朝、目が覚めた瞬間から「今日絶好調!」と体や心の調子がいい日って年に一度でもありますか?
正直申し上げて、私はありません。「まぁ、今日は普通だな」と思うことはあれど、「生きてて良かった! 両親に感謝! ご先祖様に感謝! 母なる大地に感謝!」と思うほどに心身ともに調子がいい日なんてこれまでの人生であったでしょうか。
女性の方ならお分かりいただけると思うのですが、月に10日も心が安定している日があったらすごく良いほうで、実際は一日に何度も「マジで人類滅びろ(自分以外)」と思ったりしていませんか。私は思ってます。ホルモンのバランスの仕業が大体の原因なのは分かっているのですが、どうしても心の中で嫌いな人をこ〇す妄想をしてしまいますよね。
でも、私もいい大人なので、そろそろそういうことを思ったり口に出すことをやめようと思っております。
なぜならある日、改めて気づいてしまったのです。
私がこ〇さなくとも、相手は勝手に〇ぬということを。
この瞬間、当たり前じゃボケとお思いになった方も多いかと思います。そうです、モノはいつか壊れますし、人も死にます。いま現在生きている人類の中で100年後に生きている人は私を含めほとんどいないのです。
そう考えると死ぬのが怖くなりませんか、じゃなくて、少しだけ人に優しくできそうな気持ちになりませんか。
何か無性に腹が立ったり、抑えきれないほどに負の感情に飲み込まれそうになった時には「宇宙単位で物事を見ると大抵のことがどうでも良くなる」とよく言われますが、私の場合、「私が神ならばどうするか」と考えることも多々あります。
なんとド厚かましい驕り高ぶった人間なんだろうと思われた方もいるでしょう。でも私は続けます。「もしも自分が神ならば」と考えた時に、悩みが人に対してならば想像の中でその人に天罰を与え放題です(←あれ? さっきと言うことが矛盾している?)。もし悶々とした気分が自分に対してならば、想像の中で自分の思い通りに都合の良い解釈をして、トントン拍子に物事がうまく進み、素晴らしくあり得ない運の良さで人生イージーモードです。
そういう妄想を駆使しまくっていると、いつの間にか心の中のモヤモヤがなくなり、スッキリ気分爽快なことが多くなります。
浜崎家の家訓の一つなのですが、「考えてもどうしようもないことは考えない」というのがあります。これは一見思考を停止させるようにも見えますが、そうではありません。悩みまくって(もっと言うと悩む「だけ」で)解決するようなことならいくらでも悩めばいいですが、そうでない場合はいったん自分の心からその悩みを手放すことが重要なのです。
私は寝ても覚めても自意識過剰な時期があり、考えても仕方のないことがいつも心の大半を占めていて、何をやっても楽しくないし、いつも苦悩している時期がありました(10代の悶々期です)。
いま振り返ると、もったいなくて仕方ないです。世の中は考えても仕方のないことで回っているともっと早く気づけば良かったです。最初に書いたことにもつながりますが、考えても仕方のないこと=いつか必ず死ぬということと結びついていると私は思っています。
世の中、理不尽なことばっかりです。いわゆる一般論で正しく生きていても正直者が馬鹿を見るような世の中です。
辛かったり苦しいことを経験するのが美徳のような人生はやめませんか。
人はもっと自分のことを甘やかしていいと思います。
人は人、自分は自分。
自分の人生を生きれるのは自分だけ。誰も人の人生をとやかく言えないし、楽しんだもん勝ちだし、どうせ勝手に生きてるんだから勝手に死ねよくらい思っていても良いのではないでしょうか。