『NEW YEAR ROCK FESTIVAL』がいつから開催されているのか、私は疎いのだが、高校2年の時、1980年の大晦日には、観に行ったのだから、すでにやっていたのは間違いない。
何部かに分かれていて、記憶が正しければ、パンタ&ハルやARB、ビートたけし等が出演するブロックを観たハズである。それから6年後に、まさか自分達が出演することになるなんて、思いもしなかった。
どうしてこんな季節ハズレな時期にこのようなネタを書いているのか。少し前に安岡力也さんが亡くなったからだ。
「マリファナやめろよ、今日はマリファナはやめとけよ」と各楽屋を注意して回る裕也さんも凄かったが、ほぼ骨だけになった鯛の入った重箱を「好きなだけ食え、遠慮すんな」と勧めてくる力也さんも凄かった。
楽屋では酔いのまわったミュージシャン達が、よくわからない喧嘩をしていた。ベテランのロッカーが、うなだれている若手のパンクスに向かって「おめぇらのやってるのはパンクじゃねぇんだよ」と説教していたと思ったら、いきなり若手がキレて、「大体ファッションでパンクが…」と言いかけた先輩につかみかかった。力也さんは「ガラス割るなよ」とか「壁に穴あけんじゃねぇぞ」とか言いながら、正月だ、めでたい、とばかりに微笑んでいた。
我々の帰り際、力也さんは、受付近くの階段に腰かけ、神妙な表情で静かに話をしていた。相手はグールというパンク・バンドで歌っていたマサミというパンクスだ。マサミは当日、スタッフとして受付と場内整備をやっていた。彼は、どちらかの腕が、手首までしかなかった。工場で切断したとか、ヤクザとの喧嘩で切り落とされたとか、噂は多々あったが、真偽のほどはわからない。
力也さんは、目に涙を浮かべ、というのは私の記憶による脚色だとしても、心には確実に涙を浮かべているに違いない、慈しむような表情でマサミに言っていた。「おまえも腕がないから大変だよな…」。
ミもフタもない言い様に感じて、もちろん見えないようにして、クスッと笑ってしまった私だが、そのあと、力也さんはこう言った。
「俺もこう見えてよぉ、いろいろなもんがねぇんだよ。見た目でわからねぇ分、厄介なんだ。わかるか?」
マサミがなんと答えたか、もう覚えていないし、もしかしたら聞こえなかったのかもしれない。彼も随分前に亡くなった。確認のしようがない。
力也さんの言葉が、ずっと心から離れなかったという話だ。合掌。
▲故・安岡力也氏は、60年代にGSグループ「シャープ・ホークス」のボーカリストとしてその名を馳せた。野性味に溢れた迫真の歌声とパフォーマンスでグループの中でも一際目立つ存在だった。