謙虚と怠慢(敢えての傲慢ではない)、そして諦めと達観の違いは何なのでしょうか。
先日、美容室にてスタイリストさん、アシスタントさんとやれどこのコスメが良かったやら、どこそこのパックが良かったなど、美容の話題でひとしきり盛り上がり、いろんな話題に移行した後、ふとした拍子にアシスタントさん(20代前半の女の子)が「男の子とご飯に行っても割り勘ばかり」という発言が出ました。
「あー、最近の10代や20代前半の男女は割り勘が当たり前らしいですね」とスタイリストさん。
なんでも男女平等教育による余波なのか、女性も男性と対等という意識から逆に「お前なんぞに奢ってほしくないわ」という女の子が多いとか(本当なのか?)。
「でも自分たちが10代や20代前半の頃、奢ってもらったら逆にものすごく恐縮しなかった?」
「しましたね〜! たとえマックでも奢ってもらったらお相手のことを意識して見てしまったり(笑)」
「そうなんですよ〜、逆に奢ってもらっちゃったら、私はこの人に女性として見られてるのか? って嫌になっちゃうんです」
などなど、女性なら一度は経験しているであろう「お会計時にお財布を取り出し、私も払いますよの姿勢を見せるポーズ」問題や、「奢りではないが、お会計時にじゃあ千円だけちょうだいという男」問題(←ちなみにこういう男性は陰で「千円だけちょうだい男」などと言われます)、さらには「サラダとりわけ系女子」問題にまで発展し、最終的には食べたいものを自分で好き勝手に食べさせろ! やっぱり一人行動はサイコー! という結論に至ったわけですが、ふと、いつから「男性らしさ」「女性らしさ」が議論され、性差別だの問題視されるようになったのか考えてしまいました。
私は行きすぎたフェミニズム論にはけっこう疑問を感じていて、もちろん守られるべき権利というのは男性女性問わず人間の尊厳としてあって然るべきだとは思うのですが、「女だから」「男だから」という概念は多少なりともあったほうがいいんじゃないか? と思ったりしたりしなかったり。
化粧は身だしなみだからするべきとか、女性はスカートを穿くべきとか、義務づけるのは良くないと思っておりますが、私を含め多くの女性は「やりたくてやってる」ことが多いんじゃなかろうか? と。だって1mmでも可愛くなりたいしキレイになりたいし、思いっきり女っぽい服を着たい日だってある。だからといってそれが痴漢や性暴力を誘発するとはまったく思えません。それはやるほうが理性を抑えきれないクズなだけで、それを言ってしまうとすべての物事が成り立たなくなります。家に表札を出していたから個人情報が漏洩して空き巣に入られた、表札を出していたから悪いとか、極論そういう話になってしまいます。
女性はいつでもたとえ自己満足でもキレイでありたいと思ってます。私はそういう観点から、男性も少しでも見栄を張ってほしいというか、カッコつけてほしいなぁと思うのです。「お会計時財布見せる問題」についても、せめて好きな女性とお食事を共にする時はカッコつけてほしい。ただそれだけだよなぁと思うのです。いやほんとに奢ってくれよなんてまったく思ってないし(好きな人とならどんな時間でも楽しいから)、女性側もデートの時は精一杯見栄を張ってキレイにしてくる感覚みたいなもんじゃないかな? なんて。
どうせ時間が経てばボロが出るのが人間関係。いちばん最初の段階でお互いが見栄を張れなかったら何にも楽しくないじゃん、と思うのです。