題名やおどろおどろしい表紙だけ見て、最近流行している「ご当地怪談」か…と軽く思ったら大間違い! 「怪談文庫」と言うジャンルから多くの人が想像するであろう、一時の慰み…ぶっちゃけ「読み捨て」などさせない最高の知的エンタメとしてこのジャンルに一線を画す凄い本が刊行された。
本書の著者、小原猛は2011年から絶えず「琉球怪談」を聞き取り、記録し世に出してきた。沖縄の怪談・奇譚の単著だけで児童書も含めると15冊にも及ぶ著書があるオーソリティだ。かつて那覇市内の公民館に勤めていた経験も活かし、沖縄に住む人々の話を聞き取り、その息遣いを感じさせる優しい文体が特徴。最新刊の本書もこれまでの流れを汲むが、琉球王府の伝承、それと地続きの現代沖縄の姿を、取材と史料文献の読み込みでひもとく。大変手間ひまのかかった優れたルポルタージュの力作となっている。
例えば題名にある「耳切坊主(ミミチリボージ)」は琉球王府がまとめた「公の・大文字の歴史」では恐ろしい妖術使いだが、地域では悪く言う人がいない尊敬された存在だったという。さらにこの耳切坊主、民謡として今もバンドがレコーディングもするほど有名な曲となり伝わっている。果たして坊主は悪人だったのか…? 取材を重ねるうち、「昔話」はそのまま現代に繋がり、正史に記されているのとは異なる口伝の歴史と人々の思いが浮かび上がってくる。
また、数奇な運命を生き抜いたユタ(沖縄の民間巫女)の神がかり体験を聞くために心を開かせようとするやり取りには著者の気迫と凄味があふれている。ユタは答えを拒み突如「あんた、○○(ドン引きするほど直接性的なこと)したのはいつね?」と言い、重ねて「戦争体験者がその時代のことを話したくても話せないのと同じさ」「察しなさい」「想像で書きなさい」。
この言葉にひるまず著者は想像では書けないと訴えるが、「創作小説でなら」とガードは堅い。しかし著者は「記録」でなくては意味がないのだと粘る。このように何度も顔を合わせ、信頼を築き、約束を結び聞き取られた貴重な話がここには記されており、それはかなり繊細な内容を含む。著者は沖縄に住み長いが、出身は本土であり、もしかすると「だから」語ってもらえた話なのではないかと一読、心を震わされた。近い人々には言えないほどの話では、と。
まずは「知って」もらわねば「本土」の人間には沖縄の実態が何ひとつ伝わらない。
当事者に繰り返し会い、文献も丁寧に渉猟、表の歴史に登場しない・できない人々の思いが宿る話をすくい取り記録してゆく著者の姿勢には頭が下がる。そこに立ち現れる光景は決してキレイ事ばかりではないが「そこに生きてきた・生きている人」が肉声で語った体験談の貴重な記録だ。
ふらり短時間立ち寄り撮影した映像をさらに切り取って分秒単位でモニター越しに見るなど、一部分の冷やかし・覗きに過ぎない。
本書には「医者半分、ユタ半分」と今も言われ、生霊(イチジャマ)飛ばされ具合が悪くなる人々や、マジムン(魔物)や妖怪(世間でキャラとして思い起こされる「キジムナー」は現地の人々の見てきた姿と全く違うそう!)、あの世とこの世が水平や垂直に重なる世界が記録されている。大戦の日本軍人の話や、戦後ずいぶん経っての米兵の怪談、コロナ下の奇譚もある。
だからといって、ただエグくつらいばかりではない。サンドイッチレストラン「サブウェイ」でユタさんらが談笑し、スーパー「サンエー」の上に龍神が優雅に舞う異文化の地をゆったりと大らかに綴っており、難しくなく面白く沖縄を知ることができる。
気負わず読めるのに、深く勉強になる。「怪談文庫本」のステージを上げた分水嶺となる書だ。(Text:澤水月)