ジュネへの恩返しであり、青春の落とし前であり、継続する価値のあるバンド
──始動から2年を経て、時間をかけて実にバンドらしくなってきたとも言えませんか。
渡邉:確かに。最短距離を歩むつもりがなぜか遠回りしてしまうバンドかもしれないけど、それでもたかだか2年でここまで来れたのは各人のスキルの賜物だと思います。ステージの大小にかかわらずどこに出向いてもクオリティの高いライブをやれるし、何の心配もありません。ジュネがギターを弾かなくなってから特にそう感じます(笑)。
──この勢いに乗って、来年の6月には初のフルアルバムをリリースするとか。
渡邉:その前に、3枚目のEPを春から初夏に出す予定です。3枚のEPに収録した9曲に数曲を足してフルアルバムにしようというグランドヴィジョンを2025年に具現化しようと考えているところです。
──いざ始まると欲が芽生えて、あれもやりたいこれもやりたいといろんな楽曲を掘り下げたくなるものですか。
渡邉:それは結構ありますね。一般的にあまり知られてなくても良い曲がかなりあるので。ジュネや友森が「これをやりたい」と言ってくることはないけど、彼らにはAUTO-MOD clas-sixの主旨を伝えているし、楽曲のチョイスやアプローチは自分に任せてもらっています。
──目下の課題はやはり集客を増やすことですか。
渡邉:もっと世の中に周知させたいですね。やっていること自体に僕らは手応えを感じているし、おそらく一度聴けばなるほどと感じてもらえるはずなので。
──ニュー・ウェイヴと称される音楽の定義は曖昧模糊としていて、何をもってニュー・ウェイヴとするかは千差万別じゃないですか。それでもAUTO-MOD clas-sixのスタンスと音楽性は紛れもなくニュー・ウェイヴそのものだと感じますが、貢さん自身はニュー・ウェイヴという在り方をどう捉えていますか。
渡邉:言葉尻を捉えるならオールドじゃないってことですよね。もっと幅広く多様性のある音楽で、誰かっぽくないというのが大前提。他のどのバンドとも似ていない、それが大きな主題というか。これじゃあのバンドの二番煎じじゃんと言われたら負けみたいな。PERSONZを始めたときも他の何者にも似ていないこと、誰かっぽいと言われないようにしようというのをメンバー間で頑なに守っていましたから。たとえば本田さんは今もコードを弾かないんです。ここはせめてFを弾いてほしいと思うところでも絶対に弾かない。僕が簡易的なコード進行を本田さんに渡しても、次の日に自分なりのコード進行を書き直してくる。それを見ると、ずっとCと書いてある。それは普通のドミソじゃない、本田さんなりのCなんです。それこそが他の誰にも似ていない本田さんの個性なんですよね。その結果として独自のハーモニーが生まれるし、僕らリズム隊はキックとベースのアクセントの位置をなるべくずらそうとする。そうすることで他のバンドには出せないアンサンブルを構築できる。そういうアプローチのトライ&エラーを結成当初は異常なほど繰り返していました。デビューのときからプロデューサーもいなかったので自分たちで試行錯誤するしかなかったんです。でもその手探りのアプローチが今となれば自分たちの大きな財産となっている。
──そうしたニュー・ウェイヴ的発想を具象化してきたバンドの中で、貢さんは「DEAR FRIENDS」という日本のロック史上屈指のポップソングを生み出したことでも知られますが、そのアンビバレントな志向もまた一筋縄ではいかずにユニークですよね。
渡邉:さっきも話した通り、僕が作曲面で一番影響を受けたのはジュネなんです。あまり知られていませんが、彼は筒美京平のような歌謡曲の大家にも通ずるキャッチーな曲作りをする才能があるんです。僕がAUTO-MODに入りたての頃にやっていた曲でいくつかあるんですよ。LIZARDのワカさん(若林一彦)がベースを弾いていた時期の曲で、ああ、これは良い曲だなと純粋に思えたものが。ワカさんが辞めて僕が入った頃は今のAUTO-MOD clas-sixみたいにドラムがいなくて、打ち込みとギター2本とベースと歌という形態が一時期あった。
──AUTO-MOD clas-sixはある種の原点回帰というか、ドラムレス編成で突拍子もないことをやっているわけではないと。
渡邉:そうなんです。しかもそのときはベースも“ヤオヤ”(リズムマシンのローランド・TR-808)を使った打ち込みだったんだけど、さすがにベースはいたほうがいいということで僕に声がかかったみたいで。その時期のAUTO-MODを屋根裏やクロコダイルで客として観て、とても新鮮だった。AUTO-MOD clas-sixでやろうとしているのはその時期のAUTO-MODに近いし、その当時のジュネの曲はわりとポップなものが多かったんです。そうした曲をやりたいんだけど音源が残っていないので、正確にどんな曲だったのかが分からない。その再現を試みるのがAUTO-MOD clas-sixのテーマでもあります。自分にとってはジュネへの恩返しであり、青春の落とし前みたいなところもあり、PERSONZと並行して継続する価値のあるバンドなのは確かですね。