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復興への第一歩を ロフトスタッフが見た石巻市の現状

2011.05.10

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石巻市門脇町(海辺の地区)

 「きゃー!久しぶり!」「うん。家も流されたけどなんとか。でも生きてて良かったー!」手を取り、抱き合いながら互いの無事を喜び合う女性。
「うんめえなあ。魚食ったのは1ヶ月ぶりだ。」秋刀魚の塩焼きを口いっぱいにほお張りながら満面の笑みを浮かべる漁師。

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女川町のビル

 被災からおよそ1ヶ月。石巻市中心部にある商店街の一角での光景だ。この日、この地域では被災後初となる、創業80年の老舗青果店「守谷フルーツ」がオープンした。
 ロフトプロジェクトのスタッフとして、被災地での支援活動を行うNGOピースボートに帯同し、3月17日に宮城県石巻市に入ってから様々な支援活動を展開してきた。当初、町には津波によって運ばれてきた汚泥、瓦礫と化した家々の残骸、原型を留めない車、打ち上げられた船舶などが至る所に存在していた。そして今も多少片付いたものの、その多くは手付かずのままだ。
 正直に告白する。守谷フルーツの再開の日まで、私の心の中では復興への希望よりも絶望が勝っていた。津波の後に残された場所には、被災前の姿を想像できない町並と、愛するものを失った人々の哀しみが充満していた。人々の生命や生活が、いとも容易く壊され、海へと流されていった。一方、誰もが予期せぬほどの規模で巨大な牙を剥いた海は、津波などとうの昔に忘れたように静かに水面に陽光を反射させている。頭では整理の付かないその光景の前に立ち、腐臭と粉塵の混じった空気を吸いながら、日々、炊き出しの手配、支援物資の配送、町中に溢れる夥しい量の汚泥と瓦礫の撤去。ただひたすら目の前の事をこなしていた。
「無理だ。先が見えない。」
やればやるほど無力感に包まれ、心は折れる寸前だった。

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鉄筋コンクリートのビルもそのまま流されるほどの津波が襲った女川町

 そんなことを悶々と考えていた時に、泥出し作業中のボランティアから一本の電話が入った。「守谷フルーツさんがお店を開けたいと言っています。老舗が開けば周りの商店街も少しは元気になるんじゃないか、と。泥が出せれば明日にでもオープンしたいそうです。」
 翌日20名のボランティアを送り、2日後には冒頭の会話が店先で交わされていた。再開当日、店先では記念にと隣町の女川から贈られた秋刀魚やイカを炭火焼で振舞っていた。お店には多くのお客さんが訪れ、果物や生活用品を購入し、店先で焼き魚をほお張りながら談笑していた。物を買う。馴染みの友人と触れ合う。飯を食う。そして、この目を覆いたくなるような状況下にありながら(それ故にかもしれないが)、それでも友人知人の安否を気遣い、その報告に一喜一憂する。

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大型の船もが、打ち上げられている。作撤去作業に立ち会うオーナーの目には涙があった。(石巻市中央町)

 人の生活とは、日々の営みとは、なんと美しいものなのだろう。生かされた者は生きるしかないのだ。日々の生活を繰り返すことで明日が生まれ、繋がってゆく。
 ここに、この石巻の復興の第一歩を見た。先は長い。それぞれが出来ることを出来るタイミングでやろう。あなたの出番は必ず来る。(ロフトプラスワン:上野祥法)

 

 

 

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ボランティアの協力により再開した老舗青果店守谷フルーツ。石巻市中央町

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