ベースギターの村岡ゆか加入後初となるイースタンユースのアルバム『SONGentoJIYU』は、彼らがこれまで唄いつづけてきた「生存の実感」を主題にした歌の集大成的側面がありつつ、結成30周年を目前にして三位一体のアンサンブルと情感豊かな表現力にまだまだ伸び代があることを実感させられる傑作だ。傑作なんてめったに使いたくない言葉だが、これだけ圧倒的な熱量と激情を内に秘め、これだけ饒舌に日常の喜怒哀楽を唄い、鳴らし、これだけ聴き手の魂を共振共鳴させる音楽をぼくは他に知らない。このアルバム自体が、音楽自体が、まるで孤軍奮闘をつづける人間そのものみたいなのだ。そう、同調圧力に屈さず、朱に交わっても赤くならず、個人の生きる尊厳と自由を追い求める満身創痍の人間の姿そのものだ。生きていることに遠慮なんてしない彼らの滋味に富む表現の源泉を探るべく、エレキギター、ボイスの吉野寿に訊く。(interview:椎名宗之)
生身の実感だけがいちばん大事なこと
──新作のタイトルが『SONGentoJIYU』と聞いて、これはタイトルからして名盤決定! と音を聴く前から確信しまして。文字通り「尊厳と自由」とも読めるし、“ento”は「〜のあいだで」という意味だから「歌と自由のあいだで」とも取れるし、この表記はちょっとした発明品だなと。
吉野:単なるダジャレですよ(笑)。漢字にするとあまりにもいかめしい感じになるし、でも言いたいことはそういうことだし、何とかなんねぇかなと思ってカタカナにしてみたんだけど、まだちょっと重いなと。それでローマ字にして並べてみたら、お、“song”が入ってんなと思って。それを大文字にしてみたらちょっとぼやけるんじゃないかと思ったんです。
──今こうしたタイトルを冠したアルバムを発表しようと思ったのは、まるで戦前のような国をつくろうとする政治がまかり通るきなくさい世の中を反映してのことですか。
吉野:そういうものも感じた上で、ってことですよね。自分が今まで唄ってきたことは何だったのかと言えば、要するに尊厳と自由の歌だったわけです。それはつまり、「個」ですよね。人生のなかでいちばん優先されるべきもの、大事にするべきものというのは「個」なんじゃないかと思ってるんです。社会の役に立つために生まれてきたわけじゃないし、ましてや国の役に立つために生まれてきたわけでもないし、自分の人生を自分らしく生きることを探求するために生まれてきたわけですから。その「個」があって初めて社会のいろんな仕組みが成り立つし、「個」を手放して「公」を優先させてしまうと生きる意味がなくなってしまう。そういう思いで生きてきたので、今回のアルバムもそんなテーマになっているんだと思いますけど。
──だからこそ「俺は同調しない」と絶叫連呼する歌(「同調回路」)も収録されているわけですね。
吉野:同調なんて絶対にしませんよ。するわけねぇだろ! って。子どもの頃からずっとそうして生きてきたので、しょうがないんですよ。そういう人間なんですよね。
──1曲目の「ソンゲントジユウ」の語りの部分にある「生きたまま死んでゆくのか/死んでいるように生きてゆくのか」というフレーズは、かつて「滑走路と人力飛行機」でも唄われていた「死んでいるみたいに生きていたくはないから」というフレーズと重なるし、吉野さんが一貫して唄い続けてきたのが尊厳と自由の歌だったことはよく理解できるのですが、尊厳と自由がかんたんに踏みにじられる時代になってしまったからこそ、いま改めて尊厳と自由の歌を声高に叫ばなければならないのかなと思って。
吉野:そういう側面はあると思いますよ。今の世の中がそういう雰囲気になっているのもあるし、SNSみたいなものが発達して、こんなことを言ったら叩かれるんじゃないかとか、空気を読まずにそこからはみ出る奴は傲慢だとか、秩序を乱す奴だとか言われるじゃないですか。そんなふうになるのが怖いから忖度したり、ビクビクしたりしているうちにミイラ取りがミイラになってしまうというか、今度は誰かを抑圧する側の思考になっていく。そういうところはイヤな世の中だなと思ってるんですよ。
──吉野さんでもツイッターやブログで何かを発信する時に「こんなことを書いたらどう思われるんだろう?」と考えたりするんですか。
吉野:しますね。すごくします。だからなるべく発言しないようにしてる。というのも、知らないうちに誰かを傷つけちゃう場合もありますよね。基本的には思った通りに発言すればいいんだけど、無配慮に言ってしまったことで誰かが傷つくことになるのはイヤなんです。ただ、ネトウヨとかは論外ですよ。奴らと議論する気は毛頭ないし、あいつらは見つけ次第、即ブロックですから。俺はSNSを議論の場として捉えてないんですよ。話し合いたいならこうして面と向かえばいろんなやりとりもできるし、考えかたがぜんぜん違ったっていい。でもSNSで議論したって平行線でしかないから、はなから議論しようとは思ってないわけ。俺はね。ツイッターのあんな短い文章でうまいことも言えねぇし。
──「むやみにさえずりすぎると魂が目減りするぞ」という吉野さんの名言もありますしね。
吉野:だけど、いろんな人たちが日夜発信してるわけですよね。それに捕まっちゃうっていうか、四角い箱のなかでいろんな人のいろんな声が全部同時にブワーッと湧いて出てくる。なんだかそれを恐ろしく感じて、道行く人がみんな何を考えてるのかわかんないみたいなビクビクしちゃう心理状態は理解できるんですよ。いちばんいい解決方法は電源を切ることなんですけどね。
──それか携帯電話を破壊してしまう。そんな歌がありましたけど(笑)。
吉野:電源を切っちゃえば、ほら見ろ、誰も攻めてこない。生身の実感だけがいちばん大事なことで、そこらの匿名の有象無象は言わせておけばいい。そうは思うんだけど、なかなかそうもいかない。不自由な時代だなと思いますね。でもそんな時代だからこそ、自分というものをもっと大事にしてもいいんじゃないの? って思うわけですよ。それはなにも自分ファーストって意味の「俺が、俺が」じゃなくてね。自分に「俺」という主観があるとすれば、相手にだって「俺」という世界があるわけだから、そこを尊重し合えればいいコミュニケーションになるんじゃないかってことなんです。