幕末・明治に数々の逸話でその名を馳せた侠客、 清水次郎長。 二代目広沢虎造『清水次郎長伝』などをはじめ、 多くの作品で人々に親しまれてきた次郎長の物語が、 浪曲の節と啖呵、そしてボーイズ・ラブ視点も織り交ぜた町田康版・痛快コメディとして蘇る・
義理と人情には滅法強い海道一の親分……のはずが、 初恋の男にはすげなく振られ「顔か。 顔が不細工なのか」と激しく苦悶。 初めての啖呵は全く上手く切れず「ちょっとなに言ってるかわからない」と返される始末。 どこか抜けていて愛おしい次郎長が、 失恋、 養父母との確執、 親しい仲間との出会いと別れを経て、 国を捨てて男も惚れる「やくざ」になるまで。
ーーどんなに自分が辛くてもぐっと我慢して笑ってみせる。 吁(ああ)、 やくざの旅ゃ、 辛ぇなあ。
『次郎長と福太郞/次郎長の計略』より
「だけど、 おいら土手から帰る途中にあの飴を落としちまったんだ。 慌てて探したんだけど見つからねぇのさ。 あンときは口惜しかったっけなあ」「そうかい。 口惜しかったかい」「ああ、 口惜しかったさ」「なにがそんな口惜しかった」「だっておめぇがくれた飴じゃねぇか。 他の者じゃねぇ、 おめえがくれた飴ならおいら大事に舐めたかったさ」トゥクン。 次郞長は暫く歩きにくかった。 福太郞が自分を嫌って飴を捨てたのではないこと。 それどころか、 むしろ自分に好意を持っていることがわかって次郞長は有頂天になった。
『次郎長、 五年がんばる』より
福太郞はあのとき黙っていた。 と次郞長は思った。 おいらの弁当箱から金魚が見つかったとき福太郞は黙っていた。 それは別にいい。 おいらが勝手にやったことなのだから。 ただ、 おいらが家に帰るとき。 あのときも福太郞は黙っていた。 おいら、 別に何を言って欲しかったわけじゃあない、 ただ、 「次郞長どん、 またな」と、 たった一言、 言ってくれりゃあ、 おいら笑って家に帰ったんだ。 ところが福太郞はなにも言いやしねぇ。 言わねぇばかりじゃねぇ、 こっちを見もしねぇんだ。 見もしねぇで、 米吉やら丑吉やらとふざけてやがった。 あんまりじゃねぇか、 福太郞。 あれじゃあ、 おいら、 あんまりにも甲斐がねぇじゃねぇか。 福太郞よ、 あんたにとっておいらはいったい何だったんだよ。 福太郞ってなんなんだよ。 おいらってなんなんだよ。 牛ってなんなんだよ。 毛虫ってなんなんだよ。 みんなみんな蓑虫なのかよ。 このように混乱するうちに昼間の疲れから次郞長はいつしか眠りに落ちていたが、 その頬には一筋の涙が流れていた。