先日、ひょんなことがきっかけで思いがけずお友達ができてしまったのだけど(こう見えて友達はちゃんといますよ。友達がいないって言う人は友達ができない原因が自分にあるのを理解していない痛い人でーすと言っているようなモノっていうのをネットで読んだので積極的に友達がいるアピールをしていくタイプの痛い人になろうと思ってます!)、その新しくできたお友達は私なんかよりもうんと年下で、いわゆる平成生まれという人たちなのかな? とっても可愛いし一生懸命だしすごくキラキラして見えました。で、その子たちと話している時にやっぱりふと思っちゃうんですね、アレ。
「自分がこの子くらいの歳の頃、どうしてたかな?」
私にはこれまで友達と言っても自分よりも年上のお姉さんや同世代と仲良くなることが多く、けっこう年下の子たちとは話も合わないだろうし何より向こうが求めていないだろうと思い、いろんな場所で平成生まれと接する機会があるにもかかわらずあんまり積極的に仲良くなろうと努力はしていませんでした。
しかし! アーバンギャルドというバンドをやって約10年、その歳月を経て悶々期(10代特有の思春期以降のモヤモヤした気持ちの時期のこと、多分)にアーバンギャルドを聴いて育ちましたという女の子たちが続々と誕生していたのです。そして、何でもないところで出会う。
いや普通に出会っていますよ? 自分たちがライブをすれば会場に「お客様」として「ファン」として集まってくれる、というか自ら進んでその場に来てくれているわけですからこれは私が偶然に出会いましたっていうパターンとはちょっと違うと思ってます。
または今アイドルやっててアーバンギャルドを聴いていましたっていう子も有難いことに皆様が想像している以上にかなりの数いらっしゃいます。私も最初はにわかには信じられませんでしたが割とマジで多いです。とっても嬉しいことです。生きてて良かった。でもそれも対バンイベントなどで共演させてもらったりというお仕事の現場で言われることだし、お仕事を一緒にしているので同業者・共演者さんとして見てしまいますので出会いとも違うかな? と思うのです。
そして有難いことに私自身も経験していることですが、昔からの憧れでものすごく影響を受けたミュージシャンの方々と一緒にお仕事をさせてもらう時は「出会い」というよりも「自分がこの機会を勝ち取った」という考えになってしまいます。要するに自分が努力してこの道を進んだ結果というか、出会いではなくチャンスを掴んだみたいな気持ちですね。ここまで行ってやる!的な向上心の結果なので、確かにそれは出会いとは違いますね。
今回の出会いは本当にプライベートで遊んでいる時の出来事なので、悶々期アーバンギャルドを支えに生きていました…という女の子たちが実在しているんだって驚きと喜びを隠せなかったです。
精一杯見栄を張ってバンドの名誉のために書きますが、プライベートでもお声をかけていただいたり、友達の友達がアーバン好きな子だった、ということはこれまでにも多く経験してきました。が、なぜだろう、これまでよりもなぜか胸にトーンと来るものがありました。
なぜなのか深く深く考え、やはり10年続けてきたという一つの区切りというものが自分の中でとても大きいんだなと再確認いたしました。メジャーデビューした時よりも今のほうが胸を張って自分のやってきたことを人に言うことができるというか、芸事は10年続けてやっとスタートラインに立てると言われるものですから、やっとやっとミュージシャンをやっているということに自覚的になれたんだなと感じました。
で、思いました。この子たちくらいの頃、何をしていたか。私自身は自分の進路を決めるのがけっこう早かったので、彼女たちくらいの歳には夢に向かってとにかく毎日がむしゃらに突っ走っていました。
でも走り出す前、どうしていたかも思い出しました。
学校にも行かず、毎日毎日自分の部屋で、ずーっと音楽を聴いていたあの頃を。
ブックレットも歌詞を読み込んでボロボロになっていたし、ヘッドフォンをして目を閉じたら憧れのミュージシャンたちが自分のすぐそばで演奏してくれているような気持ちになっていました。一人じゃない気がしてました。音楽に何度も救われてきました。
私はこれからどうすればいいのだろう。
今もあの頃も同じことが心の中を駆け巡っています。だけど、少しだけ気づけました。今の自分がやるべきこと、それが一体何なのか。これからの私たちの作品や発言や態度で目に見えるかたちで表現していけたらいいなって思ってます。
そして、部屋で一人で音楽を聴いているあの女の子にまた出会いたいなって思ってます。