昨年11月、日本赤軍の重信房子が大阪で逮捕されたというニュースが報じられた。容疑はハーグ事件(1974年)での逮捕監禁罪と殺人未遂。ただし一方で、これは公安によるマスコミを使ったフレームアップとの見方もあり、現在、重信房子の支援運動が各所で展開されている。
『犯された白衣』『エンドレス・ワルツ』など多くの傑作で有名な映画監督の若松孝二は、1960年代後半の政治の季節に、新宿の飲み屋にカンパに来た重信房子と偶然出会った。そして1971年、足立正生と共にカンヌ映画祭に行った後、パレスチナに渡り、当時まだ結成されたばかりの日本赤軍と合流して、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)をフィルムに収めることに成功する。その後このフィルムは『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』という映画として、若松監督、足立監督らの手により全国各地で自主上映された(その際に用いられたバスは通称「赤バス」と呼ばれた)。この自主上映は、当時、公安に徹底的にマークされると同時に、多くの若者に支持されることになった。岡本公三がこの映画に触発されたというのは有名な話であるし、映画を撮った足立正生自身も後に日本赤軍に合流したのだった。
上京後、ヤクザから映画監督になり、60年代以降のアンダーグラウンドシーンを席巻した若松監督は、なぜこの映画を撮るに至ったのか? 先月の2/20にプラスワンで行われた『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』上映会で、後半に行われた鈴木邦男、平野悠らとのトークの模様を一部掲載してみたい。(文責:加藤梅造)
ただ人間が好きなだけ
──そもそも若松さんは映画監督であって、新左翼運動に直接かかわっていたわけではないですよね。それがなぜ、赤軍の映画を撮ったり、レバノンに行ったりするようになったんですか?
若松:もちろん俺はマルクスも読んだことないよ。俺はただ人間が好きなだけなんだよ。足立正生の思想がどうこうじゃなくて、彼は人間的に素晴らしいんです。才能もあるし。あと、足立と一緒にパレスチナに行って、そこで戦ってる青年とか少年をみると、なんでこの人達が戦っているのかがわかるし、あの純粋な目、あれは嘘を言えない目をしてますよ。それを見ると、俺みたいな真っ黒い心を持った奴でも少しは反省するんです。人間が生きてる以上、せめて少しぐらいは白い部分を持って、死ぬ時に「ああ俺も少しはなんかやってきたな」と思って死にたいだけですよ。
──でもそうやってパレスチナゲリラと関わってしまったために、若松さんは何度もガサ入れをくらったり、仕事を断られたりしてるわけですよね。
若松:まあ、それも運命じゃない。しょうがないよ。
──若松監督にガサが入るとテレビでは必ず若松プロの事務所の看板が映されたりしますよね。
若松:前にガサ入れされた時は、テレビにも映ったけど、段ボール3つぐらい持って事務所から出てくるんだよ。でも実際に持ってったのは、写真3枚と人民新聞2枚と鈴木さんが書いた記事のコピー1枚だけで、それをわざわざ段ボール3つに入れて重そうに持ってくんだ(笑)。そういう芝居をするんだよ、あいつらは。だからもう看板はずそうかと思ってるんだ(笑)。
冠婚葬祭に出られるのと飯が食えればいいと思ってる
──若松さんって、結局は義理と人情の人って感じがしますね。
若松:まあ昔ヤクザだったからしょうがないけど、人ってのは出会いじゃないですか。僕はいい人と出会ってると思いますよ。いい人と出会ってるし、いい職業を選んでるし、最高に幸せだと思ってます。僕はよく言うんだけど、冠婚葬祭に出られるのと飯が食えればいいと思ってるんですよ。ただ、映画監督の中には冠婚葬祭も出られないような貧乏な人がいっぱいいるんだよ。仕事がないから。要するに日本の政府は文化に対しての認識は最低なんだ。結局金を出すのは、メジャーかキネ旬に広告を出しているような映画にだけ。そういうのには俺はこれからどんどん喧嘩してやろうと思ってますよ。
──若松さんは今後どのような戦いを展開していくのですか?
若松:若い頃は、『われに撃つ用意あり』じゃないけど、いつでも銃をとるつもりでやっていた。でも今じゃ俺なんかより若い奴がいっぱいいるんだから、65歳の俺よりもそういう奴らがやったほうがいいと思っている。じゃあ俺は何をやるかというと、例えばアラブ赤軍について言えば、変なデマに惑わされないように、俺の知ってる範囲で事実はこうなんだということを、権力を恐れずにずっと言っていこうと思ってます。本当は知らん顔したいんだけどね(笑) 運動でも映画でもなんでもそうだけど、結局、腹立つからやるんだよ。世の中、腹立たなかったら何にもできない。
──監督の次回作を楽しみにしてるんですが、何か予定はありますか?
若松:「17歳の風景」という映画を撮りたいんです。少年が自転車で津軽まで行く話をね。岡山でお袋を殺したあの少年が自転車で延々と走っていく映画を。65歳のおっちゃんが17歳の少年の映画を撮るのが一番いいんじゃないかと。深作さんの『バトル・ロワイアル』とは違って、もっと人間の出会いとはいったい何かということをテーマにしたい。今の若い人を見ると、やっぱり人と人の出会いが少ないと思うんですよ。もっともっと多くの人と出会ってほしいね。