震災後、前々回と前回は気分が重く、このコラムも重く、じゃあ今の気分はどうかと聞かれれば、さらに重いのであり、その後の原発の状況にしろ政府の対応にしろ、わが国は「これこそがクソ」みたいな事態に追い込まれているのだから当然であるものの、一方では、そんな事態なんぞ蹴散らすだけの気概も必要だと感じるし、ロック再入門者たるもの、蹴散らせないでどうする、とも思うのだった。
どうせいずれは死んじゃうのだから、悶々としていても仕方ないじゃないか。まあ、悶々とする楽しみもあろうが。
粛粛とした態度で事態を見守ることに限界を感じたロッカー諸君は、もちろんそこには私も含まれるのだが、自粛なんかする必要はまったくない、歌いたいことを歌うべきだ。
べつに「がんばろう日本」や「力を合わせよう」なんてことじゃなくたってかまわない。「東電のバカヤロー」でも「地震がこわい」でも「キンタマが右に寄っちゃった」でも、なんでも構わない。なんなら「東電万歳」でも「ブラボー原発」でも「津波よ来い」でもいい。歌っていけないことなんか何もないのだ。それが表現の自由だ。ただし、結果どう思われるかは、当然ながら歌った人間の自己責任ではあるけれど。
「何を歌ってもよい」という自由は素晴らしいことなのに、もう随分前から、多くの日本の音楽家たちが、自らなにかに縛られ、不自由になっているように思えてならない。もったいないことだよ。
ちなみに、私の舞台の次回作のタイトルは『奥様お尻をどうぞ』だ。
▲2007年の『犯さん哉』以来約4年ぶりとなる、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出、古田新太座長による企画公演『奥様お尻をどうぞ』。フライヤーには「前作とは異なるアプローチの作品を構想していたハズが、紆余曲折の末、結局“前作と似たり寄ったりのデタラメをさらに徹底的にやる”という最悪の結論に!」とある。四の五の言わず、乞うご期待!