね。その両方が自分の中でバランスを保ってないと面白くないというか、一つに傾けなんみたいな、うん。
──11曲目にスリム・ハーポの『I GOT LOVE IF YOU WANT IT』がきてるのが象徴的な感じがしますね。
花田:俺、スリム・ハーポとかジミー・リードみたいな2番手っぽいブルースミュージシャンが好きなんだよね。気の抜け方が。全然気合いが入ってないからね、あの人達(笑)。
──確かにマディ・ウォーターズなんかに比べると気合いは希薄ですよね。
花田:もちろんマディ・ウォーターズとかすごい好きだけど、ルジアナ系の人達って聴いてるとなんか筋肉が弛緩するみたいな感じするじゃん(笑)。昔、ルイジアナの辺りに行ったこともあるけど、やっぱりああいう風土から出てきた音楽だなという感じがする。
──花田さんの故郷って、北九州というよりもそういった音楽の故郷なんじゃないかって感じがします。音楽的なHOMEを探して音楽活動してるような。
花田:ああ、どうかな。
──BLUESを探し求めて旅をしてる感じというか。逆に、柴山さんはBLUESが最初にあって、そこから出発してる感じがします。
柴山:サンハウスするまではそんなことなかっちゃったけど、サンハウスはBLUESのバンドやろうってことで始めたんよ。で、BLUESばっかりするわけじゃん。でもBLUESって難しすぎてさ、特に歌がね。やってるうちに全部同じになって下手にしか聴こえんようになってしまって、途中で歌いたくなくなった。その後オリジナル作るようになった時、歌詞書かんといかんってことで、書いたら変な歌詞しかできんわけよ。フォークっぽい感じの。これじゃあカッコ悪いなあって思ってさ、それでどうしようかなあと思った時、自分がBLUESしよった時BLUESの歌詞が面白いなあと思っとったけん、そういうのをネタに使ってみようかなっていうのがもともとの始まりかな。だから、俺にとってBLUESっていうのは帰る場所みたいなもので、煮詰まってどうにもならんようになったらいっぺん自分の元に帰ってみようかなっていう時に、たまたま俺には無闇やたらにコピーしてた頃のBLUESが残ってたんだろうね。あと性格的にも、マディ・ウォーターズとかジョン・リー・フッカーみたいにさ、わりと強気で女好きで酒好きでとかそういうところが俺は似とるのかもしれんよね。マディ・ウォーターズの伝記とか読みよったら、なんかよう似とるなあって(笑)。いつまでたっても女のケツばっか追っかけたり。根本的にそういうのがあるんだろうね。
──まさにBLUESMANですね。