みなさんこんちは、縄張狭男です。今回はですね、報告がありますよ! なんと、最終回! キャハッ! 連載が始まってちょうど3年、36回目であります。正直、城について語りたいことは語ってきた感じがありまして、キリよくここで終了! でもホント、こうやって城のことを連載してるといろいろ復習もできたし、新たに増えた知識もあるし、いいことしかなかったです。
「城」って括りはでかいけど、この連載で扱ったのは日本の城、それもほとんどは戦国時代から江戸時代初期までのわずか70年くらいの城ばっかなんですねぇ。これが日本の城のすごいとこなんす。
だって戦国以前の城だったり砦みたいなやつとかは世界的に見たらすごい遅れてるレベルで、織田信長が生まれた1534年くらいの日本の城は西洋だと10世紀くらいのやつらしいっす。その差のつき方も必然的とも言えますが。ヨーロッパは陸続きで国がひしめき合い、民族も多様なことから絶え間ない戦争の歴史であり、国、都市単位で城を発達させて外敵に対抗させる必要がありました。でも日本は各地で抗争的なものはあっても大規模な戦争という感じでもなく、しかも武士として野外で勝負をつける習わしが一般的だったため籠城戦も少なく、そうすると城も発達してこなかったんです。
それが戦国時代になってくると戦が激化、取るか取られるかの群雄割拠の時代になり、戦の数も戦法も武器も多様性に富んできます。一騎討ちでタイマン張ってる場合じゃなくなりました。「相手の本拠地攻めるのは卑怯でしょ〜」なんて言ってると部下にまで裏切られて城を乗っ取られる時代、一気に城が進化していきます。
そのひとつの到達点とも言える織田信長が築いた安土城が完成したのは1579年。安土城のことも書いてあるポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』では「ヨーロッパのもっとも壮大な城に肩を並べる規模で、天主はこれ以上到達し得ない清潔で見事な出来栄え。内部外部ともに驚くほどの建築技術。全体が堂々たる豪華で完璧な建造物」と絶賛しています。んで、こんとき城の全貌を視察した巡察使に信長が餞別で安土城を描いた屏風絵をあげてるんですが、その屏風絵は1585年の天正遣欧使節とともにヨーロッパに渡ってローマ法王に献上されたみたいなんです。でもそこで記録は途絶え、今は行方不明に。その屏風絵が見つかったら最高に素晴らしい資料になるからいつか見つからんかな〜。と、たった40年くらいで日本の城は一気に500年分以上進化して世界基準に並ぶ技術になったってとこが胸熱ですね。ほんで安土城以降はさらに巨大城郭も増えて技術も上がったことから、江戸初期の城は世界最高峰と言ってもいいんじゃないかな。
こうやってできていった城たちを現在でも感じれる、見れるというのはとてもありがたいし、何よりワクワクしますね。自分が住んでいる地域のどこかしらにある城跡。戦国期の城跡だけでも3000を超すと言われています。その数の分だけ戦いや文化、人間たちの歴史があったんですな〜。おぉ。なんか想像してるだけで尾てい骨の辺りがゾクゾクしてきた! みなさんも自分の街や、旅行先にある城を今までと違った感覚で見てもらえるとありがたき幸せに存じます! ほんじゃ!
追伸。来月からは城の領域を飛び出して「歴史」全体からそんとき興味あることを書くコラムになります!
挿絵:西 のぼる 協力:新潮社