清瀬駅前にて。左から塩見孝也候補、私、一人おいて鈴木邦男さん
統一地方選挙が終わった。全国的にみれば自民・公明の与党圧勝だが、東京都の区長選で唯一、脱原発を堂々と掲げた保坂のぶと氏が、ダブルスコア以上で自民党推薦候補に勝利したのはうれしい。世田谷区民はえらい。私は、選挙はいつもいつも裏切られるのが嫌いであまり行かないのだが、4年前、保坂氏が一期目の当選を果たした世田谷区長選の応援に奔走した。そして今回は何の因果か、あの〝革命家〟の応援をするハメに──。
老いたる革命家、立つ
「シルバー世代よ、誇りを捨てるな。若者たちよ、希望を捨てるな。
この世に生を受けて73年。清瀬に居を構えて25年。クレア駐車場に勤務して7年。時は来ました! 元赤軍派議長・獄中20年(非転向)。自民党政治のもたらした格差社会を根底から覆すべく、すべての世代の先頭に立って闘います」(清瀬市・しおみ孝也選挙公報より)
東京の北のはずれ、清瀬市。池袋から西武線で1時間弱。人口7万弱の、畑の跡地に新興住宅が建ち、きわめて何もない穏やかな東京のベッドタウン。かつての赤軍派議長・塩見孝也がこの地、清瀬市議会議員選挙に立候補した。
1970年前後の日本、燎原の火のように広がった革命の機運。新左翼諸党派の中でも、最も過激な立場だった赤軍派。その議長だった革命家・塩見孝也は、長年の獄中生活を経て出所。清瀬市に住み、シルバーセンターに登録。駐車場の管理人としての勤務を通して、初めて労働の喜びを知ったという。
だが、職場で突然のリストラ案が浮上。多くの仲間が職場を去ることになった。
これに憤慨した塩見孝也は、市政に抗議すべく、自分の過去を堂々とカミングアウトして、市議会議員に立候補して闘いを挑むことを決意したのだ。
2月の初めだったか、突然、私の所に本人から電話があった。「市議会選挙に立候補することにした。ついては対策会議をやるので来るように」。新右翼・一水会顧問の鈴木邦男さんの元にも、同様の連絡があったという。これから何が始まるのやら。かつて「日本のレーニン」とも言われた革命家が、70を超えて何を為すのか。とにかく好奇心を刺激された私は、彼の呼びかけに応えることにした。
清瀬市の中心で「世界同時革命」を叫ぶ!(笑)
清瀬市は、かつて秩父困民党が生まれた地域でもある。塩見孝也は毎朝、駅前に立って通勤者に向かって声を張り上げていた。
「おはようございます! シルバー問題で闘う元赤軍派議長・塩見孝也でございまーす」
「シルバー問題で闘う、獄中20年非転向塩見孝也でございまーす」
朝の駅頭は、選挙活動の最前線だ。憲法9条護憲、脱原発、アベノミクス、皇室に尖閣に……。なんと、理想の政治としてゲバラやカストロの名までを持ち出し、毎日、清瀬市政とはだいぶかけ離れた大アジ演説をしていたという。
選挙最終日、私と鈴木邦男さんと雨宮処凜さんが応援演説に入った。その日も、塩見さんはすぐスイッチが入ってしまって、世界同時革命論、過渡期世界論、スターリニズムと、それはもう50年前の全共闘大会を彷彿とさせるフレーズが止まらない。アジテーションのテンションは最高潮。きっと、駅前のバスを待つ一般大衆の大半は、なんのことやらさっぱり解らなかっただろう(笑)。
「底辺革命を権力も注視している」
塩見さんは意気軒昂だった。「平野なあ、この俺たちの闘いを、権力・安倍政権はとてつもなく注視しているんだよ。公安も来ているし、まさに革命はここからだ、底辺革命だよ」「俺が受かれば安倍政権に決定的な打撃になる」なんて言い出す始末だ。
「まさか。こんな名もない一小都市の選挙、政権のヤツらは誰も気にしてはいないよ」と私。私も含め、本人以外は誰も、受かるなんて思っていなかった。しかし、なんだかとても楽しい選挙活動風景だった。800票が当選最低ライン。定数が20で、立候補者が23人。ひょっとしたら……。
最終日、選挙活動の終了時刻の20時ちょっと前。誰が言い出したか「商店街を凱旋しよう」ということになり、その場にいた15人ぐらいでデモをした。
先頭は昔、赤軍派が使っていた軍旗に、「獄中20年」の幟。「塩見孝也~!」の連呼で商店街を回る。町の人は引いていた(笑)。
結果は、獲得確定票319票。見事落選だった。だが、もし当選した連中の中から選挙違反で二人ほどやられれば繰り上げ当選になる。次回の選挙は4年後の2019年だ。77歳じゃ、ちょっと無理かもしれないな。
塩見孝也、結果を受けさすがに若干めげていた。「休養が必要だ。温泉でも行くか」なんて言っていたが、なんと入院してしまった。お大事に。
選挙という「祭り」の季節が終わり、朝から冷たい雨が降り続き、部屋でうだうだとしている。もう歳だし、雨が降ろうと風が強まろうと、今日という日を無駄に過ごすのがとてつもなくもったいないような気になった。第一歩。確かな今日に向かって第一歩を踏み出さねばならないと思った。
ビニール傘をさし一歩外に出ると、強い雨と風。4月にしては寒々としている。強い雨は私の足をぬらす。ゴム長が欲しいと思ったが持っていない。この雨の中を、行くべき所がないのに気がついた。なんとなく気落ちして私は家に引き返した。
私はこうして一生を終えるのか。部屋で五木寛之の『林住期』を読む。学生期、家住期、そして林住期と遊行期。林住期とは社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことだという。なんとも重苦しい本だ。
「やはり私は一人がいい、一人の愚を守れ」山頭火の一節を思う(山頭火はラーメン屋ではありません。俳人です)。