呑気なことを書きたかったけれど、3.11以降の惨憺たる日本の有様にあって、とても愉快な気分にはなれない。
音楽家も演劇人も、みんな必死だ。もちろん本誌Rooftopに携わるスタッフの方々も。
音楽にしろ演劇にしろ、衣食住の後に来るものだから厄介だよ。私のようにひたすら作品を作りながら事の推移を見守ることを選ぶ表現者もいれば、終息まで作品作りを躊躇う者もいる。中には生き方を変え、表現の世界から降りてしまった人もいるだろう。選択は自由だ。
ただ、生きてゆかねばならない。何としてでも生きてゆかねばならないのだ、日本人は。
被災地の人間でもないのに何を切羽詰まっているのかと思われるかもしれないが、震災後の不条理には徹底的に打ちのめされた。かつて、戦時下で、国家に従順に、ただひたすら耐え忍び、結果大変な痛手を被った国民と、都合の悪いことは隠蔽に隠蔽を重ねて右往左往したあげく、やはり大変な痛手を被った政府は、しばらくの間、あたかも、かの一件はなかったことのように時を過ごしたが、まさか同じことを再び繰り返すことになろうとは…。
放射能の垂れ流しで、もはや日本は世界に顔向けできない立場に陥っている。確かにそれでも「頑張れ」と言ってくれる他国の人はいるだろうさ。いるだろうけど、そんな優しさに甘えている場合か。甘えられる立場ではないのだ、我々は。
こんな、目も当てられぬ状況下で、よくもまぁ、いつまでもいつまでも利権と保身の為に隠し事を続けられるものだ。
こうしている間にも、日本は日々、刻一刻と、ズブズブ沈没している。たった10分逃げ遅れてしまっただけで波にさらわれてしまった方々がいる。すぐそこに、目には見えない、大きな大きな波が来ていることに、国は気づかねばならない。
写真:上野祥法(ピースボート現地ボランティア)