ご存知の方もそうでない方も、私の苗字は「浜崎」と書いて「はまさき」と読みます。
漢字は本来ならもっと難しい漢字で(濵﨑らしい)、両親が熊本出身なので九州のほうではさほど珍しくない苗字なのですが、九州地方以外の浜崎さんは「はま"ざ"き」と濁音が入るらしいですね。これ聞いた話なので本当か知りませんが、九州地方の人は濁らない発音の苗字の人が多いらしいです。たまに「はま"ざ"きさん」と言われて訂正した際に、九州出身ですか? と聞かれるのでなるほどなーと思います。
私が小学生だった頃、隣のクラスの担任の先生の苗字が同じ「はまさき」でした。
私にとって残念なことにその浜崎先生は男性で、年齢も私の両親よりだいぶ年上で、そして頭髪がお寂しい雰囲気の方でした。
違うクラスにもかかわらず同じ苗字だというだけでなぜか勝手に親近感を持たれ(←酷い言い様ですね・笑)、廊下ですれ違う際に頻繁に親しげに声をかけられることが苦痛で仕方なかったです(←これも冷静に考えると酷い・笑)。
それを夕食の時間に両親に話すと、
「そういえばこないだお母さんもPTAの集まりで学校に行ったときに浜崎先生に親しげに声をかけられたわよ。九州の方ですよね? 発音が濁らないからそうだと思っていたんですけど熊本ですかぁ〜僕も○○(←失念)の生まれなんですよ〜はまさきっていう苗字、関西にはあんまりいませんよね〜とかやたら親しげだったわよ。よっぽど同じ苗字なのが嬉しかったのかしら」
という話を聞いて、子ども心になぜかドン引き。
今の年齢になり、なぜあのとき引いたのかを分析してみたのですが、小学生の頃って家族の存在って多少なりとも恥ずかしかったり、もしくは触れてほしくない領域というか、自分のパーソナルスペースみたいなもんだから、そこにズケズケと同じ苗字というだけでアンタッチャブルなサンクチュアリーに土足で踏み込まれたような気分になり、それが先生に対する嫌悪感となったのでしょうね。
それ以来、浜崎先生を見る私の目がさらに冷ややかになったある日、悲劇が起こりました。
私の担任の先生が急病でお休みになり、急遽その日は浜崎先生が代わりに担任を受け持つことになりました。たまにありますよね、病欠の先生の代行。しかも運が悪いことにその日の日直はなんと私でした...! あるのですね、こんな不運が!
必然的に浜崎先生と話す機会が増える一日...。
HRの時、日直がその日の宿題のプリントや学校からのお知らせをクラスに配らないといけなかったのですが、お優しい浜崎先生は私を手伝うという最強にいらんことをしてくださいました。
かねてから悪童のクラスメイト男子に「浜崎と〜浜崎先生は〜親子なのでは〜?」などとからかわれ、「私のお父さんはもっと若くて(心の声:髪もあって)イケメンじゃ!(事実、若い頃の父は福山雅治さんに似ていた)」と反論し、男子をボコボコにシバキ上げていたのですが、その日ももちろん「親子」コール、そしてさらに進化し「兄弟」コール、挙句の果てに「双子」コールまで飛び出し、浜崎先生も「こらこら〜先生と浜崎さんは親子でも兄弟でもないぞっ、でもひょっとしたら遠いご先祖様が一緒かもね☆」みたいな最高にキモイことを言ってのけたので私は反論し、男子をシバく気力すら失い、プリントで顔を覆い大号泣してしまいました。
なぜこんな赤の他人の、しかもハゲたおっさんと同じ苗字というだけで双子呼ばわりされなくてはいけないのか。
ワンワンと泣きながらそのようなことを訴えたおかげでクラスはシーンと静まり返り、いま思うと本当に申し訳なかったなぁと思いますが、浜崎先生も傷ついたのか、それ以来話しかけてくることもなく平和にその年の終業式を迎えることができました。
いや、でも赤の他人にもしかしたらどこかで血が繋がっているかもね☆みたいなこと、今でも言われると気持ち悪いなぁと思いますね(笑)。