「千日回峰行」という修行があるそうです。本堂から山頂まで往復48キロの道のりを1000日かけて歩き、それが終わったら翌年「堂入り」と呼ばれる9日間の寝ない、横にならない、食べない、飲まない「四無行」という生存率50%と言われる修行もしなくてはいけない過酷極まりないもので、知っている人も多いと思います。
しかもこの修行の何がすごいって、一度始めたらやめる時は短刀で切腹するか、縄で首をくくるか、つまり自死しなくてはいけないということです。私なら多分、1日目の途中でもうダメだと思います。しかしながらこの修行を行なう人はそれくらいの覚悟がないといけないという、まさに命がけの修行だということです。
私はこの修行のことを知って、達成した住職さんがいらっしゃることに純粋に「すごいなぁ」「自分ならできないわ」とも思いましたが、同時に「自分にとっての苦行とは何だろう」と考えさせられました。
私にとっての苦行はまさに「生きること」、これに尽きるなぁと思います。
現在、私の所属しているバンド、アーバンギャルドは全国ツアー中で、機材車にメンバーとスタッフさんが乗って移動している感じなのですが、私は車内でスマホすらいじれないほど文字を読むと酔ってしまうので、車が発進する前に今日聴きたい音楽をセレクトしてイヤホン付けたり、眠ったり、メンバー・スタッフさんとミーティングしたり、時には流れる景色を見ながらいろんなことを考えたりしています。精神的にすごくハッピーな気持ちの時もあれば、死ぬほど辛い時もあります。まぁそれはツアー中に限ったことではないですね。身動きがほとんど取れない車内で何時間もひたすらボーっとすることはある意味修行だよな、と思う時もあります。それと「千日回峰行」を同列に語るな! と言われるのは分かりきったことですが、今回のツアーの移動中に本当に精神的に参ってしまったことがあって、もちろん一人で勝手に考えて勝手に落ち込んでしまったことなのでライブの内容とかバンドのことは一切関係ないのですが、これまでの人生を振り返って、私は私自身が心から頑張ったと言えることや、勝負の時にもうここまでやれば大丈夫! と胸張って言えるくらいの準備や結果を残せてきたか? ということを問いかけ始めてしまって、何一つとしてできていない気がして非常に落ち込んでしまったのです。
たとえば受験の時は人生の中でこれまでにないくらい勉強した、とか、部活の大会の時にこれまでにないくらい練習した、とか。そういうことが誰しもあると思うのですが、私に至ってはどれもこれまでにないくらい何かやり遂げた、ということがないような気がして、何やってんだ自分。となっちゃったんですよね。
そしてそれに気づいて慌てて何かを成し遂げようと必死に努力したとして、本当にそれは報われるのか、結果が今からでも出せるのか、ということを思い、なんだか手遅れな気がして勝手に絶望していたわけですが、たまに「生きる」ということがこういった希望と絶望を繰り返してそれを死ぬまで繰り返して、死ぬ時に「ああ、いい人生だった」と思えることが人生の最良のゴールであるような気がしてならない時があるんです。でも、必ず来る死の「いい人生だった」と思うため「だけ」に頑張るとかって正直馬鹿げてる。でも後悔を残して逝きたくはない。そんなことを思うこと自体がもう間違いかもしれない。
「千日回峰行」などの修行は同じことをひたすら繰り返すことで悟りが開けるそうなのですが、私も毎日毎日ひたすら同じことを考えて繰り返しているような気がしているので、そのうち何か答えが見えてくる日が来るのだろうか、と思いながら今日も悩んで生きてます。