リハーサルに行ったスタジオのロビーで殴り合いの喧嘩に遭遇した。私はメンバー待ちの時間だったから、大変楽しみながら時間を潰せて有り難かった。彼らの罵り合いに耳をすますと、どうやら二人は今日初めて新しいバンドとしてセッションし、早々と、音楽性の違いで衝突したらしい。
大抵の音楽スタジオにはメンバー募集の掲示板があり、たくさんの貼り紙が並ぶのを目にする。
そこには「ローリング・ストーンズのようなロックンロールやりたし」だの「21世紀のはっぴいえんどを目指す」だの「YMOやりたし」だの、指標とするアーティスト名が記され、中には「中期デヴィッド・ボウイとレッチリを合わせて東京事変で割ったようなサウンドです」と、一体どんなサウンドなのかさっぱり見当がつかないものもあるが、概ね、なんとなくの志向はわかる。
新しいバンドが結成される時、明確なヴィジョンをもってイニシアチブをとれるメンバーが存在する場合は別だが、見ず知らずの者が集まっても、なかなかまとまるものではないだろうから、こうした「指標とするアーティスト」の模倣から入るのは、おおいに有効な手段であろう。
かく言う私も、有頂天のデビュー・ライブでは、オープニングがリザードの「宣戦布告」でエンディングが子供ばんどの「踊ろじゃないか」だった。「模倣」どころか「カヴァー」ですらない、「コピー」である。その間にいくつかのオリジナル曲を演奏したが、まあ、バラッバラで、やりたいことの方向がまったく定まらないバンドだった。
有頂天は学祭バンドの延長で始まった。だから選曲もメンバーそれぞれがやりたい曲の寄せ集めでしかなかったのだ。
演奏のクオリティーはともかく、「なにをやりたいのかわからない」のが一番まずい。
だが、そんな有頂天も、半年もしないうちにコピーはやめ、次第にオリジナリティを獲得し、数年するとコピーされる側になった。もし初ライブに際して殴り合いになっていたら、もしかしたら今の私はないかもしれない。いや、そうでもないか。わからない。
なんら有効なメッセージもアドバイスもない。「やり続ければ、なんとかなる」。しかし殴り合って即行別れるのも、それはそれでよいかもしれない。
なんだかボンヤリしたコラムになったが、それもよいだろうさ、たまには。
▲有頂天のデビュー・ライブで「コピー」された2バンド。確かに凄い組み合わせではある…。