2020年9月25日に、 「NHK出版 学びのきほん」シリーズの11冊目となる新刊『落語はこころの処方箋』が発売される。 著者は、 立川談志18番目の弟子で、 いま最も本が売れている落語家・立川談慶。 本書は、 落語を理解するために必須の基礎知識と、 落語が秘めたこれからを生きるヒントを、 100ページ程度の読みやすい分量にまとめている。
本書の魅力としてまず挙げておきたいのは、 落語をきちんと理解しておきたい人のための「必須の基礎知識」が非常にコンパクトにまとめられていることだ。 「落語はどうやって誕生したか」「なぜ江戸で落語が栄えたか」「江戸から昭和にかけて「誰」が活躍したか」「どんな噺が有名か」などの基本情報がわずか20ページ程度で理解できる。
その中でも特に、 「落語はなぜ会話だけで成り立っているのか」について、 著者独自の視点が面白い。 著者は、 落語が会話だけで成り立ってしまう特殊な芸能になった背景について、 江戸の町の住環境を例に挙げて、 次のように述べる。
狭い町にぎっしり建てられた長屋の壁はペラッペラ。 隣の痴話喧嘩なんか丸聞こえだし、 反対隣の娘さんが行水をしている姿も、 覗こうと思えば覗けちゃいます。
ただ、 それをやっちゃあアウトです。 コミュニティ内の暗黙のルール上、 聞こえるけれど聞こえていない、 見えるけれど見えていない「ふり」をしなきゃあいけません。 (中略)これを守れない輩は「出ていけ!」と言われますから、 常に周囲の気配を察しながら忖度するという習慣が、 江戸っ子気質として根付いていきました。
この江戸人の「忖度する習慣」が、 「あ、 今の会話はこういうことか」「今、 あいつは怒ってるけど内心笑ってるな」と、 見えないものを想像する力となっていき、 これが落語という芸能が広まる受け皿となっていったのではないかというのだ。
また、 本書のもう一つの魅力は、 先述のような「教養としての落語」を押さえつつも、 「なぜ今、 落語が現代人の処方箋になり得るのか」を説いていることだ。 そのキーワードとなるのが「日本の実年齢」である。 著者は次のように述べている。
これは私の持論ではございますが、 「昭和〇〇年」が日本の実年齢に相当すると考えると、 日本の歩んできた道のりがよく理解できます。
本書ではこのあと、 「昭和〇〇」年の持論をもとに16歳から70歳まで日本が歩んだ道を解説したあと、 では令和2年の現代日本はどうか、 と話を進める。
今は令和2年になりましたが、 昭和に換算すると、 95年です。 95歳のおじいちゃんですから、 あちこちくたびれて、 思い通りには動けません。 まさに少子高齢化が加速し、 人口も経済も縮小する現代日本と重なりますな。
だからこそ、 これまでの価値観を変えなけりゃいけない。
日本の実年齢は95歳。 そんな、 よぼよぼの日本に生きる私たちは、 これからをどう生きていけばいいのか、 その価値観を変えていくためのヒントとなるのが「落語」だというのだ。
そこで著者が注目するのが、 日本が江戸期から明治に移行した時代だ。 黒船到来に象徴されるように、 幕末の日本は欧米の植民地主義の危機にさらされていた。 そこで「富国強兵」「殖産興業」などをスローガンに、 急ピッチで近代化の道を走った日本。 しかし一方で、 その「早い成長」に耐えられなかった江戸期の古き良き価値観は置き去りにされてしまった。 だからこそ、 落語の噺に描かれた「江戸にあって現代が見失ってしまったもの」をヒントに、 「ニューノーマル」な生き方を探っていくことができるというのだ。
例えば第2章では、 日本人は人生の「勝ち負け」にこだわっており、 落語に描かれた人々の生き方を見習えば、 「人生、 負けてもいい」という視点へ転換でき、 生きることが楽になるのではないかという。 また、 第3章では、 落語に描かれた「ゆるい働き方」の例を挙げ、 根を詰めて働きがちな日本人の「働き方」の見直しを促す。 そんな中で特に注目すべきは第4章「落語に学ぶしなやかな生き方」だ。 この章ではまず、 著者の師匠・立川談志の生き方を例を挙げる。
談志は、 よく「囃されたら踊れ」と言っていました。 この言葉は、 紀伊国屋書店創業者の田辺茂一さんが、 談志に言ったものだそうです。
うちの師匠はプライドが高いから、 「冗談じゃねえ」とか言いそうなんですが、 大御所の田辺さんに言われて、 とにかく囃されたら踊ることにした。 それで「国会議員やってみなよ」と囃されたとき、 うっかり踊ってしまって、 昭和46(1972)年、 初当選しちゃったんです。
この談志の例に加えて著者が注目するのが、 落語の有名なキャラクター「与太郎」だ。 与太郎も談志同様に「囃されたら踊る」ことを身上としたことで、 「しなやかな生き方」を獲得していったという。
与太郎は、 飴を売れと言われれば飴屋になり、 唄を仕込まれれば唄って歩きました。 みなさんだったら、 どうですか? 「そんなの恥ずかしいよ」「俺の趣味に合わないよ」とかなんとか言って、 素直に受け入れられないのではないでしょうか。 (中略)一生懸命、 囃されたら踊るのが与太郎の才能です。
翻って、 現代の私たちはどうでしょうか。 効率を優先することに慣れてしまい、 売れるかどうかわからないことになんて、 コツコツ努力できないのではないでしょうか。 (中略)この「愚直にコツコツ」という姿勢も、 江戸にあって現代にないものでしょう。
本書には、 他にも「今あるもので、 やり過ごす」「「お互い様」で甘えよう」「「やせ我慢」を見習う」「呼ばれたら行く」など、 私たちが普通に生きていたら見失いがちな「人生の教訓」が詰まっている。
私たちは、 もしかすると「欲」や「お金」、 「効率」や「評価」などを優先させるあまり、 「生きる上で本当に大切なこと」の優先順位をはき違えてきてしまったのかもしれない。 だからこそ、 現代とはある種「逆」の生き方をしていた江戸の人々・落語に描かれた人々の価値観を見習うことで、 生き方にパラダイムシフトが起きるのではないか。 本書は私たちに、 そのような人生との接し方を教えてくれる。
本書は10月に3週連続刊行記念イベントを予定している。 まず第1弾は「落語×仏教」ということで対談の相手に釈徹宗さんを迎える。 詳細はこちらのHPより。 その後のイベントも「学びのきほん」Twitterなどで順次公開予定。