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INTERVIEW

トップインタビュー『CBGB ニューヨーク、PUNK が生まれた場所』ランドール・ミラー(監督)、ジョディ・サヴィン(脚本)インタビュー

CBGBという場所は、偶然と情熱が交差し、無名の若者たちが未来を切り開いた空間だった

2026.10.31

 1973年、ニューヨークの片隅にボロボロのライブハウス「CBGB」がオープンした。テレヴィジョン、パティ・スミス、ラモーンズ、ブロンディ、トーキング・ヘッズ――ニューヨークPUNK/ニューウェーヴ・ムーヴメントを代表するバンドやアーティストが巣立ったライブハウスとして後に伝説として語られるCBGBだが、その誕生には相次ぐ事業の失敗と離婚で人生のドン底にいた一人の男、ヒリー・クリスタルの再起を賭けた情熱と隣人への愛が横たわっていた。
 CBGB(カントリー、ブルーグラス、ブルース)と名付けられた小さなクラブはなぜパンクの発祥地となったのか? 映画『CBGB ニューヨーク、PUNK が生まれた場所』は、創業者ヒリーが掲げた「演奏できるのはオリジナル曲のみ」というポリシーが行き場を失ったバンドやアーティスト、若者たちを引き寄せていく様を圧倒的な熱量で描いている。監督のランドール・ミラーと共同脚本のジョディ・サヴィンに話を伺った。(INTERVIEW:加藤梅造)

この映画では挫折をした人(LOSER)のストーリーを描きたかった

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──本作品は初公開から13年を経てようやく日本でも公開となりますが、そもそも映画を作った動機は?
 
CBGBは歴史の断片なんです。だからできるだけ多くの人に憶えていてもらいたいと思いました。当時どれだけのバンドが来て、どれだけの人たちがここにいたのかを見てほしい。今でも街角でCBGBのTシャツを来た人をよく見かけますが、そんな風にCBGBが世の中に残っていくと嬉しいなと。
 
──劇中、パンクの代表曲「サイコ・キラー」(トーキング・ヘッズ)や「ビコーズ・ザ・ナイト」(パティ・スミス)から60年代のベルベット・アンダーグラウンド、ストゥージズ、スティーヴン・スティルスまで幅広い選曲が音楽映画としても印象的でした。
 
当時CBGBでプレイされた曲だけでなく、ヒリーがもともと好きだった音楽も入れて、彼の人生を反映したものにしたいと思ったんです。当初、音楽は50曲ぐらい使うつもりだった。でも許可取りは本当に大変でした。テレヴィジョン、ラモーンズ、パティ・スミスの有名な曲だけでなく、ミンク・デヴィルやフレイミン・グルーヴィーズなど当時正当な評価を受けなかったアーティストの曲もCBGBを語る上では欠かせない要素ですから。
 
──「CBGBという場所は、偶然と情熱が交差し、無名の若者たちが未来を切り開いた空間だった」と仰ってますが、まさに1974年当時はテレビジョンもパティ・スミスもまだ無名な存在でした。
 
この映画では何かしらの挫折をした人(LOSER)のストーリーを描きたかった。ラモーンズやブロンディ、トーキング・ヘッズは、他に演奏できる場所がなくてようやくたどり着いたのがCBGBだった。オーナーのヒリー・クリスタル自身も、CBGBの前に2つ3つクラブを経営して破産している。もう失敗はできないとなった時に、カントリーとブルーグラスの店を作るつもりだったのが、偶然の結果、予期せぬ形でパンク界のゴッドファーザーという位置にたどり着いた人だった。

お前たちは誰にも愛されないだろう。だが応援する

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──ヒリー・クリスタルの言うセリフが面白く、新人バンドのオーディションの時に何度も言う「ひどい騒音なら俺は外に出ていく」や「There's something there(何かある)」は特に印象的です。
 
実際にヒリーはそう言ってたようで彼の人柄をよく示しています。彼がパンクという音楽そのものに理解を示したわけではなくて、よく分からないけど何か感じるものがあったという所を象徴的に伝えるセリフですね。
 
