アーバンギャルド浜崎容子のバラ色の人生
新年あけましておめでとうございます。
なんとこの連載、2020年1回目の回で88回目というなんとも縁起の良い数字で幕開けしてしまいました。私という人間は非常に「持っている」人間なので、そうやって小さなドラマを生み出すことができるのです。
そして非常に喜ばしいことに、2020年の1月1日にアーバンギャルドのNewアルバム『TOKYOPOP』をリリースできる運びとなりました。いやぁ素晴らしい。2020年という記念すべき年の元日に新譜をリリースなんて。計画していてもなかなかこうはならないと思いますね。「1」が並んでいるので、昔コラムに登場した「1」にこだわる中学校時代の担任のY先生も非常に喜ぶことかと思います(Y先生の爆笑エピソードが知りたい人は浜崎著作『バラ色の人生』を買って読んでね!)。
そういう意味でアーバンギャルドも非常に「持っている」縁起の良いバンドですので、ぜひ『TOKYOPOP』を手に取ってくださいね。ご利益あります、きっと。
小さなドラマと言うか、私はいわゆる引き寄せる力がとても強いタイプだと思います。
狙った獲物は離さない(宝塚歌劇雪組の『Gato Bonito!!』の歌詞です)と言うか、大体手に入っていると思うし、大抵のことは思い通りに行きます。ただ、アーバンギャルドがはちゃめちゃに売れるということだけは叶いません(笑)。
しかしこれにも理由が必ずあるはずだと思って、よくよく深く考えてみたら、はちゃめちゃに売れたいと心の底から思っていなかったかもしれないと気づきました。
逆に「売れる」とはどういうことなのだろうか。人によってその定義はさまざまだと思いますが、世間的には「名前を出されたら知っている、聞いたことがある」というのが売れているの目安なんじゃないかなって思います。
私の感覚も似たような感じです。多くの人が存在を認知している人は、集客力とか現実的な数字は別にしても「売れてる」というイメージが付いているだろうなと感じます。
しかしながら、私はその状態(誰でも存在を知っている)というものが常々「怖いな」と感じておりました。もともと有名になりたくて音楽を始めたわけではないので、その辺りの感覚はそこまでハングリー精神がなかったなと今さらながらに思います。
そのことに気づいたきっかけがあって、少し前にミュージシャンの友人たちと食事へ行った時、友人の1人が「私はめちゃくちゃ有名になりたくて音楽を始めた。有名になるためなら手段も選ばないし、ジャンルにこだわりもない。ただ、有名になれたらそれでいいからやってる」と話していて、その潔さに私は「すごいな〜〜〜!! 私はそんなふうに熱烈に思ったことがないかも。そりゃもちろん大きな会場でライブやりたいとか、そういうのはあるけど、有名になりたいっていうよりこういうことがやりたいって思って活動を続けてるかもなぁ」と言ったら、「そこなんだよね。私は売れたくてやってるから言いたいこととか表現したいことがないの。だから曲作りとかすごく大変なんだよね。何も言いたいことがないから」って仰っておりました。
私はその発言が青天の霹靂と言うか、見たことないもの見たと言うか、すっごく衝撃でもうめちゃくちゃビックリしてしまったのです。続けて友人は「だからそういう作りたいものがある人がとても羨ましいと思う時がある」と。
ミュージシャンたる者、表現したいものがなくて音楽をやっている人なんて一人もいないと思い込んでいた自分にとってはものすごく衝撃の出来事だったし、その目標通りに売れている友人は素晴らしいと思ったし、人には人それぞれの価値観があるという当たり前のことを忘れていたな…と思った瞬間でもありました。
そして誰も人の人生に対して勝手にアレコレ言ってはいけないと強く思いました。何に価値を感じるか、何を以て良しとするか、それはその人本人にしかわからないから。
それと私は最近、こうも考えるようになりました。アーバンギャルドを応援してくれる人がアーバンを人に勧める時、「そんなに有名じゃないバンドだけど…」という枕詞をつけさせてしまっていることが恥ずかしいと。
また、ファンの人たちに自分たちがそこまで有名じゃないって思わせていることも恥ずかしいと感じるようになりました。自分たちは自分たちの表現や音楽を最高だと思って胸張ってやっているけど、それを目に見える形で証明できるようになりたい、それは自分のためじゃなくファンの人たちのために、と思うようになりました。
どこに出しても、誰に見られても恥ずかしくないミュージシャン・バンドマン・ボーカリストでありたいなと思いながら、この1年も何卒応援よろしくお願い申し上げます(珍しく真面目に〆た)。