ジャケットと音楽が一体化してこそのアルバムなんじゃないのか!?
音楽ソフトの主流がアナログ・レコードからCDに移ったのは'88年頃だったろうか?
私のやっていた有頂天のメジャー・デビュー盤は'86年秋のリリース、セカンド・アルバムは翌年の初夏の発売であるが、レコード会社からサンプル盤をもらう際、「レコードとCD、どちらかを1枚をやる」と言われ、迷わずレコードを選んだから、たぶん私の自宅にはまだCDプレーヤーがなかったのだと思う。
ポニー・キャニオンから東芝EMIに移籍したのはたぶん'89年。この時に発売したアルバムは、もはやCDのみのリリースだった。
別に自分のバンドのバイオグラフィーを紹介したくて書いているわけではない。CDは、5年の間に急速に普及し、塩化ビニール文化を完全に淘汰した。
それから約20年。今度はCDが、音楽配信にとって替わられる気配が濃厚に漂う。「次回作は音楽配信のみ」という情報が、数多くのミュージシャンを巡って流れている。
レコードからCDに移行した時、ジャケットが小さくなったことがひどく寂しかった。それが、今回、小さくなるどころか、失くなるかもしれないのだ。まったくピンと来ない。みんないいのかそれで!? ジャケットあってのアルバムじゃないのか!? 私の部屋には、ジャケットがなかったら買わなかったアルバムだってたくさんある。ジャケットと音楽が一体化してこそのアルバムなんじゃないのか!? どうなの!? 『クリムゾン・キングの宮殿』なんか、ジャケット無しだったらアレ、相当な欠落感があるぞ。
そんな問題を含め、「音楽配信がエコだ」なんて発想は、正しいか正しくないか以前に、明らかに文化をナメきった人間の言い分だと思うのだが、いかがか?
1969年10月に発表されたキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』。強烈なインパクトのあるジャケットは、画家のバリー・ゴッドバーが鏡を覗きながら描いた自画像を発展させたものだ。