──他にも印象的なセリフとして、ヒリーが初めてラモーンズの演奏を聴いた後に「お前たちは誰にも愛されないだろう。だが応援する」と言うのが最高でした。
 
後にラモーンズは世界的なバンドになりヒリーの予想は間違ってたんですが、デッド・ボーイズにも同じ事を言ってそっちは本当に売れなかった(笑)。共通して言えるのは、アーティストを徹底的にサポートするという姿勢。気難しい人ではあったけど懐の深い人でしたよね。

あんたたちはナチスじゃない、パンクスよ

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──デッド・ボーイズのレコーディングの時にバンドのアンプに貼られていたカギ十字のステッカーを見た音楽プロデューサーのジェニア・レイヴァンが激怒して「あんたたちはナチスじゃない、パンクスよ」とステッカーを剥がさせるシーンがありますが、当時、パンクが表面的なものじゃなくて思想的な側面も重要だったことを伝えていると思いました。
 
パンクは自分たちをただ悪ぶって見せるツールではないということを伝えたかった。実際、ヒリーとジェニアはユダヤ人で、レコーディング・スタジオのオーナーは過去にアウシュビッツに収容されていた過去があったんです。パンクとして体制に反発することと、人種差別主義者になって憎悪や悪意を撒き散らす人間になることとは、全く別の話だ。ただカッコいいからという理由で、他人の人種差別的な言動をまねるようなことをするな。そんなことをすれば、自分自身が醜くなってしまうだけ。パンクとして体制に抗うのであれば、自分が何に対して抗議しているのかを深く考え、その抗議のあり方についてもしっかりと思考を巡らせる必要がある。単に反発すればいいというものではないんだ。
 
──クラッシュやスティール・パルスなどが登場する映画『白い暴動』では同時期にイギリスで台頭したレイシズムにパンクがどう対抗したのかが描かれてますが、パンクは単に音楽スタイルだけのムーブメントではないことがよく表れていると思います。
 
当時のパンクスの中にはただあらゆるものに反発しているだけで、自分達が何に対して声をあげているのかちゃんとわかってない若者達もいたと思います。クラッシュのようにちゃんとした思想がなく、ただ愚かなふるまいをしているだけなら決してあなたはリスペクトされない。「愚か者になるな」と彼女は言っていたんです。

CBGBは時代を越えて今もコミュニティであり続けている

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──映画の表現手法としてジョン・ホルムストロム、レッグス・マクニールが創刊した雑誌『Punk Magazine』のイラストやグラフィティが随所で挿入されてますが、パンクがアートやジャーナリズムとも深く繋がっていたことも重要な要素ですね。
 
パンクは音楽、アート、雑誌などあらゆるカルチャーが一体となって芸術の礎を作っていたと思う。その原動力として『Punk Magazine』は大きな役割を果たしていました。
 
──アートといえばこの映画の美術も圧巻ですね。CBGBの再現はまさに70年代にタイムスリップしたかのようでした。
 
2006年にCBGBが閉店した後、店の内装や備品はブロンクスの倉庫に保管されていたんです。撮影の時はそれを全部借りてきました。だからレジスターもジュークボックスも全部当時のものです。そこに俳優たちが降り立った瞬間、70年代のCBGBが甦ったと思いました。
 
──今回の映画を通して改めてCBGBはどんな存在だと思いましたか?
 
映画の制作はとても楽しいものでしたが、それ以上に、ここが「何かが始まる場所」――いわばインキュベーター(孵化器)のような役割を果たしていたことが、何よりも素晴らしかったんです。制作の過程で、私たちはその特別な意味に気づかされました。
ヒリーはコミュニティを作ったんですね。このCBGBがあった場所は、当時、吐き溜めのような治安の悪い場所で、そこにキッズたちが互いを刺激し合う「居場所」を作ってくれたんです。撮影に参加した多くの俳優たちはみんな20代でリアルタイムのCBGBを知らない世代ですが、撮影現場でお互いの様子を見守る中で、ある意味、あのコミュニティが再び形作られていったのです。CBGBは時代を越えて今もコミュニティであり続けているのだと思います。
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ランドール・ミラー(監督)、ジョディ・サヴィン(脚本)
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